先祖代々受け継いだ土地や建物などの資産で、何もしなくても家賃収入を得て楽に暮らしている、と世間からは思われがちな「地主」たち。しかし実際、資産防衛のために、悪質なテナントや大手デベロッパーからの“外圧”に日々苦しめられているケースもあります。地主専門の資産防衛コンサルタント業に従事する松本隆宏氏の著書『地主の真実』より、令和時代の地主たちが抱える深刻な問題を、具体的な事例をもとに見ていきましょう。

【家族構成】

小林謙さん(夫)74歳、芳江さん(妻)、洋一さん(長男)、恵子さん(長女)

※すべて仮名

店舗を経営していて、借金がゼロのケースはほとんどない

2016年。芳江さんの夫・小林謙さんが亡くなった、74歳だった。芳江さんは義母の看病のため毎日病院に通い、さらに子どもたちの世話で忙しくしていて、理髪店の経営にも不動産にもほぼ関わっていなかった。

「父が倒れたときに、まず、借金があるかどうかを調べたんです。何も聞かされていなかったので、法務局へ走りました」と芳江さんの娘・恵子さんは言う。

店舗を経営していて、借金がゼロであるケースはほとんどない。特に複数の店舗がある場合、修繕費用などがかかり、たいていは借金をして経営を回しているものだ。その借金で自宅を失ってしまうような事態は避けたい、と考えたのだ。

「兄は商売を手伝っていたので、商売についてはわかりますが、私はまったく携わっていなかったし、不動産の知識もなくて、もう大慌てでした」(恵子さん)

「理髪店の経営の話はしましたが、不動産については、私はノータッチで、全部父がやっていました」(洋一さん)

幸いなことに借金はなかった。子どもたちの手助けで、小林さん一家はなんとか相続を乗り越えた。

不動産に不慣れだったゆえに、生前から家賃トラブルに見舞われていた夫

亡くなった謙さんは、不動産について詳しいわけではなかった。また、人のいいところがあり、家賃も相場より安くしていた。

「昔ですから信用で貸している部分もあって、契約書も本当に簡易な契約書で、どちらとでも取れるような書き方になっていましたし、今だったら絶対に入れる規約も、当時の契約書には入っていませんでした。テナントで入居していた会社はそこを突いて、契約書にそういう記載がないから、どっちともとれるから、だったら払わない、ということになったのです」(芳江さん)

謙さんが生前に家賃を戻す話をしても、書類で残していなかったので、テナント側は「今払っている家賃が正しい家賃だ」と拒否した。

「法律的には、必ずしも不動産屋さんを入れなくてもいいんですよね。なので父は間に不動産屋を入れなかった。そこがそもそも間違いだったと思います。相手を信用して貸してしまった」(恵子さん)

「借りるときはすり寄ってくる。そういう人たちは、サラリーマンなので異動や退職があっていなくなってしまった。人が代わって、あのとき約束したじゃないですかと言っても、書面に書いてないものは約束していない、となってしまいました」(芳江さん)

相続後に待ち受けていたのは、悪質テナントとの裁判だった

謙さんが亡くなったあとも交渉は続いた。弁護士を介しても、「家賃交渉には一切応じない。10円でも値上げは拒否する」と相手が威圧するため、裁判になった。調べてみると、相手は他の場所でも同じようなトラブルを起こしては裁判沙汰になっている常習者だった。

2018年8月、裁判は小林家が勝訴した。しかし、相手は「立ち退きを迫られた」と主張し、何も片付けずに去っていった。もちろん立ち退きを迫っていない。小林さん一家は原状復帰の費用として、保証金を充当することにし、その状況を大手デベロッパーであるMビルに報告した。

原状復帰費用の負担に加え、デベロッパーの嫌がらせが追い打ちをかける

「原状復帰もせずテナントに出て行かれてしまった」とMビルに告げると、Mビルは「うちに話を通さずに勝手に原状復帰の工事をされては困る」と言い出した。

「では、おいくらでやっていただけますか?」と恵子さんが聞いたところ、とんでもない金額を提示してきた。手元にあった保証金よりもはるかに高額だった。

小林さん一家は自力で原状復帰することにした。しかし、Mビルの嫌がらせともいえる対応があった。

「電気系統1つ触らせてもらえないし、図面すら見せてもらえませんでした。業者にエレベーターを使わせない、という話も聞きました」(恵子さん)

それでも、自分が所有する区画であるので、なんとか原状復帰はできた。

例の悪質テナントはMビルの原状復帰費用が高額であることを知ったうえで、借りては投げ出す、というやり方の常習犯だった

「他でも同じように裁判になっているらしく、いろいろと手段を知っているんです。弁護士さんは、係争すれば何とかなるとは言いますが……その金額で済むのなら、これ以上こちらに関わらないという条件を判決文につけてもらって裁判を終わりにしたんです」と芳江さんは言う。

一難去ってまた一難……今度はコロナ禍が家賃収入を直撃

次はよいテナントに入ってほしいと切実に願った。だが、1件決まりかけたところで、世間はコロナ禍になった。

家賃収入が途絶えた。リモートワークの普及で、人々はオフィスに足を運ばなくなった。人の流れはなくなり、結果として、テナントは次々と退去し始めた。それでも管理費や積立金はMビルに毎月支払う必要があった。

「Mビルさんといろいろあったり、テナントが入らない時期が続いたりして、ここらで“潮時かな”という感じになりました」と恵子さんは言う。

好立地ではあったが、高額な管理費がネックとなり、テナント入居が難航

小林さん一家が所有していた2つの区画は、地下鉄の駅に直結していた。周辺はオフィス街で飲食店は少なく、テナントに困ることはないと思われた。

「立地的には申し分のない場所だと思っていました。でも、実際はなかなか厳しかったです」(恵子さん)

問題は稼働率にあった。Mビルの都合で、平日の営業時間は朝8時から夜10時まで、土日祭日は休業。入り口のシャッターが閉まると人通りがなくなる。ビル前の道はかつて大学病院への近道だったが、再開発でその通行人もいなくなった。

さらに、Mビルの高額な管理費が家賃を押し上げる要因になった。保証金は家賃の10か月分で、零細企業や個人事業主には手が出ない

「入るときも出るときも、すごくお金がかかるということで、大手しか借り手がつかない状態でした」(恵子さん)

そして、Mビルの関連会社が間に入っている関係で、原状復帰費も高額。内装だけでも1,000万~2,000万円になる。もしも裁判になった悪質テナントのように原状復帰しないで出ていかれてしまうと、小林さん一家が負担することになってしまう。したがってオーナーとしては、ある程度の敷金は預からざるを得ない。

コロナ禍が続き、テナントは思うように決まらなかった。

「主人はあそこがあれば暮らしていけるだろうと思っていたのでしょう。亡くなったあとにこんな苦労をしているとは、思ってもみなかったでしょうね」(芳江さん)

松本 隆宏

ライフマネジメント株式会社

代表取締役

(※写真はイメージです/PIXTA)