「プロゲーマーの最強選手といえば」と問われると必ず名前が挙がる選手の1人であるときど(ROHTO Z! | REJECT 所属)さん。頭脳派戦略が印象的な彼は、「東大卒のプロゲーマー」という異色の経歴の持ち主だ。国内外のさまざなな大会に参加し、多くのタイトルを獲得。さらに、書籍執筆やテレビ、雑誌などメディアへの出演とゲーム以外にも活躍の場を広げている。

【写真】ときどさんの言葉の端々から「プロとしてどう振る舞うか」を念頭に置いていることが伝わってくる

今回は、日本でeスポーツの認知度がまだ低かった時代からプロとして活動を始め、ゲーム業界を盛り上げてきた彼に、なぜ東大卒というキャリアを持つながらプロゲーマーという道を選んだのか、そのきっかけや今後のキャリアについて話を聞いた。また、因縁とされる梅原大吾さんとの知られざるエピソードも明らかに!

■プロになっても変わらぬメンタリティは受験戦争のおかげ?

ときどさんがプロを意識したのは大学院生のときのことだ。当時はまだ日本に「プロゲーマー」という存在はおらず、ゲームはあくまで遊びであり生計を立てる職業という概念がなかった時代。「海外ではプロと呼ばれている人がいることは知っていたが、自分とは縁遠い、手の届かない存在だと思っていた」と、ときどさんは当時のプロゲーマーという存在について語った。

そんな中で、ときどさんが通っていたゲームセンターで頻繁に対戦していた人がプロを宣言した。その人こそ、格闘ゲームにおける日本初のプロゲーマーであるウメハラ(梅原大吾)さんだった。身近な人がプロ宣言したことで、「そういう道もあるのか!」と非常に驚いたそう。

「海外でもっと大きな規模でプロがいるのは知ってましたが、自分たちがやっている規模でプロが成立するなんて考えてもみませんでした。だから、梅原さんのプロ宣言にはとても驚きましたし、自分も毎日熱量を持ってプレイしていたので挑戦したいと思いました」

梅原さんの背中を追うようにして2010年に東京大学大学院を中退してプロ入りを果たした。そんなときどさんは「プロになってからも日々前向きに好きなことをやらせてもらっている」と語る。好きなことが仕事になると嫌いになってしまうという話をよく耳にするが、ときどさんにはそのようなギャップを感じることなく続けられてきているという。それには幼い頃からの環境が起因しているんだそう。

「プロゲーマーになると、それまでは楽しくやっていたことが競争になるプレッシャーがありますし、周りと比較されることになるのでかなりギャップはあると思うんです。僕の場合、昔から受験という競争の環境の中にいて、毎週塾でテストがあって点数を競うんですね。ずっとそうしてきたので、慣れてしまっているというか…。もともとそういう環境に置かれていたのでギャップに感じなかったんです。やらなきゃいけないことをやるということに対して、周囲と比べて僕は苦じゃなくできるんだと思います」

さらに、ときどさんの家では、毎週のテストでいい点を取るとご褒美でゲームを買ってもらえるルールがあったそう。点数が悪いとゲームが買ってもらえないので、毎週泣いていたんだとか。怒られるからではなく、悔しくて泣いてたんだそう。そうした幼少期を経ているため、今でも楽しくゲームができているという。

「勝てない時期はどうしてもあります。そのとき、『どういう練習法をしないといけないのか』を早い段階で気づけることが重要です。僕の場合は仲間に助けられたんですけど。つらいのは『どうしていいのかわからない』状態ですね。僕の大学院での研究はまさに、『どうしたらいいのかわからない』状態になってしまっていました。今思えば周りに頼ればよかったんですよね」

過酷な受験戦争を生き抜いたときどさんは東京大学東京大学大学院へ進学した。その経歴をもじって、ときどさんのプレイスタイルに関して「東大式○○」というコメントが時折つけられることも。それについて「自分のキャラクターになっていることがうれしい」と語ってくれた。

■プロゲーマー人生を変えた2つの試合

2010年にプロゲーマーになった直後のときどさんは「ストリートファイター」以外にもさまざまな格闘ゲームを並行して取り組み活躍していた。しかし同時に「結局1つのゲームに集中している選手には勝てないんじゃないか」と周囲に言われてもいたんだそう。

そんな言葉が現実となった一戦がももちさんとの「ストリートファイターⅣ」の試合だ。1対1の10試合先取のこの試合で、ときどさんはももちさんに大敗をきしてしまう。負けた直後は原因が何かわからず、スランプにも陥ったそうだ。しかし、仲間との会話で徐々に敗因を理解していったのだという。

「気づくのには半年くらいかかりましたね。仲間に助けられてようやくという感じで。負けてすぐに仲間内で練習しようとなったんです。当時の僕はいろんなゲームをやっていたから時間がなくて、手軽なオンライン対戦で練習していたんですが、それだと議論が活発にできませんでした。そこで、ゲームセンターのオフラインで練習を重ねて『この人たちは自分よりこのゲームをやり込んでて、深さが違う』ということに気づけたんです。そこからは他のゲームを一切やめて、ストリートファイターに絞りました」

当時のゲームセンターの雰囲気を思い出し、ときどさんはゲームセンター格闘ゲームのブースは「学校で楽しく過ごしていたらよりつかない空間」だと語る。そこには似た者同士だから仲良くしようぜという雰囲気があったのだという。同じ競技者であるものの、ときどさんのプレイスタイルは「ゲームのいいところだけつまんで強いように見えているだけのやつ」だったのに「困ってるなら一緒に練習しよう」と誘ってくれたのも、そんな仲間意識の強さゆえの連帯感だったのかもしれない。

ときどさんと言えば、2017年の「Evolution Championship Series(通称EVO)ストリートファイターⅤ部門 」でのPunk選手との決勝戦だ。まさに背水の陣という状況から大逆転劇を見せ、見事ときどさんは優勝を果たした。

当時を「若かったので、あれだけの集中が出来たんだと思います。今は厳しいです(笑)」と振り返った。ときどさんにとっての大きなターニングポイントとなったのもこの試合なのでは、と考えられるがそれ以上に衝撃となった一戦があったのだという。

それが、2018年に行われた「獣道・弐」というイベントでの梅原さんとの1対1の対戦だ。この試合は、トーナメントの大会ではさまざまな選手と多種多様なキャラの研究と対策を行わなければならないが、1つのゲームで1人の対戦相手をどこまで深堀りできるのかというのがテーマのひとつとなっている企画だったんだそう。10試合先取のこの一戦でときどさんは5対10で梅原さんに完敗。

「『一つのゲームでここまで差をつけることができるんだ』とわからされた試合でした。負けたんですけど、『これだけのやり込みを自分もやれば勝てるかもしれない』という希望を持てた試合でもありました。実は、以前から梅原さんは1個に絞ったらめちゃめちゃすごいとわかっていたんです。わかっていたはずなのにどこかに甘えがあって、いけると思ってしまったんです。もっとシビアに行くべきだったと反省した試合でもあります。常に思い出す試合ですね」

結果は非常に悔しいものとなったが、ときどさんとって大きなターニングポイントとなった一戦だったようだ。

■いちプレイヤーから業界全体への視野の変化

プロゲーマーとしてさまざまな試合と経験を経てきたことで、最近ではゲーム業界全体を俯瞰で見られるようになってきたというときどさん。はじめはがむしゃらに、とにかく勝つために思考を割いていたのが近年変化してきているんだとか。

「世の中にもっとeスポーツやプロゲーマーが認知されるにはどうしたらいいのかを考えることがプロゲーマーになってからの苦労らしい苦労かもしれないです。今はブームが来ているからいいけど、持続的な産業として維持するにはひとりのプレイヤーとしてどうすべきかを試行錯誤しています」

業界全体を盛り上げるために自分にできることを考えている、というときどさんが最近注力しているひとつがYouTubeだ。ときどさんのYouTubeでは試合に関すること以外の情報も多く扱っている。海外の大会に参加するために訪れた国での食事や海外選手たちとの交流も見られる。

「ゲームがなかったら訪れることのなかった国や地域での貴重な経験を、『プロになるとこういうことを経験する』ということを広めるために活用しています」と自身のYouTubeについて語るときどさん。自分の言葉でさまざまなことを伝えられる手段としての重要なコンテンツとなっているようだ。

こうした活動によって今後参入されるであろう新人プロゲーマーたちはおそらくときどさんとは違ったゲーム文化を経てきていると予想される。これまでのゲームセンター文化にあった「いうても仲間だから」という感覚は今後どうなっていくのだろうか、競争が激しくなっていくのだろうか、と今後の業界をさまざまに考えるのだという。

■自分の役割を全うし、業界の今後を考える

日本ではじめてプロゲーマーとなり、ときどさんにとってターニングポイントとなった存在でもある梅原さんは、ときどさんにとって目標でありライバル選手だという。梅原さんについて、ときどさんは「この人になら進む道を任せられる」と語る。

「僕は目の前の勝ちにこだわっていたんですけど、梅原さんは業界全体をどういうふうに社会に見せるべきかを多分プロになる前から考えていたんじゃないかと思います。ここ一番で存在感のあるプレイングをする実力はもちろんですが、プロとしての立ち振る舞い方を見せてくれている人です。なにより、日本でプロゲーマーという仕事を創った人でもあります」

徐々に定着しつつあるように思われるプロゲーマーという職業であるが、まだまだその実感は薄いという。この業界をもっと世の中に広めていくことが今後の目標であると語る。

「梅原さんはBeast Cupという大会を主催したりなんかもされていますが、僕には僕の役割が別にあると思っています。海外選手の話を聞いたり、工学系出身の強みを活かして自分のデバイスの紹介をしたり…。そういうことが“僕ならでは”でできることなんじゃないかと思います」

自分ができること、自分が求められていることを考えつつ、もう一段アップグレードしていろんなチャレンジをしていきたいというときどさん。「もちろん、競技が一番の主戦場なので、そちらは外さず」と最後に付け足した。

ストリートファイターの最新作が発売され、より活発になっている格ゲー界隈。どんな試合魅せ、我々を熱狂させてくれるのか。ときどさんの活躍に今後も注目したい。

文・取材=織田繭(にげば企画)

東大卒のプロゲーマーという異色の経歴を持つときどさん。プロ入りしたきっかけや彼の強さの秘訣に迫る!