三池崇史監督と亀梨和也が初タッグを組み、第17回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作を実写映画化した『怪物の木こり』(公開中)。三池節の冴えわたるバイオレンス描写や、サイコパスの恐ろしさとせつなさを体現した亀梨の演技に注目が集まっている。「亀梨くんのお芝居には、“苦悩を伝える力”がある」と称えた三池監督が、本作のサイコパスに託した想いを語った。

【写真を見る】三池監督は「ぴったりだった」と告白!亀梨和也の恐ろしくも美しいサイコパスぶりにハマる

亀梨が、目的のためには殺人すらいとわない冷血非情なサイコパスを演じた本作。絵本「怪物の木こり」の怪物の仮面を被り、人間の脳を奪い去る連続猟奇殺人事件が発生。次のターゲットとして狙われた弁護士の二宮彰(亀梨)が、怪物との対決に挑みながら驚愕の真相にたどり着く様を描く。

※本記事は、本編の核心に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。

■「亀梨くんは、ふっと立っているだけでも美しい」

原作を読んで、「サイコパスという、映画のなかでもたびたび描かれてきたキャラクターが主人公。しかし本作では、そのサイコパスがいままで描かれてこなかったような変化を見せる人間の物語であるという点に興味を持ち、そこをできるだけ表現したかった」と特異な主人公像に惹かれたという三池監督。「リスペクトを込め、できるだけ原作の魅力を損なわないように、逆に映画的にそれを加速させたいという想いで撮影に臨みました。原作で描かれているものを2時間ほどの映画にすることになるので、スピード感をあげたり、あるエピソードを一つにまとめたりと形を変えたものもありますが、すべてにおいて『こうしたほうが原作に近づけるのではないか。原作に届けばいいな』と思っていました」と原作への敬意を胸に、作品に向き合った。

その特別なサイコパス役に抜てきとなったのは、アイドルであると共に、俳優としても活躍する亀梨和也。イメージをくつがえすような役柄にも果敢にチャレンジしてきた亀梨だが、本作で演じたのは、狂気のサイコパスとして殺人を重ねながらも、ある出来事をきっかけに「本当の自分とは?」と悩み、サイコパスとしての生き方に迷いが生じていく男。前半のサイコパスとしてのゾクゾクするような恐ろしさから一転、変化を遂げていく主人公の心のひだを、亀梨が繊細な演技で表現している。

三池監督は「誰がどう見てもちょっとサイコパスっぽいですよね(笑)。それくらい、ふっと立っているだけでも美しい。ナルシスティックな面もあって、そういったところもぴったりだった」と亀梨によるサイコパスとしての説得力を絶賛。「心のない暴力を振るうシーンも、よかったですよね」と目尻を下げながら、「演じる人の数だけ、それぞれのサイコパス像が生まれてくるものだと思いますが、本作をつくりあげるうえで忘れてはいけなかったのは、このサイコパスは人を傷つけることが目的ではないということ。そこに快楽を感じているわけではなく、『自分の邪魔になるから』という理由で仕方なく排除しているわけです。亀梨くんのお芝居からも、暴力に対して無感動な雰囲気が伝わってきてとてもよかった」とニヤリ

亀梨は、次第に感情が生まれてくる二宮の心の揺れまでを演じ切った。三池監督は「二宮はある歪んだ想いによって“怪物にされてしまった男”。ふと、自分が後天的に作られたサイコパスなんだと気づく。そこがこの物語の独特な点なんです」と切りだし、「考えてみると誰しもが、生まれてからいろいろな経験をして、いろいろなことを学び、傷ついたりもしながら、人との関わりによっていまの自分があるわけです。そんななかで『元々の自分って何者だったんだろう』『“自分らしさ”ってなんだろう』と思い出すことは、難しいことでもありますよね。二宮も『自分はなにをやりたかったんだろう』と立ち戻っていくことになりますが、亀梨くんのお芝居からは、そういった苦悩を伝える力を持っているなと感じました」と称えた。

■「まっとうな道から外れた役を演じている時こそ、役者は光る」

サイコパスによる暴力、怪物の巻き起こす連続猟奇殺人事件、二宮と怪物との対決など、血飛沫の飛ぶバイオレンス描写も、もちろん大きな見どころだ。完成報告会では、二宮の婚約者・映美を演じた吉岡里帆が「撮影初日から猿ぐつわをさせられた」と本作ならではの撮影エピソードを振り返り、「三池監督は、小学生の男の子のよう。バイオレンスシーンを撮っている時の目のキラキラ感が強すぎた。監督の想いに、絶対に応えないといけないと思った」と楽しそうに話していた。“バイオレンスの巨匠“とも呼ばれる三池監督だが、人間の持つ暗黒面に惹かれるのは、「自然の摂理」だと微笑む。

「まっとうな道から外れた役を演じている時こそ、やっぱり役者さんって光りますよね」と声を弾ませながら、「大河ドラマやなにかを観ていても、一番盛り上がって、その作品や役者さんの美しさを感じるのは、普通だと思っていた人が、苦悩をするなかで誰かを裏切った時だったりする。そして、バーン!と狂気を放った時に、観ているこちらは心地よさを感じて、エンタテインメントとして極上のものになる」と持論を展開。「人間というのは、自衛のために心に鍵をかけて、怒りや狂気を引き出しのなかにしまっているものなんだと思います。言うなれば狂気というものは本来、誰しもが持っているもの。狩猟をして動物を殺して食べたり、新しい木々を植えては、それを倒したり…。そうやって、破壊を繰り返しながら生きてきたのが人間です。現代は、醜い部分を隠そうとしているのが少し薄気味悪いなと感じることもあります。この世の中には美しいこと、醜いことが同じ分量だけ存在し、絶妙なバランスのなかで生きている。心のなかにある闇の部分が共鳴するからこそ、我々はダークマターに取り憑かれるのかもしれません。そこには癒しすら感じるのではないでしょうか」。

絶妙なバランスのなかで生きている私たちにとって、二宮という“変化するサイコパス”は、正義と悪の境界線や、さらには人間の本質について考えさせてくれる存在かもしれない。三池監督は「人が作った法律によって、二宮をどう裁けるのか」と思いを巡らせ、「何事も起こらず、他人と変わらずに生きること。穏やかに現状を維持していくような幸せを、よしとする時代になっている。そういった幸せって、いま一度疑ってみる必要もありますよね。『“自分らしさ”ってなんだろう』と苦悩するサイコパスが、幸せについて考えさせてくれるような気もしています」としみじみ。「自分としても非常にやりがいのある作品で、とても好きな仕上がりに完成しました。バイオレンスで激しい映画かと思いきや、いい人間ドラマになっているので、そういった意外性もぜひ楽しんでほしいです」と心を込めていた。

取材・文/成田おり枝

『怪物の木こり』三池崇史監督にインタビュー!/[c]2023「怪物の木こり」製作委員会