(歴史ライター:西股 総生)

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歴代ワースト視聴率は『いだてん』に次ぐ低さ    

 大河ドラマ『どうする家康』の視聴率が低空飛行をつづけている。

 ビデオリサーチが公表している視聴率(関東地区の世帯視聴率)によれば、初回こそ15.4%とまずまずだったものの、3月に入ると11%台に落ち、その後も漸減しておおむね10%前後という数字がつづいている。

 最終的な平均視聴率はともかく、年間の大半を10%前後で過ごしたのであれば、当初の15.4%はご祝儀相場、というか期待値のようなものと評価せざるを得ない。約10%というのが視聴者からの実質的な支持率、と見てよいだろう。これは、歴代ワースト視聴率(年間平均)だった、2019年『いだてん』の8.11%に次ぐ低さといえそうだ。

 ただし、上述した数字は同時に、一定の岩盤支持層がいたことも示している。もちろん、本稿で示しているのは世帯視聴率であるから、個人視聴率や世代別視聴率といった数字を詳細に解析すれば、また別の評価が出てくるのだろうが、いずれにせよ一定数(おそらく百万人単位)の岩盤支持層がいたことは間違いない。

 ここで指摘しておきたいのは、世帯であれ個人であれ、視聴率はあくまで「ひとつの数字、データ」であって、視聴率がイコール番組の評価にはならない、ということだ。これまでに2度(『真田丸』『鎌倉殿の13人』)、「軍事考証」という立場で大河に関わった筆者の経験からすると、制作側は視聴率とは別の形でも「手応え」を感じているものだ。

 たとえば、関連イベントの盛り上がり、さまざまな形で局に寄せられる反応などから、視聴者の支持を感じるわけだ。考えてみれば、これは当たり前の話で、同じ10%でも惰性的に見ているだけなのと、毎回わくわくしながら見ているのとでは、わけが違う。

 そうした意味で、制作側がトータルで「手応え」をどう感じているかが、本当は重要なのだが、こればかりは局内部の事情である。ただし、「手応え」を感じていれば、今後も同じようなテイストの作品が作られるだろう。

 さて、そんな『どうする』が大きく視聴率を下げたことが2回ある。WBCと重なった3月12日と、ラグビーワールドカップと重なった10月8日で、いずれも7%台と落ち込んだ。一方で、日本シリーズ最終戦と重なった11月5日は10%ちょうどを記録している。WBCラグビーワールドカップといった「国事」には負けるが、日本シリーズには負けていないわけだ(註)。

 これは、筆者には別の意味で少々ショックな数字だった。日本シリーズがすでに「国事」の座から滑り落ちたことを意味していたからだ(筆者は日本シリーズを優先し『どうする』は録画で見ました・笑)。

 筆者もそうだが、一定以上の世代にとって、プロ野球は社会常識や一般教養のようなものだったと思う。とくに野球ファンというわけではないが、子供の頃からテレビで見てきたからルールはわかるし、現在の各チームの監督が選手だった姿もよく覚えている。ゆえに、テレビで日本シリーズを見る、というのはひどく常識的な行為なのである。

 ところが世の中全体としては、もはやそうではなくなっているらしい。「野球を見る」というのは、「Jリーグを見る」「フィギュアスケートを見る」などと同じように、趣味や推し活の領域に属することになっているようだ。

 大河ドラマも同じなのではないか。一定以上の世代にとって、大河ドラマとは社会常識や一般教養のようなものであった。ところが現在では、大河も趣味や推し活の領域に属するコンテンツとなっている。

 インターネットやSNSの浸透によって、個人の得られる情報の量と密度が飛躍的に増大した結果として、趣味とは狭く深くハマるものになっている。歴史すらもはや教養ではなく、そうしたタコツボ化した趣味の一分野となっているのが現状である。

 であるなら、大河ドラマがタコツボ化した推し活の対象コンテンツとなるのも、当然ではないか。こう考えてくると、大河ドラマの視聴率が長期低落傾向にある事実と、一定の岩盤支持層の存在が両立する現象も、ひどく頷けるものだ。

 あとはNHKが、「社会常識でも一般教養でもない大河ドラマ」に、どう価値を見出してゆくか、にかかっている。どうする、NHK?

(註)今年の場合、日本シリーズの視聴率が関東と関西ではかなり違う事には留意すべきだろう。たとえば、対戦カードが「巨人対オリックス」であったならば、関東地区でももっと高い視聴率を得たはずである。もっとも、このカードだとオリックスが圧勝して第7戦までもつれることなく、日曜夜の大河とはバッティングしない可能性が高いが。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  「どうする感」が薄れてしまった大河『どうする家康』の最後はどうなる?

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