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父親に就活を妨害されたという、神奈川県の40代後半の男性(事務・管理/年収450万円)。カメラマンの仕事の内定をもらっていたが、父親は「趣味を仕事にするな」と叱責し、親戚中に「カメラマンになる親不孝」と言いふらした。それだけでなく、有名カメラメーカーからの試験と面接の電話をわざと取り次がなかった。

そのことを2、3日後に知った男性は、人事担当者に直接お詫びするため、新幹線に乗りカメラメーカーに向かった。

「田舎の地元企業は採用ない、という社会情勢を結局、団塊世代は理解しなかった」

ところが、男性を待っていた現実は厳しいものだった。

「急いで新幹線に乗り、受付に行くと門前払い

こうして有名カメラメーカーは不合格に。先に内定をもらったカメラマンの仕事も父親に反対され、途方に暮れていた男性。すると再び男性の前に“拾う神”が現れた。

男性がカメラの店頭販売のアルバイトで世話になっていた支店長から、当時立ち上がったばかりの「地方の通信会社」を紹介された。そこはPHS事業を行っており、男性は「アマチュア無線免許を持っていたので、無線のことならなんとかなる」と思い志願した。

その結果、内定をもらい、今度は父親も「新しいが株主が大企業だから大丈夫」と賛成してくれた。しかし本音では「まったく新しい会社に藁をもつかむ心境」だった。このあと男性は、入社した通信会社での出来事を回想していく。

PHS1995年にサービスを開始したばかりで、男性が働き始めたのはそれからまだ間もない頃だ。男性曰く「ケータイ業界は大競争の荒波」という時代で、入社した地方の通信会社も例外ではなかった。

合併、倒産を繰り返し、やがて東京本社に異動になった。「会社の働き方はブラック。2年目で異動転勤や土日休みなし」で体調を崩したと言い、過酷さがうかがえる。その後、東京本社に業務が集中したため支社は廃止となり、地元に拠点がなくなった。そのため、地元にはもう「帰れない」と父親に伝えた。それでも父親は男性に地元企業に転職するなりして戻ってきて欲しかったようだが、

「田舎の地元企業は採用ない、という社会情勢を結局、団塊世代は理解しなかった」

と呆れたように綴っている。

息子が地元企業で働くことを諦め切れていないかのような父親だが、その割には男性が過去に2度「地元の企業にコネはないか」と頼んだ際には「それはできない」と突っぱねていた。一方で男性の妹は、公立大学薬学部を出た後、父親のコネで国立病院の薬剤師になれたそう。男性はこの矛盾について「要は、父がよそ様に自慢できる話はコネを使う」と持論を綴った。

大学時代に就活が終わったときには、こんなことも父親に言われたようだ。

「母方の姓に男が1人もいないから継いでくれ」

大学生が親に突然こう言われたら戸惑うだろう。しかも父親は、母親やその親戚には何の相談もしていなかったそうで、完全に独断だった。このとき男性は、「大学4年間、自分の名前で縁ができたので姓は変えないことにした」という。

「家を継げと言われても家業があるわけではないし。戦前の家長のような発想しかなかった」

ちなみに父親が電話を取り次がなかったカメラメーカーは「今でも高収益」で、父親に「趣味を仕事にするな」と反対され内定を断った「新聞紙も堅調」で、「父の発想で就活は大失敗」だったと、男性は今も引きずっているようだ。

価値観や考え方の違いはあって当然だ。しかし問題は父親がそれを男性に押し付けたことだろう。子は命を与え育ててくれた親に感謝するものだが、それでも子は親の所有物ではないのだから。

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