『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ
『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ

ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では「バイト経験」について語った。

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★今週のひと言「人生の糧になった夜の世界とネットワークビジネス」

小学生の頃に漫画家になると決めた俺は、はなから就職する気なんてなかった。それどころか漫画家に学歴など必要ないと確信して以来、勉強するヒマがあったら漫画を描いていたので、高校に進学する気さえなかった。中卒でプロ漫画家の下でアシスタントとして働きながら目指すつもりだったのだが、母親からの説得もあり、結局は仲の良かった友人たちがそろって進学する、名前さえ書けば受かるような高校へ俺も通うことになった。

高校生になるとすぐにアルバイトを始めた。高校はアルバイト禁止だった気がするし、当時ゴリゴリの童貞で女のコやファッションに金がかかるってわけでもなかったが、童貞は童貞なりに欲しい漫画やCDがたくさんあった。しかし、それ以上にアルバイト自体に憧れがあった。わかるっしょ、なんというか、学校とは別のストーリーが始まりそうな、いい予感がしていたのだ。

最初のバイトは近所の西友のフードコート内にあったマクドナルド。全国チェーンの巨大企業のバイトには細部にわたってガッチガチのマニュアルが存在し、誰もが同じクオリティの仕事ができる代わりに、自由はない。その後、いろんなバイトを経験したけれど、結局マクドナルドが一番厳しかったかもしれない。

今はどうか知らんが、当時のマクドは愛知の最低賃金10円の時給だったので、厳しい割にお世辞にも儲かるバイトとはいえなかった。

そんな環境ではあったが、店のグランドオープンスタッフとして働き始め、高1から大学生になるまで働いていた俺は、仲のいい友達や後輩をバイトに引き込んだりしつつ、そこそこ楽しく働いていた。しかしある日、オーナーに金髪をとがめられ、明日までに直せと言われた俺は髪を赤く染め直し、これならマクドナルドカラーだし文句あるまいと思いきや、そんなわけなかったようで一発でクビを切られた。

それも直接の宣告ではなく、後輩からメールで「三嶋さん(俺の本名)クビらしいっすよ」と伝えられるという、なんとも呆気(あっけ)ない終わりだった。

とはいえ、大学生になったらやっぱり髪型で遊びたいし、いつまでも安い時給で働いてる場合でもない。そして次にやったバイトが、街で声をかけられて始めたネットワークビジネス。ねずみ講スレスレのグレーなバイトで、ミーティングや研修と称する自己啓発系のハッパをかけられながら、日々勧誘や面談に集中した。

完全歩合制のそのバイトは、一種トランス状態にも近い没頭と上司からの洗脳があったものの、次第にわれに返り、結局2ヵ月ほどしか続かなかったが、そのときに培った自己啓発的な価値観や理想論的な物の考え方はいまだに俺の中に残っていて、ある種、度を越えたポジティブシンキングの一端を担っている。

たったのひと晩だが、ホストになった友人の店に皿洗いで入ったこともある。怖いもの見たさというか、好奇心というか、自分が接客するほどの度胸はなかったが、夜の世界をのぞいてみたさがあったのだ。

その日は店のナンバー2のホストのバースデーで、頭からドンペリをぶっかけたり、客が持ってきたお祝いのホールのケーキを顔面で潰したり、ホスト同士の殴り合いで床に血だまりができたりと、しっかりと怖いものを見させられた俺は、後日給料を受け取りに行くことさえしなかった。一切関わりたくなくなったのだ。

一発で夜の世界への淡い期待を払拭してくれたその夜も、前述のネットワークビジネスと同様に俺の糧(かて)となった。

撮影/田中智久

『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ