ここ数年で、落ち着きがなかったり、不注意が多かったり、対人関係が苦手だったりといった「発達障害」の特性についての認知が広がってきた。書店でも発達障害についての書籍は数多く扱われている。

一方で「知的障害」については必ずしもそうではない。知的障害とはどんな障害で、どう定義されているのか、知らない人は少なくないはずだ。

◾️世の中に知られていない「境界知能」の生きにくさ

厚生労働省では、知的障害について「知的機能の障害が発達期(おおむね18歳まで)にあらわれ、日常生活に支障が生じているため、何らかの特別の援助を必要とする状態にあるもの」と定義している。(令和5年7月時点)

ここでいう「知的機能の障害」とは知能検査によって測定された知能指数や発達指数が判断基準になる。都道府県によって違うが「IQ 70未満(75未満とする都道府県もある)」がおおむね境界になっている。

一方で、これはIQが70以上あると、社会生活を送るうえでどんなに生きづらさを感じていても、知的障害とは判定されにくいことを意味する。そんな「知的障害」と「知的には問題ない」の境界にいる人の生きにくさを指摘しているのが『境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ』(宮口幸治著、SBクリエイティブ刊)である。

◾️行政からの支援を受けられないIQ 70〜84の人々

知的障害とはいえないがIQでいうとそれに近い「境界知能(IQ70〜84)」の人は統計学上、人口の約14%ほどいる。こうした人は生活をするうえで何らかの支援が必要とされるが、障害ではないため行政の支援の対象外となってしまう。

2019年11月、就職活動のために上京した女性が羽田空港のトイレで赤ちゃんを産み、直後に殺害。紙袋に入れた遺体を港区内の公園に埋めた事件があった。女性は紙袋を持ったまま空港内のカフェに行き「頑張っている自分へのご褒美」とコメントをつけてアップルパイとチョコレートスムージーの写真をインスタグラムに投稿。翌日は予定通りに就職面接を受けたという。

2021年にこの女性に対して懲役5年の実刑判決が下された際、裁判長は「就職活動への影響を避けるべく、自らの将来に障害となる女児の存在をなかったものにするため殺害した。身勝手で短絡的」と述べた。

その身勝手さの印象は当然だったのかもしれないが、一方で女性は「境界知能」に相当する人物だった。就職活動では企業に提出するエントリーシートの質問の意味がわからず空欄だらけになることもあった。裁判では「自首」や「殺める」といった言葉が理解できなかったり、自首の意思はなかったか問われて「そんな制度があるなんて知らなかった」と答える場面もあったという。

女性が犯した罪は消えることはないが、女性は明らかに周囲の支援が必要な状態だった。妊娠を相談できる相手がいれば、あるいはエントリーシートを埋めるアドバイスをするなど日常的に手を貸してくれる人が周りにいれば、起きなかった事件だとも言える。

本書によると、後先を考えて行動するのが苦手なことも、誰かに助けを求めるのが苦手なことも、知的障害の特徴の一つだと考えられるという。「境界知能」の人についてもこの傾向はあるようで、こうした人々が「普通の人」として裁かれ、判決が下されることに、本書では疑問が呈されている。

先述の通り、境界知能あるいは軽度の知的障害を持つ人は社会に一定数存在している。問題は彼ら彼女らが周りからそうと気づかれず、密かに本人だけが不自由と生きにくさを抱えて生活しているケースが多い点。本書はこれまでに注目されることのなかった社会の暗い一角に光を投げかける一冊である。

(新刊JP編集部)

「知的障害」でも「普通」でもない 境界知能の人々が抱える苦しみと生きにくさ(*画像はイメージです)