企業の文化や業務内容をよく理解した元・社員は重要な財産です。退職した社員と完全に縁を切り「出戻り」の機会を奪ってしまうことは、“人手不足”が叫ばれる昨今においては、企業にとっての大きな損失にもなり得ます。ただ、再雇用の基準や待遇面など、アルムナイ採用についての現社員の理解を得ることなしにこうした動きを進めれば、思わぬトラブルに発展するリスクも。本記事では、社会保険労務士の涌井好文氏が、アルムナイ採用の概要と制度導入にあたっての留意点を解説します。

卒業生・同窓生の意「アルムナイ」…人事領域で注目の背景は?

アルムナイ」という言葉は、まだまだ耳慣れないものかもしれません。しかし、少子高齢化の進展により労働力の確保が困難になっている現代の日本において、注目のキーワードでもあります。

アルムナイとは、卒業生や同窓生を指す英単語の「alumni」が元になっている言葉です。本来卒業生などを意味する言葉ですが、人事領域においては、自発的退職者など、定年退職以外の理由により自社を離れた退職者を指します。また、アルムナイはそれらの退職者を採用する制度の名称として使用される場合もあります。

いま日本企業にアルムナイ活用が求められるワケ

定年以外の退職理由としては、給与をはじめとする待遇面への不満や社内の人間関係、仕事にやりがいを感じられない……といった理由が挙げられるでしょう。

しかし、終身雇用を前提としていたかつての日本企業では、病気やケガといったやむを得ない理由を除けば、定年以外の退職理由は歓迎されませんでした。退職者を敵対視し、「恩知らず」「裏切り者」といった心ない言葉を投げかける人も珍しくありませんでした。

しかし、すでに終身雇用制は過去のものとなっています。現在の日本では、より良い待遇を求めての転職は珍しいことではなく、むしろ前向きな転職は評価される向きすらあります。

そんななか、企業規模や業種を問わず、労働力の確保が多くの企業に共通の喫緊の課題となっています。労働力確保のため、外国人材の活用拡大や70歳までの雇用確保措置など、政府もさまざまな対策を打ち出しています。

このような状況下にあって、アルムナイの採用が、有効な労働力確保の手段になり得ると期待されているのです。

即戦力としての活躍に期待…大手企業によるアルムナイ活用事例

労働力の確保が困難になって採用競争が激化し続けるなか、自社の退職者を採用するアルムナイ活用は有効なアプローチとなり得ます。人材確保に頭を抱える企業にとってアルムナイの存在感は日に日に増しており、事例も続々と増えています。

三井住友海上火災保険は22年9月にアルムナイネットワークを設立しています。退職者とのつながりを絶たず、企業のいまを伝えることで関係を維持する同社の取り組みは、アルムナイとの協業やビジネス連携に繋がり、同社の可能性を広げることになりそうです*。

また、19年に従来の自動車メーカーとしてのビジネスモデルを大きく転換し、モビリティカンパニーの実現を目指すと発表したトヨタ自動車も、22年3月より公認のアルムナイネットワーク構築に乗り出しています。

人やモノの移動を先端技術で支援するモビリティカンパニーの実現には、ほかの企業を経験し、知見を広げた多様な人材が重要なカギとなるはずです**。

さらに、地銀最大手の株式会社横浜銀行でも23年2月から「横浜銀行グループアルムナイネットワーク」の運営を開始しています。地銀初のアルムナイネットワークを立ち上げた同行は、退職後、他社・他業態等でキャリアアップした人が、さらなる活躍のフィールドとして同行を選択し、力を発揮することを歓迎するとしています***。

現在の銀行業務では高い専門性が求められ、人事におけるポートフォリオの転換を余儀なくされています。そのような状況で、他社や他業において、キャリアアップしたアルムナイは、即戦力としての活躍が期待できるでしょう。

*日本経済新聞(2022年8月29日)『三井住友海上、中途退職者を組織化 再入社の候補者に』より

**日本経済新聞(2023年7月26日)『トヨタ、退職しても交流 専用サイトで再入社後押し』より

トヨタ自動車ホームページ『アルムナイ採用』(https://www.toyota-recruit.com/career/recruit/alumni/)

***日本経済新聞(2023年2月28日)『銀行・保険、元社員を積極採用 横浜や野村は交流組織』より

横浜銀行ホームページ『アルムナイ採用制度』(https://www.boy.co.jp/recruit/return.html)

企業のブランディングにも貢献…アルムナイのメリット

上にみた導入事例からは、アルムナイのメリットが浮かび上がってきます。

まず、最大のメリットは「即戦力人材」を確保できること。他社・他業界でさまざまな経験を積んだアルムナイは、採用後の教育を行わずとも即戦力として活躍してくれます。

また、自社の内情に明るいことも、採用後の業務を効率的に進める上で重要なポイントとなります。

アルムナイネットワークを構築することで、企業とアルムナイの新たな関係性構築につながる点もメリットといえそうです。従来の日本企業のように退職者との関係を完全に絶ってしまうのではなく、つながりを持ち続けることで、従業員ではなくとも“パートナー”や“顧客”として、新商品の情報拡散やPRへの協力を行ってくれる可能性もあるのです。

また、アルムナイネットワークは情報源としても活用可能です。多様な業種・業態で働くアルムナイは、交流会などのネットワークを通して自社に得難い情報を伝えてくれる存在です。

また、アルムナイ採用を行うことで、「退職者が戻ってきたいと思える企業」であるという証明にもなります。これは、企業のブランディングにも大きく貢献することでしょう。

アルムナイ活用を検討する際の注意点

ただ、アルムナイ活用について「単なる退職者の再雇用でしょ」と認識していては、メリットを活かしきれないどころか、大きなしっぺ返しを喰らうことになるかもしれません。

まず、アルムナイを活用するためには、現役社員の理解が欠かせません。終身雇用制が崩壊して転職が一般的になったとはいえ、まだまだ退職者について良く思っていない現役社員がいる可能性もあります。そんな現役社員に対し、アルムナイは敵ではなく、自社に有益な存在であることを丁寧に説明する必要がありそうです。

一般的に、定年退職後の再雇用については、定年前に比べて給与が低水準に抑えられるケースがほとんどでしょう。しかし、同様の低待遇でアルムナイを再雇用してしまったのでは、アルムナイのモチベーション低下は必至。とはいえ、現役社員に比べてあまりにも高い待遇で雇い入れたとすると、現役社員の不満を生んでしまうリスクも。アルムナイの社外でのキャリアについて、客観的な評価を行った上で妥当な条件を提示することが重要です。

次に待遇面。いままさにアルムナイのスキルや経験を求めているのだとしても、あまりにも良い待遇で雇い入れれば、現役社員の不興を買うことになるでしょう。とはいえ、反対に待遇が悪すぎれば、当然のことながらアルムナイ自身のモチベーション低下は避けられません。あくまでも、アルムナイの社外でのキャリアについて客観的な評価を行った上で妥当な条件を提示することが重要です。

最後に、アルムナイとのつながりの保ち方について。アルムナイと「つながり続ける」には、自社の現況や今後のプロジェクトについて伝えることも必要な場面があるはずですが、そうした場面で注意しなければならないのが、情報漏洩のリスクです。ある意味では「身内」ともいえる元社員に対する心理的な安心感から、企業の機密情報を伝えるようなことがあってはなりません。

これらの注意点を守らなければアルムナイの活用は難しく、逆に職場における不協和音や業務停滞を招く恐れもあります。

しかし、優秀な即戦力人材を確保する手段として、アルムナイは大変効果的です。導入に掛かるコストや手間を勘案しても、検討に値する人材獲得施策になるでしょう。

退職者は、敵ではありません。

他社・他業界で知見を広げたアルムナイは、即戦力として多様な業務に対応可能な優れた人材であり、これを積極的に活用することで、企業の発展を大きくバックアップしてくれるのです。