日本では社会保障給付がすさまじい勢いで増え続けている。給付の増加はイコール負担の増加であり、そのしわ寄せは明確に若手世代へ行くことになる。数字から実情を探る。※本連載は島澤諭氏の著書『教養としての財政問題』(ウェッジ)より一部を抜粋・再編集したものです。

政治・経済状況によって変化してきた、給付額の伸び率

日本の歴史・文化、伝統、家族形態の変遷に応じて、日本の社会保障制度は展開されてきた。戦後の社会保障制度の拡充において社会保障給付総額は、基本的には増加基調にはあったものの、一様に増加したわけではなかった。

実際、その推移を見ると、1950年には1261億円だったものが、1963年には1兆円、1975年には10兆円、1991年には50兆円を突破し、2009年に100兆円に達した後、足元の2022年(当初予算ベース)では131.1兆円にまで増加している。

ただし、増加の仕方は時代を通じて一定ではなく、制度が創設された当初は、年平均1950年代は16.4%、1960年代は15.9%と高い伸びを示し、さらに1973年田中角栄内閣による「福祉元年」を機に老人医療費の無料化、医療保険における高額療養費制度や年金の物価スライド制度の導などの大盤振る舞いが実施された1970年代では20.1%と非常に大きく伸びたことが分かる。

しかし、二度のオイルショックを経て高度経済成長が終焉し、安定成長に移行するといった経済状況変化や、「増税なき財政再建」に対応するため社会保障の給付の抑制が行われた1980年代以降は、1980年代6.2%、1990年代4.7%、2000年代2.6%と伸び率は低下を続けたが、足元の、2010年代では、急激な高齢化の進展もあって2.0%となっている。

近年伸び率が著しい「介護給付」

次に、社会保障を、医療、年金、福祉その他に分けて推移を見る。まず、医療については、1950年には646億円だったものが、1966年には1兆円、1980年には10兆円を突破した後、1992年に20兆円、2007年に30兆円を突破し、足元では40.7兆円となっている。

次に、年金については、データが福祉その他と区分できる1964年では3056億円だったものが、1971年には1兆円を突破し、1980年には10兆円、2008年には50兆円に達したあと、足元では55.5兆円となっている。

さらに、福祉その他については、1964年3091億円と年金を上回る水準だったものが、翌年には年金が規模を上回り、1兆円を超えたのが1973年、2000年には10兆円を上回り、足元では27.7兆円、うち介護は10.7兆円となっている。

伸び率は同じ動きを示し、1970年代では2ケタの伸びを示していたものが次第に低下し、特に年金は2010年代では0.7%と非常に低くなる一方、近年では福祉その他の伸びが大きく4.5%、2000年に創設された介護保険は4.2%と他の項目を大きく上回る伸びを示している。

70年間で646倍になった社会保険料負担

給付が拡大するならば、当然それに応じて負担も増加する。

名目GDPと社会保険料負担の長期的な動きを見ると、今から70年ほど前の1951年に比べ名目GDPは102.1倍になったのに対し、社会保険料負担はそれをはるかに上回る645.8倍になっている。所得が増えても社会保険料がそれ以上に速いスピードで増えている。これでは手取りが増えず生活にゆとりが生まれない。

家計単位で見た場合、所得と社会保険料の関係はどうなっているだろうか。総務省統計局「家計調査」により、1985年に35~39歳だった、いわゆる団塊の世代と、2019年に同じく35~39歳だった、いわゆる就職氷河期世代の懐具合を見てみよう。

所得は就職氷河期世代が経済成長の効果もあって団塊の世代よりも13%増加したものの、税・社会保険料負担が36.7%、約4割も高くなっている。特に、社会保険料の負担の増加が大きく71.9%、7割以上増加している。

その結果、将来不安もあってか、所得が上回るはずの就職氷河期世代で消費水準が団塊の世代を下回っている。これでは、若者が豊かさを実感できないはずだ。逆に言えば、社会保障制度のスリム化がなければ、今後も一層の家計負担増が避けられない。

残り続ける「右肩上がり時代」の構造

こう書くと、「消費税導入前と比べて社会保険料が上がっているなんて、やっぱり消費税社会保障に使われていないんだ」と早合点されそうだが、なぜ消費税導入前よりも社会保障負担が増えたかと言えば、元々は少ない高齢者を豊富な現役世代が支えるねずみ講型の社会保障制度(詳細は後述する)を、人口ピラミッドがひっくり返った今でも後生大事に守り続けているのが一番大きな理由だ。

実際、1985年当時、15~64歳の生産年齢人口は全人口の68.2%を占める一方、65歳以上の高齢者は10.3%、うち75歳以上の後期高齢者は3.9%だった。これが2020年では生産年齢人口は59.5%へ低下し、745万人減少したのに対し、高齢者は28.6%、うち後期高齢者は14.8%に上昇し、それぞれ2356万人、1389万人も増加している。

1985年当時は生産年齢人口6.6人で一人の高齢者を支えていたのが、2.1人で一人の高齢者を支えているのだから、保険料が増えるのは当然なのだ。逆に言えば、所得のない高齢者でも負担できる消費税社会保障を支えようとする現在の政府の方針はごく自然な発想だろう。

成長率予測や株価予測、為替予測、景気予測など世の中に数ある予測の中で、比較的予測が当たりやすいのは人口予測だとされている。もちろん、ピタリ一致の予測は不可能だが、大まかな動向に関しては高い精度で予測できる。

したがって、当然1985年当時においてもバブル期においても、今後、少子化高齢化の波が押し寄せてくることは確実視されていたし、社会保障制度の改革も断行されていた。しかし、肝心のねずみ講構造に関しては一切手が付けられず、少子化対策や経済成長頼みに終始した。

これは右肩上がり幻想とも言えるもので、今を耐え忍べば元通りの右肩上がりの人口・経済が戻ってくると考えたに違いない。意地悪な見方をすれば、何かしら対策を打っている体を装ったうえで、自分たちの負担が増えるのが嫌で意図的に制度改革を行わず放置した可能性も考えられる。

若者奴隷国家・ニッポン?

自分たちよりも何倍も重い負担をしている現役世代を尻目に「昔は消費税なんてなかった」とか「消費税社会保障に使われていない」とか「後期高齢者医療保険の保険料引き上げ絶対阻止」とか真顔で大騒ぎしている高齢者、特に団塊の世代は、経済成長の果実を食い潰し、あまつさえ将来世代の資源すら食い潰そうとしていることをもっと自覚すべきだ。

ちなみに、団塊の世代が35~39歳のときの1985年、65歳以上の高齢者が受け取っていた社会保障給付は実質で5万8876円だったのに対して、2019年では、団塊の世代を含む高齢者は15万9913円と当時の2.7倍の給付を受け取っている。また団塊の世代が受け取っている給付額は1985年に支払った社会保険料の2.2倍となっている。

要するに、支払った以上に給付を受け取っているのであり、この差額は現役世代や将来世代の負担に他ならない。

これでは、現役世代や将来世代がまるで高齢者の「奴隷」のように感じられてしまう。戦後のキャッチアップ期の労働力としては重宝したのかもしれないが、キャッチアップ終了後に戦前戦中世代から日本の舵取り役を任されてからは全く結果を残せなかった団塊の世代は恥を知るべきだ。

違うと言うのであれば、政治的影響力を行使して自ら「低負担高給付」の社会保障「特権」を返上し、生活苦に喘ぐ現役世代や若者たちから取り上げたおカネを彼ら彼女らに返還すべきだろう。

島澤 諭 関東学院大学経済学部 教授

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