翌日、日本人女性理事の所へ市長から入電。まさか市長の耳に入るとは思っていなかったので驚きを隠せなかったという。

 聞けば複数の住民がSNSに投稿していたとか。市長も動かざるを得なかったのだろう。

 今までの経緯と困惑している現状を伝えたところ、母親は話ができるから直接話してくれと言われたが、母親はそれを拒否(携帯電話の電波が脳を破壊するというのがその理由)。

 その後数人の日本語が話せる人が市長と母親の間に入り通訳をしたが、元々の状況がわかって居ない人達のため、市長が理解することが難しく、結局MEPZ (ラプラプ市の工業団地)にある日系企業の社長(市長の友人でもある)が出向き直接話をしてくれた。

 その間もローカルメディアが数社取材に来て母娘と交流を試みるが、娘は無視を決め込み「除霊の祈り」を続け、母親はその脇で訪れた人々に手を合わせて拝むような仕草をしていた。市長に帯同した医師の問いかけに、娘は若干の反応をしたが、自分の意にそぐわないことは依然無視を決め込んでいたらしい。

【総領事館発動とレスキュー隊による身柄確保】

 翌日セブ日本総領事館の職員が現場を訪れ、市のレスキューと共に説得を試み、母親はその場から移動する素振りをみせたものの、娘は前日と変わらぬ態度で職員からの問いかけにも完全無視で奇声を発したり「除霊の祈り」を続けていたという。母親は一度車に乗りこんだので、「せめてお母さんだけでもシェルターに移動しましょう」と職員が説得したが、「娘一人をここにおいて行くわけにはいかない」と入所を拒否したようだ。

 その後約一時間、職員が色々と手を尽くしてくれたにも関わらず、事態の進展はなく、次の策を講じるため職員は引き上げていった。

 レスキュー隊はその場で待機していたが、日没とともに撤収した。せめて地面に寝なくても良いようにと簡易ベッドを設置していってくれた。

 遂にその翌日、動きがみられた。レスキュー隊が翌日も現場を訪れ母親を車に移動させた後、娘を抱えてレスキュー車へ移動させたのだ。終始娘は悲鳴を上げ、抵抗していたが程なくして車のドアが閉められ、市内のシェルター(元コロナ患者のための隔離センター)へ移送されていった。

【悲しい結末】

 日本総領事館とフィリピンの入国管理局の間で母娘ふたりの帰国に向けた書類の準備が進められる中、医師の判断で飛行機に乗るには適切な治療が必要とのことで、ふたりはシェルターでしばらくの間生活することになった。

 だが、娘は治療も食事も拒否。母も娘が食事をしないと決めるとそれに従わないと娘が悪口雑言をまくしたてるため食べ物を口にすることができない。高齢の母は遂に力尽き、11月19日夕刻、帰らぬ人となった。死因は餓死。

 警察が撮影した写真の中の亡骸はNPOセブウィッシュ日本人女性理事が母親だと認識できなかったほど変わり果てていたという。目はくぼみ、頬はやせこけ、骨と皮だけだったようだ。

 娘も命はあるものの同じような状態で、命の危険に晒されているのは疑いのない事実だ。

 セブウィッシュの日本人女性理事は、「もし、ビザが切れる前に彼女たちが日本へ戻っていたら最悪の事態は避けられたかもしれません。私たちはこの三年間できるだけのことはやったと思っています。残念な結果になってしまいましたがうちのスタッフの安全と近隣への迷惑を考えるとこれ以上のことはできませんでした。謂れのない誹謗中傷もあり、スタッフはみな疲労困憊して限界でした。市長を始め、市警、市のレスキュー、セブ日本総領事館の方々のご尽力には感謝しています。あとは娘さんが適切な治療を受けて命を繋ぎ、帰国できることを祈るばかりです。」と消沈の面持ちで語った。

セブ日本総領事館と市のレスキュー隊 NPO CEBU WISH監視カメラ映像から