2019年7月15日、札幌の街中で参院選の応援に駆けつけた安倍晋三首相(当時)に向かって、聴衆から「帰れ!安倍やめろ!」「増税反対!」という声が上がった。

政治家の演説に対するヤジは珍しいことではなく、何より「表現の自由」は憲法で保障されている。

しかし、それぞれ別の場所から声を上げた大杉雅栄さんと桃井希生さんに対して、警備にあたっていた北海道警は力づくで排除した。そればかりか、別の演説会場に向かう2人を執拗に付け回した。

その後、大杉さんと桃井さんは「表現の自由」を侵害されたとして、北海道警を管轄する北海道を相手取り、国家賠償訴訟を起こす。

この「ヤジ排除問題」を追及した北海道放送HBC)取材班によるドキュメンタリー映画『ヤジと民主主義 劇場拡大版』が12月9日から公開される。

テレビのドキュメンタリー番組として制作されて、ギャラクシー賞や日本ジャーナリスト会議JCJ賞などを受賞し、書籍化もされた。今回の映画は新たな取材を加えた内容となっている。

大杉さんと桃井さんは暴力をふるわれたり、逮捕されたりしたわけではなく、あえて言えば「小さな事件」だが、なぜ追い続けたのか。HBC報道部デスクで、監督の山﨑裕侍さんに聞いた。(ライター・碓氷連太郎)

●政権に対するメディアの課題が非常に多かった

――山﨑さんはこの日(2019年7月15日)、現場に居合わせたのですか?

安倍首相の演説を聞くために現場にいました。大杉さんの声が上がったのは聞こえたのですが、排除されている瞬間は人だかりで見えませんでした。あとで映像を見て、こんなことがあったんだと知りました。

――札幌では2015年に当時19歳の女性が「戦争したくなくてふるえる」と反戦デモを呼び掛けると、約1000人が集まるなど、これまで声を上げる市民を排除することはなかったと思っていました。なのに、道警は安倍首相にヤジを飛ばす2人を力づくで排除しています。

私も過去に警察担当のキャップを2年務めたことがありますが、これまで道警があそこまでやる印象はありませんでした。

道警旭川中央署が不正経理をしていた「裏金問題」など、 不祥事はいくつもありましたが、権力に抗議する市民を排除するとまでは思っていなかったので、なおさら驚いたというのはありますね。

――事件を取材しようと思ったきっかけは、何ですか?

朝日新聞が最初に報じたのを見て、当然追いかけなきゃいけないとは思いました。同時に、たかがと言ったら失礼ですが、たかがヤジを飛ばしただけで排除されるのを非常に恐ろしく感じました。

ちょうどあのころは、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展その後」展をめぐる嫌がらせがあったり、映画『主戦場』の上映が妨害されて中止に追い込まれたりするなど、「表現の自由」をめぐる課題が浮上していた時期でした。

しかも、政治家が記者会見で記者の質問をはぐらかすのが常態化していて、時の政権に対するメディアの課題が非常に多かったこともあり、おかしいことはおかしいと言わなきゃいけないという思いで取材を始めました。

おかしいことをおかしいと言わなかったら、私たちの「報道の自由」や「表現の自由」が奪われてしまうんじゃないかという危機感ですね。

もう1つ、単純になぜ2人を排除したのか、どういう法的根拠があったのかという点が疑問だったんです。

拡声器を使わず、生の声で「安倍やめろ!」とヤジを飛ばしただけで選挙妨害になるのか。強引に排除することが、警察の対応として正しいのか。疑問がたくさんあったんです。

その疑問に対して、道警は「調査中」としか答えなかったので、じゃあ当事者や専門家に聞いてみようということになりました。

――道警はずっと排除の理由を答えなかったのですか?

北海道放送の警察担当キャップが、社を代表して道警公安担当に取材しましたが、「調査中」と答えるばかりで、ほとんど何の説明もありませんでした。

答えられなかったというか、たぶん、どういう理屈が成立するか、内部で検討しているのだろうと思いました。北海道議会でも野党議員から道警本部長に質問がありましたが、そのときも「調査中」としか言いませんでした。

だから、私たちはおかしいと思うことを報道するしかなく、道警は大事なことを答えないという印象を持たれていいのかという疑問もあって、彼らの事情も想像しつつ、そこに忖度してはいけないと思いながら、取材を続けました。

●警察は権力ではなく市民を守る機関のはず

――あの日、多くの報道陣が現場にいたのに、その前で大杉さんと桃井さんは排除されています。そのことについて、道警の裏金問題を実名告発した元道警の原田宏二さん(2021年12月に亡くなった)は映画の中で「あなたたち(メディア)は無視されたんですよ」という厳しい言葉を残しています。

原田さんは以前から、いわゆる記者クラブ制度の問題を批判するなど、マスコミに対して厳しい指摘をする方でした。今回もその延長線上で、「権力者がメディアを恐れなくなっている」という意味で話されています。

なぜ、権力者がメディアを恐れなくなっているのかというと、メディアの力が弱くなっているからだと思います。テレビ版だけでなく、映画でも原田さんの言葉を使ったのは、他のメディアの人たちにも、自分たちの存在そのものが危うくなっていることに気づいてほしかったからです。

原田さんは「警察の劣化」についても指摘されています。警察は市民のためのものなのに、権力者を守るもの、あるいは上司からの命令に従うだけという、そういう風潮になってしまっているということを象徴する言葉だと思います。

――大杉さんと桃井さんは国家賠償訴訟を起こしました。北海道警は裁判の証拠として、Yahoo!ニュースのコメント欄から、自分たちに好意的な意見を提出しています。一方で、2人に対しては「賠償金目当て」「バカとしかいいようがない」などのコメントが野放しになっています。ニュース配信社が誹謗中傷の対策をほとんどしないことは、メディアとしての責任を放棄しているように思えます。

コメント欄を失くせば、この問題が解決するのかといったことについて、ぼくはまだ答えを持っていません。一部の心無いコメントが、誰かを死に追いやることは避けなくてはいけないと思います。

今回に関しては「ヤジなんて迷惑だ」というコメントがあると同時に「正当な権利だろう」というコメントもありました。そんな言論が飛び交っている様子を非常に興味深く受け止めています。

――2人は「表現の自由」を侵害されたとして、慰謝料など合わせて660万円を求めています。札幌地裁は大杉さんに33万円、桃井さんに55万円の賠償を命じていたのに、札幌高裁では、大杉さんが逆転敗訴になり、今も裁判が続いています。2人はなぜ闘い続けてこられたと思いますか?

大杉さんは学生時代からデモを経験したり、今もソーシャルワーカーとして、立場の弱い人を見つめ続ける中で、時の政権に対する批判意識を強く持っている方です。

大杉さんたちは裁判期日が終わったあと、記者会見を開くのですが、記者だけではなく一般市民からの質問も受け付けています。あるとき、ヤジ排除ではなく、札幌オリンピック招致について質問した方がいたんです。

ところが、大杉さんは「自由な言論空間でいいんじゃないか」みたいに答えて、いろいろな意見が飛び交うことを面白いと感じている様子でした。

もちろん、弁護団やボランティアのサポートも大きかったと思いますが、そういうことを面白がる大杉さんのキャラクターに拠るところもあると思います。

桃井さんのほうは、排除されたことをきっかけに、それまで興味はあったけれど関わってこなかった社会運動とのつながりが生まれていることが大きいと思います。

●テレビは足し算、映画は「余白」を残す

――テレビのドキュメンタリー番組を映画にするにあたって意識したことはありますか?

テレビは足し算の世界です。視聴者に飽きられたり、わからないと思われたら、チャンネルを変えられたりしてしまう。だから、ナレーションや字幕、音楽を多用する傾向にあります。

たとえば、深夜のドキュメンタリー枠はその番組を好んで見てくださる方が多いので、多様な解釈ができるように意識して作りますが、夕方の情報番組の特集などは、とにかくわかりやすくするためにテロップを多く使います。

一方で、映画はお金を払って席についたら、最後まで観てもらえる可能性が高い。テレビのように一つの解釈だけを伝えるのではなく、自由に感じとってもらえるような「余白」のある作り方を心がけました。

――どんな人に、この映画が届いたらうれしいですか?

このヤジ排除問題に関心があったり、「安倍政権はおかしかった」という人だけではなく、「ヤジなんか迷惑だ」「よくわからない」と思っている人にこそ観てもらいたいです。

今回の問題が明るみになって以降、道警はあからさまな排除はしなくなりました。しかし、徳島県では今年10月、参議院選挙の補欠選挙で、岸田文雄首相に「増税メガネ」とヤジを飛ばした男性に警察官が近寄って「静かにして」という仕草をして、結果的に男性はヤジを飛ばすのをやめて会場を後にしました。

この問題について、徳島県警に取材したところ、「ヤジを飛ばしたので、危険なことするかもしれないと思い声をかけた」と答えていました。こうした「ソフトな排除」にも法的根拠はありません。

ヤジ排除は問題であり、ヤジは「表現の自由」ということを知ってさえいれば、警察のほうがおかしいと指摘できます。しかし、知らないと黙って演説を聞くしかなくなってしまう。そうなると、政治に関心がなくなり、投票率も下がり、ひいては民主主義の危機を招くかもしれません。だから、「ヤジは迷惑」「よくわからない」と思っている人にこそ観てほしいんです。

【プロフィール】山﨑裕侍/やまざき・ゆうじ
HBC北海道放送報道部デスク1971年北海道生まれ。大学卒業後、東京の制作会社入社。テレビ朝日ニュースステーション」「報道ステーション」のディレクターとして、犯罪被害者や死刑制度などを取材した。2006年HBC北海道放送に途中入社。警察・政治キャップや統括編集長などを経て、2022年4月から現職。

「安倍やめろ!」ヤジを飛ばした市民を報道陣の目前で排除 「権力はメディアを恐れなくなった」山﨑裕侍監督の危機感