映画『マルサの女』で有名になった国税局査察部(通称マルサ)。特定の税務署に設置される「特別調査部門(トクチョウ班)」はその登竜門ですが、トクチョウ班は案内板にも職員録にも記載されない“シークレット部隊”だと、元マルサで税理士兼住職の上田二郎氏はいいます。上田氏が「トクチョウ班」統括官時代の経験から、「消費税法改正」に大きな影響を与えた脱税の事例を解説します。

確定申告直前の「無予告調査」に、パニックのX社

関与税理士確定申告直前だぞ! 無予告調査とは、けしからん!」

筆者「必要があって調査をしております。ご協力願います」

関与税理士「納期が間に合わなかったら営業妨害で訴えるぞ!」

――2月10日の朝、筆者が指揮する個人課税部門「特別調査班(トクチョウ班)」は法人部門と連携し、歯科技工会社(X社)と、8名の歯科技工士の自宅に一斉に踏み込んだ。事前に連絡はしておらず、“無予告”での調査である。

X社は、実際は「従業員」である歯科技工士を「個人事業主」に見せかけ、X社が外注費を支払う形にすることで消費税の脱税を図っていたのだった。

確定申告直前に無予告で踏み込まれ、しかも、社員のほとんどが自宅で拘束され出勤できない状況に追い込まれたX社は、パニック状態に陥った。代表者も関与税理士も脱税スキームを認めず、「納品の遅れによって相手方に損害賠償請求される可能性がある」と猛烈な抗議の電話をかけてきた。

しかし、トクチョウ班が調査した歯科技工士のなかには、「自分の所得として申告しているが、個人事業主の認識はない」と、ダミー申告を認める者もいた。

消費税社会保険料の負担を免れるX社の「仕掛け」

消費税法では、その課税期間の基準期間(個人事業主なら前々年、法人事業者なら前々事業年度)の課税売上高が1,000万円以下の事業者は、消費税の納税義務が免除される。

平成23(2011)年の消費税法改正前、個人事業主資本金1,000万円未満の新規設立法人は、基準期間がないため原則的に開業後2年間は免税事業者になった。しかし、基準期間の課税売上高が1,000万円以下でも、前年の1月1日(法人の場合は前事業年度開始の日)から6ヵ月間の課税売上高が1,000万円を超えた場合には、課税事業者になるように改正した。

X社の脱税スキームは、「人件費(給与)は消費税の仕入控除ができないが、外注費なら控除できる」ことを狙っていた。従業員をフリーランスとして独立させ、2年間だけ個人事業主として確定申告をさせる。そして3年目に廃業すると、従業員には消費税の納税義務が生じない。

一方、会社は支払った外注費に対する消費税を控除することができ、社会保険料の負担を免れることができるのだ。

雇い主が廃業後、従業員に雇われている…申告書に見えた「謎」

このX社の動きを見破ったきっかけは、歯科技工士(個人事業主)Aの“不自然な廃業”だった。

Aは開業1年目、2年目とも約5,000万円の売上で申告していたにもかかわらず、3年目に入りたった1ヵ月で突然の廃業。しかし、ひと月の売上だけで400万円もある。Aにはその下に10名の従業員がいるが、こんなに売り上げているのに突然の廃業では困るだろう。「消費税逃れでは?」との疑念が浮かんだ。

こうなってくると、怪しいのはAに「外注費」を支払っているX社だ。申告書を確認すると、買掛金(支払先)の内訳から新たに不審な歯科技工士が浮かび上がる。正確ではないが、おおよそ2年ごとに外注先の歯科技工士を変更しているようだ。

X社の過去7年間の申告書から外注先の歯科技工士をすべて抽出し、KSK(国税総合管理システム)端末で検索すると、脱税スキームの全体像がくっきりと浮かび上がってきた。

歯科技工士の申告に着目すると、

・平成14~15年分は歯科技工士A、B、Cが個人事業主として確定申告書を提出している。そしてそれぞれ、AにはDを含む10名が、BにはEを含む10名が、CにはFを含む10名の従業員がいる。

・16~17年分になると、歯科技工士D、E、Fが個人事業主として確定申告書を提出している。そして、今度はDにはBを含む10名が、EにはCを含む10名が、FにはAを含む10名の従業員がいる。

・次に18~19年分を見ると、A、B、Cが再び個人事業主になっている。

6年間を並べて分析すると、単に個人事業主が入れ替わっているように見える。

これでも十分“不自然さ”を感じるが、18~19年分の申告に小さなミスが見つかる。従業員の動きに着目すると、16~17年分に個人事業主として申告していたFが、18~19年分に個人事業主に返り咲いたAに雇われていたのだ。

個人事業主だった者が失敗して廃業することは実社会では珍しくない。しかし、不自然に感じたのはFが廃業し、自分の従業員だったAに雇われたことだ。資本主義社会でこの逆転劇は珍しい。

サラリーマンなら人事によってあり得るが、個人事業主が廃業して自分の従業員だった者に雇われることがあるのだろうか……筆者は疑問に思った。

これが「本当に起こった世にも珍しい逆転劇」と考えるよりは、誰かに差配されていると考えるほうが合理的だ。差配したのは、A~Fのすべてに外注費を支払っているX社に他ならない。

全員がほぼ定時退社…筆者の疑問が確信に変わった

X社の張り込みを開始すると、すぐに疑問が解消した。X社の本社は無機質な2階建てで、まるで工場のようだった。中央入口の自動ドア越しにタイムカードが見え、均等な大きさの部屋が左右対称に配置されている。

部屋の中は曇りガラスで見えないが、それぞれの部屋に2~3人の人影が動き、なにかの作業をしているようだ。また、X社前の駐車場には30台ほどの車やバイクが停めてある。

張り込みを開始して1時間が過ぎようとしたころ、終業チャイムが鳴った。腕時計を見ると時刻は午後6時を指している。ほどなくして、X社からたくさんの従業員が一斉に出てきた。

各々タイムカードを押し、玄関を出ると車やバイクで家路を急ぐ。そして、6時30分には全員が退社し、明かりがひとつ残らず消えた。

これはやはり、見るからになにかの工場だ。ここで働いている人たちは従業員で、それぞれが独立した歯科技工士であるはずがない」。

調査終了までに2年…突然のメールで知らされた「結末」

冒頭の無予告調査は、歯科技工士8名(個人)とX社の合同調査を提案して6ヵ月が経った頃のことだった。確定申告直前の調査がX社と税理士に強烈なプレッシャーを与えたことは想像に難くない。

従業員は個人事業主としての体裁を整えるため、X社に納品書や請求書を出しているものの、歯科技工士全員が同じ書式を使っていた。これはX社側が作成したのだろうと思われる。また、歯科技工士がX社に充てた請求書には、タイムカードから算出した残業手当の記述があった。

調査結果は2年後、突然のメールで知らされた。「上田さんが残した歯科技工士の事案が優良事績で紹介されました。2年かかりましたが、やっと結果が出たようです。調査選定の全面勝利です」

メールには追徴税額などの記載はない。筆者がすでに退職していたため、情報漏洩にあたる可能性があって記載できなかったのだろう。

※最後に、筆者も小規模個人事業主としてインボイスに頭を悩ませているひとりだが、本記事は免税事業者を悪用する脱税スキームのケーススタディとして紹介することが目的だ。個別事案の暴露や、脱税方法の紹介を意図したものではないことを申し添えておきたい。

上田 二郎

元国税査察官/税理士

(※写真はイメージです/PIXTA)