―[家族に蝕まれる!]―


 世の中に老後の心配が尽きない人は多い。だが親族との関係性によっては、心配の範囲は死後までおよぶ。

「田舎なので都会に比べると微々たるものですが、財産がありました。私は生涯独身で過ごしてきたんです。それに、親族の関係性があまり良いとは言えないものですから、私が死んだあとのことが心配でしてね

 そう不安を口にする増田篤子氏(仮名)は、齢80に差し掛かろうとしている。背筋がすっと伸び、深みのある色合いの和服を纏う着姿は、まさに淑女。婚姻歴もなければ、子どももいない。10年以上前に退職するまでは、看護師として勤めていた。

 増田氏には数名のきょうだいがいたが、この10年でほとんどが亡くなっている。もしも自分が死亡すれば、きょうだいの子どもたち――つまり甥や姪が遺産を争う将来が目に見えているのだとため息をつく。

◆心配の言葉も「遺産分けて」に聞こえる

数年前から腎臓の数値があまりよくないんです。田舎ですし、病院関係者が親戚に多いから、そういう情報が漏れるんでしょうね。これまで10年以上付き合いのなかった甥や姪から、『調子よくないみたいだから家に行こうか?』といった電話の嵐です。額面通り受け取れば心配の言葉でも、『遺産分けて』に聞こえるんですよね

 そう聞こえるのには、明確な理由があるのだ、と語気を強める。

 増田氏の父親は公務員だが、先祖は地元の大病院を代々経営していた、いわゆる名士の系譜。当時も一族で病院運営にあたっていた。地方とはいえ邸宅の敷地面積は相当広く、金融資産だけでもかなりの金額がある。

 増田氏本人は、一介の看護師として現場に専念した職業人生だった。後述の親族同士のいざこざから、一族の財をほぼ一手に引き受ける形になった。

◆軋轢の発端になった兄嫁の存在

 だが人生の“終焉”が見え始めたいま、相続する相手のいない増田氏は、財産を狙う親族の影に怯えている。

「話はかなり前に遡ります。私には10歳以上離れた兄がいたのですが、兄と兄嫁の結婚が軋轢の発端でした。

 兄嫁の実家は地元でも治安のあまりよくない地方で有名で、また兄嫁本人も素行が悪いことで知られていました。兄は世間知らずな人ですから、両親の心配をよそに、とっとと結婚を決めてしまったんです。

 現在でこそ恋愛結婚は当然ですが、戦後すぐの田舎ではあまり考えられないことでした。勘当などの話もあったものの、結局、両親はしぶしぶ承諾して兄夫婦を住まわせることにしました」

◆育児も仕事もせず、遊び歩く日々…

 兄嫁は交友関係が派手で、当時はまだ珍しかった外車などを増田氏の兄にねだって乗り回すなど、贅の限りを尽くした。

「両親は『うちの人間になったのだから』と諭すことはありましたが、兄嫁は聞く耳を持ちませんでした。父は兄夫婦の生活費のすべてを面倒見ながら、育児もそこそこに遊び歩く兄嫁に何とか社会人としてしっかりしてもらおうと、市役所職員の口利きを行いました

 経済的な基盤ができると、兄夫婦はやがて独立した。同居していたころは何かにつけて衝突があり、兄嫁が「生活の時間帯が違う! 入浴の音で目が覚めてしまう!」と騒ぐので、同じ家に風呂場を2つ作ったこともあった。

◆親族から死亡届が出されている?

 しばらくの平穏な生活ののち、やがて増田氏の父親が亡くなり、母親は恩給を受給していた。恩給とは昭和30年代以前の旧軍人や文官とその遺族を対象とした年金制度のことだ。

 だがある日、不審なことが起こる。

「母は大きな家にひとりで暮らしていたので、仕事のない日は実家に帰って手伝いをしていました。そんなある日、母が『ここのところ数ヶ月くらい、恩給が振り込まれていないのよね』というのです。最初は、認知症を疑いました。しかし、口座を見ても確かに振り込まれていません。

 すでに脚が悪かった母に代わって、私が役所へ出向きました。すると、驚きの事実がわかったのです。役所の職員は私に向かってこう言いました。

『失礼ですが、お母様はすでに他界されていますよね?』

 まったく意味が理解できませんでした。しかし詳しく説明を聞くと、すでに親族から死亡届が出されているというのです。誰が死亡診断書を書いたのかなど、このあたりは詳らかではありませんが、死亡届を出したのが兄嫁であるということが判明しました」

◆見えないところに、打撲痕が…

 兄嫁は、まだ健在だった増田氏の母親を死亡したことにして、兄に恩給が入るようにしていた。れっきとした犯罪行為だが、増田氏の母は「家の名に傷がつくから」と事を荒立てるのを嫌がった。

「母は兄嫁の本性を知ってからも耐えて、とうとう死ぬまで自分が前述の事実を知っていることを兄嫁に打ち明けませんでした」

 だが兄嫁の“本性”は死亡届の一件だけに留まらない。このあと増田氏の母親が脳卒中によって寝たきりになり、介護が必要になると、兄嫁はさらに過激な行動に出た。

「脳卒中なので、会話による意思疎通はできませんが、母はきちんと物事を理解していました。時間の都合上、どうしても介護を兄嫁に担当してもらわなければならない日があると、その日、母は恨みに満ちた目で兄嫁を睨みつけていました。

 その意味がやっとわかったのは、母の洋服を脱がせたときです。普段は見えないところに、打撲痕がいくつもあったのです。しかし問い詰めても、兄嫁は白を切るばかり。現場を抑えることはできませんでした」

◆ボイスレコーダーに録音されていたのは…

 増田氏はすぐに“仕込み”を始めた。

「母の枕元にボイスレコーダーを隠し、録音しました。すると、兄嫁の声ではっきりとこう言っていたのです。

『死 ね 死 ね 死 ね 死 ね 死 ね 死 ね! お前なんか死んでしまえ!』

 すぐに証拠を持って警察を介入させることも頭をよぎりましたが、思いとどまりました。死亡届の一件でも外部からの介入を拒んだ母のことです。きっと、刑事事件にするのをよく思いません」

 それよりも、増田氏はもっと長期的に恨みを買う道を選択した。

母が亡くなるまで、録音を続けました。兄嫁はまったく気づかず、その間も暴言を吐き続けていました。毎回録音した音声を聞くのはかなり精神的に厳しかったです」

◆証拠の写真と音声を見せたら…

 やがて母親は亡くなり、兄嫁にとっては“お待ちかね”の遺産相続に話は移行する。

「母の遺言状には、『すべての財産を長女(増田氏)に相続させる』とありました。当然、兄嫁らは遺留分を請求してきます。

 しかし私は、母の身体にできた打撲痕の写真と録音音声を提示し、『私がすべて介護費用を持っているにもかかわらず、介護の名にもとる行為をしているのは、詐欺罪に当たりますよね』と逆に損害賠償請求を検討している旨を伝えました。実際に裁判になっても私は問題ないし、場合によっては刑事事件化することも考えていると話すと、兄嫁は青ざめていきました

 ドラマや漫画ならここで一件落着かもしれないが、兄嫁には思わぬ“最後っ屁”があった。

◆植物に八つ当たりする愚行に走る

「母は生前、ガーデニングが趣味だったのですが、突如として奇声を発した兄嫁は、大切に育てていた植物に体当たりを始めて次々となぎ倒しました。

『お前ら金持ちにはよぉ』とか『泥水すすってきたんだよこっちは』とか、支離滅裂なことを叫びながら、親戚の男性たちに取り押さえられているのを私はただ見ていました。兄はというと、ずっと下を向いてクロスワードみたいなものをやっていました」

 増田氏が抱える冒頭の悩みは、自分の死後に兄夫婦の子どもたちがどんな手を使って財産を取得しに来るかという点だ。

「兄一家だけではなく、他のきょうだいとも仲が良くないため、安心して財産を任せて逝ける人が思い当たりません。最近では、いっそのことどこかへ寄付でもしようかなと思っているほどです。

 昔は大きな家に大勢の家族で住んでいましたが、こうしてひとりで暮らすようになって、『これでよかったのかな』なんて思うことはあります」

 そう言って寂しげに笑う増田氏は、手持ち無沙汰な様子で頬をかいた。その手は、かけ違えてしまったボタンを探すように空を切った。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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