世界165ヵ国で放送され、その視聴者数が10億人をこえる巨大プロレス団体がある。それがアメリカのWWEだ。この10月よりは日本でも、ABEMAにて視聴可能に。各大会がほぼリアルタイムで楽しめることとなった。その中でトップに名を連ねる日本人スーパースターが中邑真輔。かつて日本のバラエティー番組でも“年収5億円”と噂された選手だ(「ダウンタウンDX」2020年3月5日放送分。本人は笑って否定)。来たる11月26日(日)には、同団体の一大イベント「サバイバーシリーズ」が日本でもABEMA PPVで全試合生中継される(日本時間11月26日朝9:30番組開始)。そのプロモーションのため、中邑選手が来日。話を聞いてみた。

【写真18枚】「イヤァオ!」な中邑真輔を感じられる撮り下ろしカット

■アメリカの吹き替え文化が変わり始めている

――10月から、日本でもABEMAで視聴可能になったWWEですが、その魅力は?

とにかくそのスケール。音響も特殊効果も含め、何かとど派手。10億人に観られるわけですから選手としてもやり甲斐があるし、ビッグイベントである「サバイバーシリーズ」は誰もが出られるわけではないですから、光栄に思いますね。

――そんな中で中邑選手自身、特に最近は以前と違い、マイク・アピールやコメント等を、英語でなく、日本語でしている姿が目立ちます。

はい。英語の字幕がついてね。でも、それを付けてるのも僕自身なんですけどね。大変なんですよ(笑)。

――ここに来てそうなったきっかけは?

僕は2016年にアメリカに渡ったわけですけれど、その時、「いかにも日本人」というキャラ付けをされたくないという気持ちがあったんですよ。ステレオタイプに観られたくなかったというか。それが、今年の元旦に、日本でグレート・ムタ武藤敬司の化身)と戦って。アピールも当然日本語を中心にしました。すると、海外からの視聴も多く(*こちらもABEMAで放映)、なおかつ、ウケも良かったんですね。だから、これからはこの路線だろうと。

――そういった趨勢を感じた?

そう言い切っていいと思います。アメリカ自体、今までは、“(英語に直す)吹き替え文化”だったんですよ。だけど、近年、“オリジナルで受け取りたい”という願望が高まっている。そこは、おそらく、日本のアニメの影響がデカイと思うんですけど。日本の音楽だって、オリジナルで海を越えてるじゃないですか。BABYMETALしかり、新しい学校のリーダーズしかり、だから、僕の日本語も、今だからというタイミングではありますね」

――BABYMETALと言えば、ファンとして寄稿して頂けたこともありましたね(「別冊カドカワ」2020年10月号)。「腕の振りと指先の使い方が美しくて、それが全体のキレを作ってる」と。最近、注目している日本のアーティストはいらっしゃいますか?

う~ん……。最近は多忙で、そういう情報はどうしても家族からになってしまうんですが、SNSのタイムラインに「新しい学校のリーダーズ」が上がって来ると、よく見てますよ!

――逆にご自身が、どうしても会ってみたいスーパースターとかはいらっしゃいますか?

どうだろう……?いざ目の前にすると、魂が抜けちゃって客観的になっちゃう癖が自分はあるんですよね(笑)。

――以前、「行列の出来る法律相談所」で、池乃めだかさんに会ったときは、たいそう喜んでらっしゃいましたけど(2019日6月16日放送分)。

あぁ!あれはもう、子供の頃から好きだった吉本新喜劇への憧れで。でも、ブラウン管の中の人だったから、本当にいるのかな?という心持ちでしたから。想像上の人物というか。だから、実際観たら、「ツチノコって、本当にいるんだ~」みたいな気になっちゃったんですよね(笑)。

■アメリカに挑戦して来る人は無条件で応援したい

――年頭のムタ戦から数えると、今回が公には10ヵ月ぶりの来日になりますね。アメリカと日本、それぞれ思う、良いところがあれば。

月並みですけど、アメリカはとにかくデカイ!試合会場への移動は自分の車のことが多いですし、『こんなにアメリカを何周もしてる日本人ていないだろうな』と自分で思うくらいですから。ただ、そのスケールの分、得てして大雑把かな。例えば、表向き日本食レストランを謳った店はあるんですけど、大体、フェイクなんですよね(苦笑)。だから、日本食にありつこうと思うと、自分で作るしかない。“モツ鍋が食べたいな”と思って買いに行っても、下処理が全くされてませんからね。だから自分で洗うことから始めないとという……。気が遠くなりますよ。

それに比べると、日本はやっぱり、しっかりしてますよね。作り出すもののレベルの高さというか、職人気質が。例えば自宅のリフォームとか、少々の欠陥は、アメリカ人は気にしないというか(苦笑)。日本では、絶対そういうことはないわけじゃないですか?そういうとこ、日本ならではですよね。あと、自分も画材を買いに行くからわかるんですが、アメリカでは日本の文房具、流行ってるんですよ。性能がいい、と。消しゴム、鉛筆……あと、ポスカとか(笑)。先ほどのBABY METALじゃないですけど、日本発で、今ではアメリカでも馴染みになって来てるんですよね。

――ご自分は、上手くアメリカという国にアジャストして来た?

そういう自負はありますね。アメリカという文化の中に飛び込むんだという覚悟でしたから。しかも、助けてくれる人もゼロで。全部自分でやって来ましたからね。家族を守るために。それだけに、今後、アメリカに挑戦して来る人たちは、無条件で応援したいという気持ちはありますね。不安だらけになるでしょうから。自分が経験したり、苦労したことは、出来るだけないよう、ディレクションしたいというか。それはウチの家内も同じ心情だと思いますよ。

■猪木さんの死で一つの時代が終わった

――中邑選手が入団してからも、WWEは、日本はもちろん、インドサウジアラビアなど、さらに世界を舞台に大会をおこなっている印象です。

そういう部分は、今でも本当に自分には合っていると思います。もともと僕は、京都でも上の方の峰山町の出身で。反動で、見果てぬ国々に憧れたせいか、子供の頃は『なるほどザ・ワールド!』や『世界ふしぎ発見』を見るのが大好きだったんですよ(笑)。

現実的には田舎だから、東京に出て行くのも難しかったんですけど、例えば、高校の時のアマレス部の先生がアメリカからコーチを呼んでくれて、そこで拙いながらもコミュニケーションが出来たり、大学時代のアマレスの遠征で韓国に行って、そこで友達が出来たりとか。いわば、生で味わう感動を覚えて。それが自分の人間力もアップさせてくれるという実感がありましたから。

師匠の(アントニオ)猪木さんも、「自分の足を使って、自分の目で見ろ」と言ってくれる人でしたから……。

――昨年10月の猪木さんの告別式には、緊急帰国して参列されてましたね。他にもコロナ禍を含め、SNSで中邑さんが死を悼む方々がいらっしゃいました。

猪木さんの死については、やっぱり1つの時代が終わったんだということを感じましたね。野村克也さんは、母校(峰山高校)の先輩でしてね。2002年大晦日の格闘技興行(『イノキ・ボンバイエ』)に自分が出場した際、選手紹介で僕の高校名が読まれたことがあって。

そうしたら会場に来ていた野村さんが、わざわざ控え室まで来て下さって。『ビックリしたよ。あんな田舎から来たのか?』と。やっぱり地元ではスーパースターですし、ウチの父も野球好きだったんですが、自分がプロ入りする時には亡くなってたんですよ。だから、父に対しても誇らしい気持ちになれたのを覚えてます。

あと、志村けんさんとは、六本木のSというクラブでお会いしたことが。僕の知り合いの方が酔っ払って、志村さんを席に連れて来てしまったんですね。僕自身は恐れ多くて、なかなか喋れなかったんですけど、トイレで連れションをしたのは覚えてますね(笑)」

――2002年というと、まだデビューされた年ですから、総合格闘技に出撃するプロレスラーとしての中邑さんへの当時の注目もうかがえますね。一方で現在は、アマチュアを含めた喧嘩自慢が1分間で優劣を競う形式の動画配信(ブレイキングダウン)が人気を博しています。

他人の喧嘩を観たいという、人間の性を上手く喚起したという印象ですね。1分間というのも、今風のフォーマットぽい。

僕個人から言えば、プロレスという闘いは、相手の技も受ける、究極のコミュニケーションなんですね。口に出さずとも伝わることもあるし。相手に命を預ける部分もある。どんな人種、年齢の選手からも学ぶことはあるし、日々、自分がアップデート出来ている感覚はありますね。

――今年の2月に43歳の誕生日を迎えました。渡米して7年。今後の目標は?

僕が若手の時って、40代のレスラーは、もうプッシュされないみたいな潮流があったんですよ。そういう部分も今は違って来てるし。コンディション次第ですけど、自分のモチベーションとしては、やっぱりタイトルとして獲ってない、最高位であるWWEの世界ヘビー級の王者になりたいというのはありますね。そこを狙って行きたいし、ぜひ日本の皆さんにも、ABEMAを通じて応援して欲しいですね!

■PROFILE 中邑真輔

1980年生まれ。京都府峰山町(現:京丹後市)出身。青山学院大学レスリング部で主将を務め、2002年に新日本プロレスに入団。同年8月、デビュー。並びに、総合格闘技のリングにも進出。2003年、歴代最年少でIWGPヘビー級王座奪取。2016年2月、WWEと契約し、4月に同団体の下部組織・NXTでデビュー。2017年4月にWWEへの昇格を果たした。得意技は、新日本プロレス時代は「ボマイェ」の名称で知られた顔面への膝蹴り「キンシャサ」。

取材・文=瑞 佐富郎

WWEの日本人スーパースター・中邑真輔/撮影=阿部岳人