上がらない給料、停滞する経済……。平成から令和にかけて、日本に住む人々の生活は日々苦しくなっていく。なぜ、平成以後の日本経済は突然失速してしまったのか?

この問題に対して果敢に切り込んでいるのが、「東大史上初の経営学博士」で慶大准教授の岩尾俊兵氏による『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』(光文社)だ。本記事では本書の一部を抜粋・再構成して紹介する。

◆日米経済戦争の勝者だった日本の「政治的敗北」

日本企業の経営は国際政治に翻弄されてきた。

平成元年ごろまでの日本は、アメリカにとって、ソ連に次ぐ仮想敵国とさえ言われていた。もちろん、軍事的には戦後の日本はアメリカと同盟関係にあった。だが、戦後の日本企業の大躍進による日米貿易摩擦は、日米「経済戦争」と表現されるまでに高まっていたのである。

しかも、この経済戦争において日本はアメリカに圧勝した。戦後数十年もの間、アメリカにとって最大の貿易赤字相手は日本であった。

こうした状況をアメリカが見過ごすはずはない。アメリカ主導の「国際協調」によって、日本企業の競争力は何度も叩き潰されてきた。その代表的な例が、1985年のプラザ合意である。プラザ合意では、アメリカの呼びかけによって、イギリスフランス西ドイツ、日本は協調して円高・ドル安を目指すことに決まった。

円高・ドル安は日本で生産活動をおこなう企業にとって、(海外部品調達費等以外の)国際的な生産コストの増加を意味し、輸出が不利になるためである。プラザ合意は日本企業潰し以外のなにものでもなかった。

◆“偽りの国際協調”の正体

円高・ドル安によって当然ながら日本経済には打撃が見込まれる。しかし、日本政府は、アメリカ政府との関係改善や国際協調のために、喜んで円高・ドル安に協力した(岡本勉『1985年無条件降伏』光文社)。“偽りの国際協調”のために、日本政府が率先して日本企業と日本国民を貧乏にする道を選んだのである。

こうして、プラザ合意前に1ドル240円ほどだった円相場はわずか1年で1ドル150円を切った。これは、日本企業の製品・サービスが国際的に1.6倍の値段になったに等しい。

日本経済はこの急激な円高に耐えられなくなり、日本政府はプラザ合意から1年半ほどで円安への国際協調を呼びかけた(ルーブル合意)。しかし、プラザ合意において日本が歩み寄った国際協調をあざ笑うかのように、ルーブル合意は無視された。

◆円高とデフレが作った「世界一裕福なのに国内は貧乏な日本」

当時も今も正しく認識されていないが、実は円高には副作用があった。一般には「円高メリット」と呼ばれている、海外向けに投資したら海外から輸入したり、海外で消費する際には有利だという状況がそれである。

日本はプラザ合意後の円高・ドル安を是正できず、反対に円高で国際的に強くなった円で海外に投資したり、円高不況対策の金融緩和に乗じて国内の不動産や株や国債に投資したりした。これが後のバブルとその崩壊につながったわけである。

しかし、これはメリットでも何でもない。

日本国内のお金を吸い上げて海外にばら撒くわけだから、国内が貧しくなるのは当たり前である。円高に突入して以降、日本の対外純資産は32年間も世界一をキープしているのがその証拠だ(財務省令和4年末現在本邦対外資産負債残高の概要』)。日本は国内にお金を回さず、世界に資産を持つという、「対外的には世界一裕福なのに国内的には貧乏な国」という矛盾した状況に自ら進んでいった。

すなわち、円高とデフレによって円が強くなったことで、働かずにカネでカネを生むことが簡単にできるようになってしまった。それが「ヒトよりカネが大事」な投資思考が蔓延する原因となったと考えられる。

◆平成時代にカネ至上主義が覇権をにぎった理由

こうして日本は「投資をするだけで製品・サービスを作らない国」に向けてひた走った。

だが、「ヒトよりカネが大事」ならば、それを管理するヒトはコストでしかない。日本の労働者は、価値創造(=顧客をはじめとした社会に価値をもたらす経営の主眼)の主役という立場から、投資に付随するただの管理コストという立場に追いやられてしまったのである。

しかも、デフレ下の経営では、実際にカネの価値が上がってしまった。そもそも、デフレの定義に「カネの価値が上がること」が含まれている。このとき、希少資源を集める会社が経営上も成功することは、経営学研究において何度も確かめられた事実である。

そのため、希少資源となったカネに好かれる経営者、投資家受けのする経営者、生まれたときからカネに恵まれていた経営者が、経営上も成功してしまったのである。

読者の皆様にとっても、「デフレ下の平成時代に名を挙げた経営者」のイメージは、大組織を作り上げる人間味あふれるリーダーというよりも、知名度のわりには何の仕事をしているのかよくわからない投資家的なリーダーという印象があるのではないだろうか。

◆アメリカは「日本から学んだヒト重視の経営」にシフト

これは、昭和の円安・インフレ期に台頭した経営リーダーが、松下幸之助や本田宗一郎のような他人から「オヤジと一緒に働きたい」と慕われるような人物だったのとは好対照をなす。

ここまで述べてきたように、日本はインフレからデフレに大きく触れる中で、ヒトとカネの相対的な価値が入れ替わり、ヒト重視の経営思考からカネ重視の投資思考へと集団パニック的に移行してしまった。しかし、そもそも投資思考は大きな格差を生み日本の文化や制度と共存しえないものだった。だからこそ現代日本には多くの歪みが生まれているとも考えられよう。

なお、過去の日本の「カネよりヒト」な経営の優位性はアメリカ大統領にも認識され、日本の経営思想を取り入れたアメリカ企業を大統領が直々に表彰するマルコムボルドリッチ国家品質賞が創設されたほどだ。

さらに補足すれば、レーガン大統領はプラザ合意時の大統領であり、マルコムボルドリッチはレーガン大統領の右腕として円高・ドル安を強硬に主張した商務長官だ。アメリカは片方でプラザ合意や様々な協定で日本企業の成長の芽を摘みつつ、片方で日本企業の強みを冷静に取り入れていたわけである。

<TEXT/岩尾俊兵>

【岩尾俊兵】
慶應義塾大学商学部准教授。平成元年佐賀県生まれ、東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程修了、東京大学史上初の博士(経営学)を授与され、2021年より現職。第37回組織学会高宮賞著書部門、第22回日本生産管理学会賞理論書部門、第36回組織学会高宮賞論文部門受賞。近刊に『日本“式”経営の逆襲』(日本経済新聞出版)

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