平日の朝・夕のラッシュ時には高速道路、一般道路と問わず渋滞が発生することがあります。実はこのような風景は、江戸時代でも見られたかもしれません。

庶民には見せたくない必死さ?

平日の朝・夕のラッシュ時には高速道路、一般道路と問わず渋滞が発生することがあります。急いでいるときに遭遇すると、焦ったりイラっとするものですが、このような状態は江戸時代からあったようです。2023年11月末に発売された『お江戸はつらいよ 江戸の街は今日もサバイバル!』(彩図社)の著者である水戸 計さんに話を聞きました。

江戸時代、各藩の大名は参勤交代により、1年交替で江戸と国もとを行き来して政務を行っていました。江戸で滞在する際に藩主として重要な公務となるのが江戸城への登城で、水戸さんによると「毎月1、15、28日の定期的なものに加え、五節句、(徳川家の)将軍が結婚した、将軍に子どもが生まれた、などの際に駆けつけることになっています」とのこと。

しかも、これらの公務で粗相があると、自身のみならず藩そのものが幕府から制裁を受けるともあるそうで「よほどのことがない限り休むことが許されず、無断欠勤をすれば処断(罰)を受けることもありました」とかなりプレッシャーのかかる仕事だったようです。

登城するということは、もちろん“出勤”するということですが、これが大問題でした。水戸さんによると、大名であるため、登城にはある程度の大名行列を組んだそうです。この行列を組んでいるのが原因で、江戸城近くは各藩が大人数で詰めかけるため、大渋滞だったのだとか。

江戸城の大手門を過ぎて大手三之門の前までは、大名は駕籠に乗って移動ができたため、馬上や立ちっぱなしで長々と待つことはなかったそうですが、“渋滞”で登城時間に遅刻しないように、かなり神経すり減らしていたようです。

「登城時間は決まっており、混んでいるからと変更することは許されませんでした。そのため、各大名は遅刻を恐れ、たとえ藩邸が江戸城から近くても、到着時刻の数時間前には出勤したと伝えられています」と水戸さん。電車の遅延証明書のようなものもない、完全に時間厳守の仕事でした。

しかも、藩の格の差も明確に決められており、小さい藩の場合、格上の藩の行列に出くわした際に、ペコペコしなければならないため、リスクを回避するべくかなり遠回りをする必要もあったそうです。庶民に他藩のお殿様にペコペコしている姿など見せられないからです。メンツと藩を守るためには並々ならない配慮と余裕を持った行動が必要でした。

渋滞のイメージ(乗りものニュース編集部撮影)。