親子関係が良好であっても「親の資産」と「遺産相続」についてはなかなか話せない、という人は少なくありません。しかし、親の資産状況を正しく把握していないと、それがきっかけで“想定外の事態”に見舞われるケースもあると、牧野FP事務所の牧野寿和CFPはいいます。具体的な事例を交えて詳しくみていきましょう。

マイホーム購入を決めたAさんの“甘い見通し”

41歳のAさんは、ある地方都市の企業に勤めています。年収は680万円で、パート勤めで年収約100万円の妻(38歳)と小学生の子ども2人の4人家族です。A家は、家賃11万2,500円の賃貸住宅に住んでいました。

子どもの成長とともに住まいが手狭になったころ、A宅の近くに、販売価格5,500万円の戸建住宅が建設されることに。A夫妻はここを気に入り、思い切って購入することにしました。

そこでAさんは、手付金100万円を現金で販売不動産会社に支払い、その会社が紹介してくれた銀行でフルローンを組みました。フルローンとは、頭金を入れることなく、物件価格の全額を借り入れることです。担当者の話では、「近いうちに本審査も通るでしょう」とのことでした。住宅は現在内装工事中で、1ヵ月後に完成予定です。

※ 「返済比率」……年収に占めるローンの年間返済割合のことで、「返済比率=(年間返済額÷年収)×100」で求めることができる。ローン審査のひとつの基準となり、民間の金融機関は上限を30~40%程度に設定している。また無理なく返済していく返済比率は15~23%前後までといわれている。

しかし、Aさんが立てたローン返済計画は、「父の資産頼り」で作られたものでした。

Aさんが立てていた“親の援助ありき”の住宅ローン返済計画

Aさんの父(75歳)と母(72歳)は、Aさんの自宅から車で30分ほどのところに住んでいます。実家は居所と作業場を構え、先代から高級素材に刺しゅうを施す「刺しゅう業」を営んでいました。Aさんが子どものころは人を雇って機械を導入し、店舗も構えるほど繁盛しており、比較的裕福な暮らしでした。

しかし、近年は規模が縮小。両親だけで営む手作業の刺しゅう工房となり、生産量や収益も限られ、老舗の販売店からの依頼がある高額な刺しゅうだけを請け負っていました。

とはいえ、Aさんには父がかつて株式投資にも熱心だった記憶があり、これまで親とお金の話をしたことのなかったAさんでしたが「だいたい数千万円くらいは資産を貯めているだろう」と思い込んでいました。

Aさんは、5,500万円の戸建てを購入するにあたって、父から「相続時精算課税制度」を利用して2,500万円を生前贈与してもらい、本審査が通ったら銀行に話して、実際には3,000万円を借り入れて住宅ローンで返済するつもりでした。

※ 「相続時精算課税制度」……受贈者(今回の場合Aさん)が2,500万円までは贈与税を納めることなく贈与が受けられ、贈与者(父)が亡くなったときに、その贈与財産の贈与時の価額と相続財産の価額とを合計した金額から、相続税額を計算して相続税として納税する制度のこと。なお、令和6(2024)年1月1日以後、この制度を使って贈与を受ける場合、毎年贈与額から110万円基礎控除ができる。

父から告げられた「まさかの事実」に息子は動揺

Aさんはフルローンを組んだあとで、実家に帰省。父にマイホームを購入したい旨と生前贈与の話をしようとした矢先、父から「お前に話しておきたいことがある」と言われました。

父「あのな……実は、事業を畳むことにしたんだよ

「えっ!?……廃業ってこと?」Aさんは動揺が隠せません。しかし父は淡々と、廃業の理由について話しました。

先月、父は注文とは違う刺しゅうを出荷してしまったそうです。年寄りの手作業ではすぐに代替品を作ることができず、所得2年分以上の製品損失分の代金を支払うことに。

また、それとは別に、築古の実家は居住部分に雨漏りがするようになり、知り合いの工務店に修繕を依頼したところ、「修理するより、作業場を含めて建て替えたほうが安上がりだよ」と言われたそうです。

「それでな、母さんともよく話し合って、看板を下ろすことにしたんだ」。

さらに父は続けて、「実家は取り壊すから、お前が家を建てて、そこに同居させてくれないか」と言います。

Aさんがこのタイミングで恐る恐る貯蓄について尋ねると、現在の両親の貯蓄は約2,000万円。店を畳んだことから今後の収入は年金だけになり、夫婦で181万7,600円(月額15万1,500円)になるそうです。

※ 総務省「家計調査年報(家計収支編)2022年(令和4年)」によると、75歳以上の2人以上の無職世帯夫婦の実収入は23万5,223円、消費支出額は22万810円となっている。また父は数年間会社勤めをしたことがあり、その分の老齢厚生年金も受給している。

Aさんはこの事実を前に、自身の事情はついぞ打ち明けることができませんでした。そのまま家に帰り、「どうしよう……」と顔面蒼白になったAさん。後日、過去に会社へ講演に来ていた筆者のところへ相談にみえました。

打つ手なし…5,500万円のマンションは「断念」することに

Aさんは開口一番、「てっきりうちにはお金があると思っていたのに、まさかこんなに少ないなんて……なんとなく聞きづらくて、どうせ貯めているだろうと思い込んでいました。いまさら後悔してもしきれませんが、なんとかなりませんか?」と涙目です。

話を伺った筆者は、Aさん自身の現在の状況と両親の今後について、次のように話しました。

「フルローンで5,500万円を返済するのに、返済金利が現在より低い住宅ローンで借りられたとしても、今後、毎年固定資産税や修繕費などの負担があります。筆者の試算では、Aさんの収入に対しては借入額が多額で、完済は難しいように思えます。

支払った手付金100万円は戻ってこないでしょうが、住宅販売会社や住宅ローンの審査を受けた銀行に事情を話し、残念ですがこの物件の契約は断念したほうがいいでしょう

「一方、ご両親については、その年齢から今後介護や看護が必要に可能性がありますが、その費用は年金とこれまでの貯蓄で賄えそうです。

ただ住まいについては、築古な実家を建て替えるにしても、両親はAさん家族と同居を望んでいるようですし、また建て替えるまでの資金はお持ちではないようです。

もし、Aさん名義で実家を建て替えて両親と同居するなら、父名義の土地は使用貸借して、そのうえでAさん名義で住宅ローンを借り、住宅を建てることになるでしょう。

※ この場合はAさんが父から無償で土地を借りること。

この点は、Aさん夫婦や両親とも話し合いが必要です」

FPの助言をもとに、実家を建て替え両親と同居することに決めたAさん

結局、Aさんは実家のある場所にAさん名義で新居を建て、両親も同居することになりました。旧家屋の解体費用込みで約2,800万円の戸建てです。

頭金は現金で入れ、残りの2,500万円を借り入れ。また住宅ローンの返済期間は、当初は30年の予定でしたが、Aさんが定年退職予定の65歳過ぎ(25年)に短縮しました。

諸々の手続きがひと段落したころ、Aさんは父に聞いてみました。

「なんかさ、俺が子どものときに株やってたじゃん。結構儲かってたっぽいけど、あれいまもやってるの?」

「ああ、もうとっくに辞めたよ。儲かったときは嬉しくて話したこともあったが、黙っていたけど結構損してな」

父はあっけらかんと答えました。Aさんは驚くと同時に、親のお金をあてにして、きちんと準備していなかった自分の甘さを反省したそうです。

牧野 寿和

牧野FP事務所合同会社

代表社員

(※写真はイメージです/PIXTA)