インフレにも「良いインフレ」「悪いインフレ」があります。では、それぞれのインフレは社会にどのような影響をおよぼすのでしょうか? また、インフレの根本的な問題とはなんでしょうか。本記事では、元IMF(国際通貨基金)エコノミスト東京都立大学経済経営学部教授の宮本弘曉氏による著書『一人負けニッポンの勝機 世界インフレと日本の未来』(ウェッジ社)から、インフレがおよぼす社会への影響について解説します。

「良いインフレ」と「悪いインフレ」の違い

総需要・総供給曲線を用いることで、インフレの発生理由を分析することができます。インフレは、総需要曲線が右にシフトするか、総供給曲線が左にシフトすることで発生します。はじめに、総需要曲線が右にシフトする場合を考えてみましょう。

図表1のように、総需要曲線が右にシフトすると、均衡点は右上に移動します(点E0から点E1に移動します)。つまり、物価が上がり、財やサービスの取引量が増えることがわかります。このように、総需要曲線が右にシフトすることで生じるインフレを「ディマンドプル・インフレーション」といいます。

総需要曲線が右にシフトするということは、総需要が増加したということです。つまり、商品やサービスを求める人が増えるため、物価が上昇し、取引量が増加します。需要が引っ張ることによって物価が上がるので、ディマンドプル・インフレーションと呼ぶのです。

総供給曲線が右にシフトすると「良いインフレ」に

総需要の増加は様々な要因によって生じるので、ひと口にディマンドプル・インフレーションといってもその原因はいろいろです。

例えば、景気が良くなり、経済で総需要が拡大すれば、インフレになります。景気が良くなると商品の価格が上がり、景気が悪くなると下がるというのは、多くの方の感覚に合うのではないでしょうか。

インフレは、モノやサービスの価格が上がっていくことなので、決して良いことではありませんが、景気が良くなるため、ディマンドプル・インフレーションは「良いインフレ」といわれることがあります。

また、政府支出が増えると、経済の総需要が増えるので、やはり総需要曲線は右にシフトします。その結果、経済活動の水準は上昇し、物価も上がります。つまり、景気対策としての財政政策はインフレを生じさせます。

経済学では、経済全体のお金の量(貨幣供給量)が総需要を変化させる重要な要因だと考えられています。これは「貨幣数量説」と呼ばれるもので、生産能力の拡大以上に貨幣供給量が増えると、物価が上昇し、インフレになるというものです。

貨幣供給量は、中央銀行が基本的にコントロールすることができるので、この考え方に基づくと、金融政策が物価に影響を与えることになります。

総供給曲線が左にシフトすると「悪いインフレ」に

インフレは総供給曲線のシフトによっても発生します。総供給曲線が左にシフトしたとしましょう。

図表2からわかるように、均衡は点E0から点E1へ移動します。つまり、経済全体の財やサービスの取引量は低下し、物価が上昇します。

総供給曲線が左にシフトして起こるインフレを、「コストプッシュ・インフレーション」といいます。インフレが発生したという点では、ディマンドプル・インフレーションと同じですが、財やサービスの取引量が減っているという点が大きく異なります。

何が、総供給曲線を左にシフトさせるのでしょうか? 一言でいえば、企業が生産に行う際に必要となるコストの上昇です。原材料費や賃金の上昇などが考えられます。

コストが上がって、インフレになるので、コストプッシュ・インフレーションと呼ばれます。原材料や資源を供給する企業が価格を引き上げたり、人手不足で賃金が高騰した場合に発生します。

図表2からもわかるように、コストプッシュ・インフレーションはGDPの減少を伴うため、「悪いインフレ」といわれることがあります。

インフレ期待も重要

総需要と総供給のバランスだけではなく、「インフレ期待」も物価に影響を与える重要なファクターであると考えられています。インフレ期待とは、企業や個人が予想する将来の物価のことであり、その期待が、経済取引や意思決定に影響を与えます。

例えば、ある銀行が破綻することが予想され、恐怖心を抱いた預金者たちが一斉に預金を引き出すと、その銀行は実際に破綻する可能性が高くなります。同様に、インフレ期待が高まると、実際にインフレが発生することがあります。

期待インフレは、実際の物価や景気に影響を与えると考えられているため、世界の中央銀行の多くは金融政策の方向性を決定する際に、期待インフレ率の動向に注目しています。

インフレは何が問題なのか?

インフレは、私たちの生活や経済に様々な影響を与えます。もし、世の中のあらゆるところで同時にインフレが起こった場合、すべての価格が同時に同じように上昇するので、私たちの生活には実質的な変化はありません。

例えば、すべてのモノやサービスの価格が倍になったとしても、お給料も倍になっていれば、購入量は変化しません。

しかし、現実の経済では、すべての価格が同時に同じように上昇することはありません。商品の値段だけが上がり、賃金が変化しない場合には、購入できる商品が減少するため、私たちの生活は厳しくなります。

また、インフレは現金や預貯金などの価値を減少させます。皆さんが、将来の夢や目標を叶えるために、毎月の給料から貯金を積み立ててきたとします。しかし、物価が急上昇し、同じ商品やサービスが高くなると、皆さんが積み立てた貯金の価値は下がってしまいます。

例えば、インフレで今年1万円の商品やサービスが、来年には1万1000円になるとすると、1000万円の貯金は、来年には実質的に10%も低下してしまいます。

インフレによるお金の実質的な価値の低下は、とりわけ、銀行預金や郵便貯金などの貯蓄に頼っている高齢者世帯にとっては深刻です。

さらに、インフレを鎮静化するためには、不況というコストを支払わなくてはならないこともあります。

具体的には、中央銀行が金融政策を引き締め、金利を上げることがあります。しかし、このような措置が長期化すると、景気後退を引き起こすことがあります。金利が上昇すると、個人の消費や企業の投資が減少するからです。

このように、インフレは国民生活や経済全般に多大な影響を与えます。インフレの社会コストを考える際に重要なのは、インフレがあらかじめ予想されたものなのか、それとも予期せぬものなのかです。もし、ある程度予想されたものであった場合、人々はそれを織り込んで意思決定や行動ができます。

とはいえ、このようなケースでもインフレには様々な問題があります。経済学で指摘されているものをいくつか紹介しましょう。

「予想されたインフレ」が経済にもたらす悪影響

まず、メニュー・コストと言われる問題があります。インフレが発生すると、商品の価格が上がります。このため、レストランなどのビジネスにおいては、料理の価格を改定する必要が生じます。

そのためには、メニューを書き換える必要がありますが、これには印刷代や労力がかかります。このような価格改定に伴う費用を一般にメニュー・コストと言います。この費用は、インフレがあらかじめ予想されていたとしても避けることができません。インフレのたびに頻繁にメニューを書き換えなくてはいけないとしたら、そのコストは経済全体で考えると決して小さくはありません。

また、インフレが発生すると、相対価格に歪みが生じ、資源配分に混乱を引き起こす可能性があります。

商品やサービスの価格が同じペースでは上がらないため、相対価格に変化が生じることがあります。これにより、消費者の財やサービスの購入や企業の生産のあり方が混乱する可能性があります。

インフレは税制の歪みをもたらすこともしばしば指摘されています。所得税を考えてみましょう。日本では所得に対する課税は累進課税となっています。所得が高い人には高い税率が適用されるため、実質所得が変わらなくても、物価上昇に伴い名目所得が上がった場合に、納付する税金額が増える可能性があります。

これは、税金が額面の所得(名目所得)に基づいて計算されるためです。例えば、物価上昇によって年収が10%上昇した場合、名目所得が上がることにより所得税率が高くなり、納付する税金額も増えます。つまり、物価上昇によって税負担が重くなることがあるのです。

「予期せぬインフレ」が経済にもたらす悪影響

予期せぬインフレは、予測されたインフレよりも大きな社会的コストをもたらします。予期せぬインフレが起こると、年金生活者の実質所得が低下するため、生活が苦しくなることがあります。

また、インフレに伴い賃金が上昇しない場合、勤労者の実質所得も減少するため、生活が苦しくなることがあります。

さらに、予期せぬインフレは、貸し借りにも影響を与えます。借金をしている人は、実質的な借金額が減るため、得をすることがあります。しかし、お金を貸している人は、貸している額の実質的な価値が減少するため、損をすることがあります。

また、インフレは、貨幣を持つ人たちに対する「増税」という顔を持ちます。例えば、皆さんが1年前に1万円を持っていたとします。

インフレ率が3%だった場合、今年、その1万円では実質的に9700円分しか商品やサービスを購入できなくなってしまいます。これは、あたかも1年前の1万円に対して3%の税金を支払ったのと同じ影響です。

このように、インフレは貨幣を持つことに対する課税ととらえることができます。

宮本 弘曉

東京都立大学経済経営学部

教授

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