ロンドンの最も古い地下鉄のひとつ「ピカデリー線」に、2025年からようやく「冷房搭載」の新車両が導入予定。しかし同時に悩ましい問題が起きているようです。

ロンドン中心部の「老舗路線」

ロンドンの最も古い地下鉄のひとつ「ピカデリー線」に、2025年からようやく「冷房搭載」の新車両がお目見えすることになりました。

「夏も涼しい」イメージの英国も、温暖化の影響で暑い日が増えてきました。2022年夏は英国政府が国家非常事態宣言を出すほどの、記録的な猛暑になっています。

アメリカの新興メディア「VICE」は2019年7月、「温度計と湿度計を持ってピカデリー線に乗ってみた」という調査を実施。その結果は「室温31.4度、湿度57%」というすさまじい数値だったようです。不快指数は81.3で、ほぼ「暑くてたまらない」に達するレベルです。

1906年開業の古いピカデリー線はバリアフリーの概念もない駅が多く、ホームまで階段の上り下りも多いため、狭い車内へ乗り込んだ時の体感は、個人的にさらに暑い印象を受けます。涼しい夏に慣れてきた英国人ならなおさらでしょう。

このため、かねてから冷房導入を切望する声は殺到していましたが、なかなか実現しなかったのにはわけがあります。

先述のとおりピカデリー線は歴史が古く、トンネルの直径はわずか3.56mしかありません。50年ほど前に導入された現役車両「1973形」とトンネル壁面の距離はスレスレ。エアコンの室外機を屋根の上に取り付ける隙間がありませんでした。

そこで車両製造メーカーのシーメンス・モビリティは「室外機がはみ出ない新型車両」を開発しました。台車の位置を車両と車両の間にずらし、前後の車両で共有する「連接台車」という形式を採用。台車の数を減らし、生じた車体の下の隙間に室外機をねじ込むことに成功したのです。

さらに連接台車のメリットとして、カーブで車体が線路からせり出しにくくなるため、車体の幅を広くして定員数を増やせるという点があります。新型車両も従来の1973形より1.9cm幅が広く、定員が1割増えました。

シーメンスさん、お見事」で済むかと思ったものの、なかなかそうは問屋が卸さないようです。

車体幅が広くなることで、一部の駅では新型車両の幅に合わせてホームを「削る」作業が必要になってしまいました。しかもまずいことに、1973形から新型車両への置き換えは一気に行われず、段階的に進められる予定。置き換えが完了するまで、旧型車と削られたホームとの隙間は、いっそう広くなってしまうのです。削り幅は「1.9cm」にもおよびます。

毎週ひとりホームから落っこちてます!?

もともと、ロンドン地下鉄はホームと車両の間の隙間が広いことで悪名が高く、注意喚起を促す構内アナウンスの「Mind the Gap!(隙間注意!)」がロンドン地下鉄の代名詞ともなっているほど。隙間への転落事故は後を絶たない状況です。

地下鉄を運営するロンドン交通局の発表資料によると、1997年ピカデリー線のホルボーン駅で、9才の男の子が電車に引きずられながらホームとの隙間に落ちて亡くなっています。洋服の一部がドアに挟まったのが直接の原因ですが、ただホームを引きずられただけなら死亡事故にまでは至らなかったのではないでしょうか。

隙間が広い原因は、ロンドン地下鉄のほとんどの駅でホームがカーブしていることにあります。弧を描くホームと箱型の車体の形状が沿わないため、隙間が大きくなるのです。加えて、カーブで停車すると車体が傾き、ホームとの距離だけでなく段差も大きくなる弊害があります。

ロンドン地下鉄では過去にも、車両を更新したところホームとの隙間がさらに広がってしまって、転落事故が約3倍に増えたこともあります。ホームの端に点滅する青いライトを設置するなど防止策に力を入れていますが、最も隙間が大きくなってしまったベーカー・ストリート駅では、転落事故は2019年だけで54件もありました。つまり、毎週ひとり誰かが落ちている計算です。

いっぽうロンドン交通局は、事故増加の原因のひとつとして、スマホを見ながらの「ながら乗降」が増えたことも主張しています。とはいえ、日本でも2020年にJR中央・総武線飯田橋駅で急カーブ由来の隙間を解消するホームの移設工事が行われましたが、同駅の移設前(2019年度)の転落事故件数はたった12件だったそうです。その4倍以上の転落事故が発生しているベーカー・ストリート駅の深刻さがうかがえます。

念願の「涼しい地下鉄」の裏で懸念される隙間問題。新型車両にすべて置き換わるまでの間だけと割り切っているのかも知れませんが、果たして大丈夫なのでしょうか。ロンドン交通局と連絡を取ったところ、ホームの隙間に関する質問だと察知したとたん、返事は途絶えました。ともあれ新型車両のお披露目が待たれます。

ロンドン地下鉄のカーブしたホーム(乗りものニュース編集部撮影)。