ロシアによるウクライナ侵攻は、世界中で同時発生的に起こっているインフレに拍車をかけました。本記事では、元IMF(国際通貨基金)エコノミストで東京都立大学経済経営学部教授の宮本弘曉氏による著書『一人負けニッポンの勝機 世界インフレと日本の未来』(ウェッジ社)から、現状続いているインフレについて解説します。
ロシアのウクライナ侵攻がインフレに拍車
需給の不均衡とパンデミック下の政策支援によってインフレが進行する中、2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻しました。この出来事は、人道的な悲劇を引き起こすだけでなく、世界的な政治・経済の混乱を招き、インフレの加速にも寄与しました。
ただし、ロシアのウクライナ侵攻が現在のインフレの主要因ではありません。2022年2月以前にも、欧米諸国では既にインフレが高進していました。
ロシアのウクライナ侵攻は、近年の世界経済にとって懸念材料であった供給ショックをさらに悪化させています。
小麦やトウモロコシなど、大量の穀物を世界に輸出していたロシアとウクライナ
ロシアとウクライナは、1次産品の主要な輸出国です。例えば、小麦の輸出では、ロシアが世界1位、ウクライナが世界5位で、両国合わせて世界の輸出量の約3割を占めています。
ロシアの侵攻により、小麦の輸出が滞る懸念が広がり、価格が上昇しました。2022年3月上旬には、米シカゴ市場の小麦先物(国際価格の指標)は、1ブッシェルあたり13ドル台後半と、約14年ぶりに最高値を更新しました。
また、トウモロコシも2022年4月下旬には、指標となる先物価格が一時、約9年8か月ぶりの高値水準まで上昇しました。その後、小麦やトウモロコシなどの穀物価格は下落傾向に転じています。
国連食糧農業機関(FAO)が毎月発表する世界食品価格のバロメーター、「食品価格指数」(2014-2016年=100)を見ると、2022年3月は前月から18.5ポイント上昇し、159.7に達しました(図表1)。これは1990年以来の最高値です。
その後、食品価格指数は2023年6月には122.3とピークよりも約2割強下がりましたが、依然として高い値となっています。
ウクライナ進攻によってエネルギー価格も高騰
さらに、ロシアのウクライナ侵攻はエネルギー価格の上昇も引き起こしています。
ロシアは世界的な天然ガス・石油生産国のひとつであり、ウクライナ侵攻の影響でエネルギー資源の供給が不安定になりました。特に欧州は、ロシアからの天然ガス輸入に大きく依存しており、その割合は全体の30%以上にのぼります。
天然ガス価格の上昇はエネルギー価格全般を押し上げ、生産や輸送コストの上昇につながります。これらのコストは最終的に製品価格に反映されることになります。
インフレに強い影響を与えているのは需要要因?供給要因?
ここまで見てきたように、現在のインフレは新型コロナウイルスが引き金となり、ロシアによるウクライナ侵攻が拍車をかけています。
インフレの要因としては、サプライチェーンの寸断や人手不足などの供給要因、また、ペントアップ需要やサービスからモノへの需要シフト、さらには政府の政策など需要要因の両方が挙げられます。
では、供給要因と需要要因のどちらがより強い影響を与えているのでしょうか。
コロナ明け…「自粛中にため込まれた貯蓄を消費しよう!」→需要主導型インフレへ
サンフランシスコ連邦準備銀行は、インフレ率を「需要要因によるもの」、「供給要因によるもの」、「要因が曖昧なもの」の3つに分ける分析を行っています。
この分析では、各商品やサービスの価格と購入量に注目します。価格と購入量が同時に上昇しているカテゴリーでは、インフレは主に需要要因で引き起こされていると考えることができます。
一方、価格は上昇しているものの、数量が減っている場合は供給要因によるものと考えることができます。また、需要主導型、供給主導型のどちらにもうまく当てはまらないカテゴリーは「要因が曖昧なもの」に分類されます※1。※2
※1 http://www.frbsf.org/economic-research/indicators-data/supply-and-demand-driven-pce-inflation/
※2 NY連銀の調査分析によると、2019―21の米国インフレの60%が需要要因(財に対する需要増)、40%が供給の抑制が要因。出典:“ How Much Did Supply Constraints Boost U.S. Inflation?”
図表2は、アメリカのコアインフレ率(PCE)を上記3つのカテゴリーに分解したものです。
コアインフレ率が最も高くなった2022年春には、需要要因が約3割、供給要因が約5割を占めていましたが、秋には状況が変化し、需要要因の影響が供給要因を上回っています。
2023年1月のインフレ要因では、需要要因が約5割、供給要因が約3割となっています。サンフランシスコ連銀は、航空運賃やホテル宿泊費などの旅行関連部門が、需要主導型インフレの最も根強い要因であると指摘しています。
これは、サービス業が再開し、ロックダウン中にため込まれた貯蓄を消費しようとする動きと一致しています。
ウクライナ進攻による混乱が収束した後も、インフレは続く見込み
一般的に、需要主導型インフレは供給主導型インフレよりも持続性があると考えられています。
これは、パンデミックやロシアによるウクライナ侵攻による供給の混乱が収束した場合でも、インフレが持続する可能性が高いことを示唆しています。そのため、インフレ抑制のための金融政策の引き締めが今後も必要であることが予想されます。
もっとも、需要要因、供給要因のどちらかに分けることができない「曖昧な要因」も2割程度となっており、価格に対する需要と供給の影響を切り離すことは簡単ではないことがわかります。
なお、ユーロ圏についても、2021年半ば以降のインフレ率の急上昇は、異常に拡大した需要環境と逼迫した供給環境の組み合わせによって引き起こされたと考えられていますが、ユーロ圏が世界的なエネルギー価格の不利なショックにより大きくさらされていることと整合的に、供給側の役割がやや大きくなっていることが指摘されています※3。
※3:BIS WP “What drives inflation? Disentangling demand and supply factors”
宮本 弘曉
東京都立大学経済経営学部
教授
コメント