お笑いコンビ・麒麟の川島明(44歳)が、12月3日に放送されたバラエティ番組「人生を変えた言葉 たった一言で救われる人がいる」(RKB毎日放送TBS系)に出演。自信を取り戻せた“くりぃむ有田の言葉”をテレビ初告白した。

あの一言で救われた…苦しいときに自分を支えてくれた「人生を変えた言葉」を紹介する同番組。MCの川島は「うちらのコンビは極端で、まず、M-1とかで2人で頑張ってたけど、急に相方が本書いて、『ホームレス中学生』って225万部売れて。どこ行っても『先生!先生!』って言われて。まあかなりの格差。年収で言うたら単純に2億円つけられて。相方の仕事に僕ついていかせてもらって、僕にはピンマイクつかへんとか。全然、それは当たり前の話で」と、相方・田村裕の著書が大ヒットした2007年頃の話を切り出す。

川島は「マネージャーに『オレもなんか頑張りたいから、一人の仕事取ってきてくれ』って言うたら、『取ってきました!』って言ってくれた仕事が、お笑いファンの人と一緒にボウリングするっていう仕事やった。(東京・)田町の『ハイレーン』行って。オレのファンでもないのよ、それ。お笑いファン。後から聞いたらジャルジャルとか好きな4人組の女の子と一緒にボウリングするっていうだけ。マイクも何もなく。盛り上げるっていう。『取ってきました!』ってマネージャーが言うから。『何それ!なんじゃその仕事!』って思ったけど、マネージャーも頑張って、ギャラも発生するからやらなアカンって」と、謎のボウリング仕事に向かったという。

そして「ボウリングして8フレームくらいかな、オレがワーッてやってストライク、『イエーイ!』ってファンの人が4人いて、ハイタッチ、パン、パン、パンって4人目のときパンってやったら、頭の線がパンッて切れたんですよ、なんか。『なにこれ?』ってなったんですよ。『なにしてんの?』ってなって。相方は『先生!』って呼ばれてテレビ出て、全然意味わからんと。ここからゴールデン(番組)とかいけるの? みたいな」と、完全に我に返った瞬間があったそうだ。

そんな時代の川島は「『どうしよう、一から頑張るしかないか』と思ってR-1出たりとか、いろいろやっていた」が、「まったく深夜のテレビしか出てないときに、とあるテレビ局大喜利番組やって。帰ろうってときに全然違う番組やった(くりぃむしちゅーの)有田(哲平)さんがたまたまタクシー待ってはったんですよ。そしたら(有田が)『たぶん次、川島くんだから』。『えっ?』ってなって。なんにも仕事ないんですよ? 『みんなで最近、仲間内で飲んでても、みんな川島くんって言ってるから。たぶん次、川島くんだから』。『ええっ!?』と思って。そんな仲良くもなかった。(面識は)番組ではあるよね。でも飲みに行ったこともないけど、『みんな前評判、スタッフとか、僕ら周りでは、次、たぶんお前の番になるよ』っていうのを、それだけ伝えてくれたの」と、有田からまさかの言葉をかけられたという。

そこからは「『うそやん』思って。ガチガチ」になったというが、「見てる人は見てるよっていうアレなんでしょうね。そこから有田さんの番組にも呼んでもらったり、いろいろ全力でやり出して。ちっちゃい仕事でも全力でやって、ちょっとずつお仕事を増やしてもらって、ですよ。これは、僕テレビで初めて言ってますけど、このひと言、結構すごかった。僕の中で。たぶん有田さんとかその辺の方が、『川島、使ってあげたらええのに』ってどっかで言ってくれてて、呼んでもらったり、有田さんがいないところでも出してもらったり」と、“有田の言葉”のおかげで自信を取り戻せたと感謝した。