がん治療をめぐって、家族や本人のあいだでトラブルになるケースは少なくありません。その原因の多くは、がんで家族を失う恐怖とがんに対する知識の欠如がほとんどです。本人にとっては家族を思っての行動かもしれませんが、度を越えてしまうと老後破産や家族関係の崩壊に至ってしまう恐れがあります。本記事では、山内さん(仮名)の事例とともに、がん治療をめぐるトラブルへの対処法と正しいがん知識の身につけ方について、株式会社ライフヴィジョン代表でCFPの谷藤淳一氏が解説します。

7年のがん闘病と終末期の訪れ

東京都足立区在住、年金生活者で69歳の山内義則さん(仮名)。

家族は同い年の妻と長男、長女の4人。山内さんは大学卒業後、ビル管理会社に約40年勤め65歳で引退。妻は60歳まで夫の扶養範囲内のパートで家計を支えてきました。2人の子供はともに大学まで卒業し、就職。現在は2人とも結婚し、長男は北海道、長女は山内さんの自宅の近所に暮らしています。

2人の子供の学費や住宅ローンの支払いを終え、夫の退職時に3,500万円の貯蓄も確保。65歳の年金生活開始時、夫婦の老齢年金は毎月あたり手取りで26万円ほど。家計的に特に不安はない状況でした。

唯一の心配事は、山内さんが62歳のときに発覚してここまで治療を続けてきている大腸がん。早期で発見できたため手術を受けてがんを無事に切除、その後は再発予防の投薬治療を続けてきましたが、4年前ちょうど定年退職直後にがんは肺へ転移。

その後も肝臓や骨への転移が見つかり、その度に主治医から提案された放射線治療や抗がん剤治療などの標準治療といわれる治療を受けてきました。医療保険やがん保険などには加入しておらず、山内さんは当初、自分の治療費で妻の老後資金がなくなってしまうのではないかというお金の心配ありました。しかし、治療費はここまで累計で200万円ほどで、貯蓄を大きく取り崩すことなく対応することができました。

主治医からの突然の「治療終了」宣告

ところが先日の検査で転移したがんが大きくなっており、抗がん剤が効かなくなってきていることが発覚。主治医からはその抗がん剤治療の終了とともにがんの標準治療をやり尽くした旨を伝えられ、今後は在宅医療などへ移行し、必要に応じて緩和ケアなどを受けることを勧められました。

山内さん夫妻といつも病院に同行していた長女の3人は、病院内のがん相談支援センターで今後の対応などについてアドバイスを受けて帰宅し今後のことについて相談。そこでこれまで辛い副作用にも耐えながら治療を受けてきましたが、今後はいままで控えていた旅行などできる限り好きなことをして過ごしていこうと3人で話しました。

がん治療についても1つの節目を迎えて3人で話をしたこともあり、仕事で北海道に暮らす長男へも報告することに。長男は遠方に住んでいてここ数年会う機会もなく、本人からも特に山内さんのがんのことを聞かれることもなかったため、気をつかわせても悪いという思いから、あまり情報を共有することもありませんでした。

妻が電話で転移したがんが大きくなっていてこれ以上治療方法がないこと、今後は在宅医療などを考えていくことなることなどを伝えると、長男は電話口で突然怒り始めて、近いうち帰るので勝手に話を進めるなと捲し立てられました。

 突如がん治療に口を出し始めた長男

一週間後の休日のタイミングで長男が北海道から数年ぶりに帰ってきて家族4人が集まりました。冒頭から長男は「突然治療が終了などおかしい」「医師が手抜きをしている」と訴え始めます。そしてそれにとどまらず、ただただそんな主治医のいいなりになっている3人に対し叱責する言葉を浴びせます。そしてなにより自分にひとことも相談もなく結論を出してしまっていることに対しても憤慨しています。

いままで3人でさまざまな負担に耐えながら頑張ってきたにもかかわらず、いままでほとんど関わってこなかった長男にいきなり責められ、とまどった3人。ただ、山内さん自身は自分ががんになってしまったせいでこうして家族が苦しい思いをしてしまっていること、また妻と長女はそばにいながらしっかりサポートできていなかったのではと、それぞれ自分を責める気持ちになってしまいました。

それに対し長男はいままでかかった病院が悪く、そんな病院の医師のいいなりになってはだめだと主張します。治療の選択肢はまだあるので可能性がある限り治療をするべきだといい、自分で調べてきたがん治療をパソコンで見せてきました。そこには、

副作用が少ない先端医療のがん治療

■体中に転移した末期がんが消えた!

といった魅力的なキャッチフレーズが書かれていて、どうやら『免疫療法』というがん治療が存在するようです。

1クール400万円以上の免疫療法を勧める長男

いままで主治医からは一度も聞いたことがないような治療方法で半信半疑の3人でしたが、長男は「医師が年寄りで最新のがん治療を知らないからだ、もしくは自分でできない治療だからいじわるで教えてくれなかったのだ」といいます。

実際その免疫療法の内容を見てみると、自分の免疫を高めてがんを叩くというとても理にかなった治療方法という感じがして、さらに副作用が少ないならば受けてみる価値はあるのではという気にもなってきました。

ただ費用面ですが、3週間に1回通院しそれを5回で1クール、健康保険証がきかない自由診療のため1クール400万円以上とかなり高額です。1クール終了時に効果を確認して引き続き行うかどうか判断するようですが、続ける場合、再び同じ費用がかかるようです。

山内さんは自分の治療費で貯蓄をたくさん使うことは忍びなかったのですが、「いままで健康保険証がきいた安い一般的な治療しか受けなかったからよくなかったのだ」と長男はいいます。結局お金は貯蓄もまだあるということで長男の言い分を受け入れ、山内さんたち3人は後日そのクリニックの無料相談会に参加して治療を受けることとなりました。

がんがさらに悪化し、治療終了へ

山内さんは長男が勧めた免疫療法のために3週間に1回の通院を開始しました。1クールが終了したところで医師から今後治療効果が出てくる可能性があるという見解だったため、2クール目も受けることになりました。

ところが治療開始から5ヵ月を過ぎたところのある日、突然体調不良となり以前かかっていた病院に緊急入院となりました。

以前の主治医の診察を受け、これまでの免疫療法のことなどをすべて話したのですが、主治医からはいま受けている免疫療法は科学的根拠に乏しく効果も期待できない治療であること、数千万円の老後の貯蓄をすべて使い果たし裁判沙汰になっているものもあるなど問題点を指摘され、以前勧めたように在宅医療の体制をとって適切な緩和ケアなどを受けることをあらためて勧められました。

結局免疫療法は終了して主治医の勧めのとおり在宅医療に切り替えることにした山内さんですが、約5ヵ月の免疫療法期間で以前よりも体調が悪化、体力的にも弱ってしまい、楽しみにしていた旅行はもはや難しい状態となってしまいました。

「わけのわからない治療を強引に勧めて約1,000万円のお金をドブに捨て、おまけに父親の体調を悪化させた」と、今度は長女が長男を糾弾しはじめて争いとなり、それを妻がなんとか収めようと苦悩している姿を目にし、あらためて山内さんは「自分のがんのせいで」と、深い落胆の気持ちになってしまいました。

知識の欠如が招く老後破産と家族崩壊

今回の事例において、主治医から積極的ながん治療の終了が伝えられ在宅医療への切り替えを勧められたにもかかわらず、家族の主張を受け入れ自由診療の免疫療法を選択。結局大した効果も得られず、むしろ体調が悪化して再び在宅医療に移行を目指すという事態になったのはどういったことが原因だったのでしょうか。

ひとつあげられることとして、医療やがん治療に対する基本的な知識の欠如があります。事例の長男は「健康保険証がきいて受ける治療は費用が安くいい治療ではないため、高額な費用をかけていい治療を受けるべきだ」といった主張をしたわけですが、それは不適切な判断だといえるかもしれません。

健康保険証が適用で小さな費用負担で受けられる治療は、数多くの臨床試験のデータなどから患者さんに提供されるべき治療であると、国が推奨している治療です。がん治療の場合、それを『標準治療』といい山内さんもその国が推奨する治療を受けてきました。

ただ、その標準治療も無限に存在するわけではなく治療が長期化した場合、今回の事例のようにどこかで終了するときが訪れることがあります。そういった日本のがん治療のしくみを知っていないと、その状況になったときに病院や医師に見捨てられたと誤解し、不安定な精神状態になってしまう可能性があります。

そして家族間での情報の共有がない場合に、家族間の不和を招きその後の判断に影響をおよぼす場合もあります。

今回の事例では長男以外の3人は知識がないなりにも、主治医やがん相談支援センターで話を聞き、主治医の勧めに応じて対応しようとしましたが、数年間情報が無かった長男は突然治療が終了という事実だけ突き付けられ、がんで家族を失う恐怖心から衝動的な行動に出て、結果家族間での争いを引き起こすことになってしまいました。

インターネット上のがん治療情報は玉石混交

いまはインターネット上であらゆる情報が得られるようになっています。当然がん治療に関する情報も同じです。ただインターネット上には膨大な量の情報が存在し、知識がない状態でそれらを見ても、どの情報が信頼できるものか判断することはかなり難しいかもしれません。

国のがん対策のなかでもこのことは問題視され、がん患者やその家族が信頼できる適切ながん治療情報にアクセスできるための取り組みが課題となっています。

実際がん治療においては自由診療で行われる高額な費用の治療が多数存在し、身近なクリニックでそういった治療が行われています。また、医療以外でも「〇〇でがんが消えた!」といったキャッチフレーズで水、健康食品サプリメントなどの勧誘をするサイトも多数存在し、なかには詐欺的なものもあって国も注意喚起をしています。

こういったことをあらかじめ知っておくと、情報の接し方にも慎重になり慌てて結論を出すことがなくなるかもしれません。

老後破産を防ぐために必要な知識の準備

昭和56年以降がんは日本人の死因の第1位であり毎年約100万人が診断されているため、老後不安の原因のひとつであるといえます。それに対し現役時代から老後のがんの備えとして何をするかというと、一般的には、

■お金を貯めておく

■がん保険に加入しておく

という行動をとる人が多いかもしれません。ところがお金の準備をしていてもお金を使うにあたっての判断力、すなわちがんやがん治療に関する知識がなければ、衝動的な判断をして高額な治療に傾倒して数千万円単位の出費となり、たちまち『老後破産の危機』を招く可能性があります。

またがんは家族単位の戦いともいわれています。今回の事例のように家族間で知識や情報レベルに格差があると、大事なときに意見の衝突などで家族の協力関係が壊れてしまい、それが『老後破綻の危機』につながってしまう恐れもあります。

国もがん対策推進基本計画の中で、がん対策のベースとして「国民ががんを知ること」という方針を示しています。備える対象であるがんという病気のことをよく知り、お金だけではなく知識をはじめとした必要な準備をしていくことが大切です。

まとめ

「老後が不安だ」と感じ、老後の準備を考える時間がある現役時代に、資産形成と同時に安心して生きていくために必要な知識(知恵)を蓄積していくという発想も大切であるといえます。

まさにいまがん保険などを検討しがんに備えたいと思っている方は、お勧めのがん保険選びだけでなく国ががん対策として国民に対して求めている「がんを知る」ということに意識を向けてみてはいかがでしょうか。

谷藤 淳一

株式会社ライフヴィジョン

代表取締役・CFP

(※写真はイメージです/PIXTA)