低所得・低物価・低金利・低成長が30年以上続いている日本。その根本原因として『日本病 なぜ給料と物価は安いままなのか』著者で第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣氏は、「バブル崩壊後の対応ミス」を指摘します。リーマンショック後に復活を遂げた米国とは、なにが違ったのでしょうか。その決定的な差を、詳しくみていきましょう。

「日本病」の根底にある“失敗”

バブル崩壊後の立ち回り」が日本の明暗を分けた

なぜかくも長期にわたり、日本は低成長なのでしょうか。そもそも、金融政策が後手に回り続けてきたことが大きな要因です。バブル崩壊後、正しいタイミングで正しい金融政策が行われなかったことでデフレに陥ってしまったことは明らかだからです。

日経平均株価1989年末に3万8,957円をつけたのをピークに、1990年明けから値を下げ始め、同年10月には1万9,782円まで下げ大暴落します。つまり、このときからバブル崩壊は始まっていました。それでも日本は1989年1990年にかけて1年半ほど利上げをしています(図表1)。

1991年7月にはようやく利下げを始めましたが、段階的に少しずつ下げています。利下げが後手に回り、しかも「良いデフレ」などといった理論を振りかざしながらダラダラと行ってしまったために、結局日本はデフレスパイラルに陥ったうえ、それを長期化させてしまいました。

デフレ回避のため、日本を“反面教師”にした欧米

欧米ではこうしたバブル崩壊後の日本の状況を見て、もし同様の不況が自国で起こった場合、日本のように取り返しがつかないレベルにまで落ち込ませないためにはどうしたらよいかが研究されました。

その研究者の1人であったバーナンキ氏が、その後アメリカのFRB議長になり、リーマン・ショックに対応したのです。

リーマン・ショックに際して、バーナンキ氏は一気にゼロ金利まで下げています。さらに彼は、自身が研究していた不況脱却の理論である「非伝統的金融政策」—金利調整にとどまらず、市場に出回るお金の「量」を増やすという金融政策と財政政策を連携させた経済政策を大規模に行う—を実践したのです。いわゆる「量的緩和」です。

図表2でも、アメリカのマネタリーベース(中央銀行が直接供給するお金の量)が2008年から急激に上がっていることがわかります。

デフレをほったらかした結果、30年以上続く“慢性疾患”に

このように、リーマン・ショックに対して欧米がこぞって量的緩和政策でデフレ回避をしていた一方、このときすでにデフレに陥っていた日本は欧米に追随しませんでした。

そこで起きたのが、1ドル70円台の異常な円高です。これにより日本企業の生産拠点が次々に海外に移転し、国内産業が衰退する「産業空洞化」が起こります。これでバブル崩壊以降ボロボロだった地方経済は、壊滅的に疲弊してしまいました。

その後ようやく、2013年4月から日本でも量的緩和政策がとられます。日本のマネタリーベースが一気に伸びているところがそれです。

デフレに陥る前の急性疾患の状態でこの手当てを行えば、日本経済もデフレに陥らなかった可能性があります。しかし、バブル崩壊から20年以上経過した2013年時点で、日本はすでにデフレスパイラルから抜け出せない慢性疾患の状態でした。

このため、リーマン・ショック後の欧米のような効果は出ませんでした。残念ながら対応が遅すぎたのです。

少子化はどのくらい影響しているのか

低成長の原因を少子化に見る向きもあります。しかし、少子化傾向の国がすべて低成長かと言うとそんなことはありません。ドイツも2011年まで人口は減っていましたが、経済は成長していました。

となると、やはり人口動態以外の要因、デフレを長期間放置してしまった金融政策や財政政策の失敗の影響のほうが遥かに大きいでしょう。

むしろ、デフレを放置したことで、就職氷河期やロスト・ジェネレーションと呼ばれる世代を作ってしまったことが少子化につながっているので、経済政策の失敗が、少子化の遠因になっていると言えるのではないでしょうか。

インフレ率と関係の深い失業率と自殺者数にも関連があることは、コロナ・ショック以降よく取り上げられています。

まさに、長期デフレは人口を減らし、国力を削いでいくのです。

永濱 利廣

第一生命経済研究所

首席エコノミスト

(※写真はイメージです/PIXTA)