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3年連続でエンゼルスのチームMVPにも選ばれた大谷翔平(写真:Sipa USA/時事通信

大リーグ大谷翔平(29)が、世界プロスポーツ史上最高額でロサンジェルス・ドジャースと契約した。

1995年野茂英雄(55)が10万ドル(当時のレートで約980万円)でドジャースと契約してから30年足らずで、日本人選手がMLB本塁打王MVPに輝く姿を誰が予想しただろうか。

個人の活躍のみならず、今年3月に行われたWBCワールド・ベースボール・クラシック)では“侍ジャパン”が米国代表を破って優勝。日本野球の底力を見せつけた。

一方、ボクシング界では、7月に井上尚弥(30・大橋ボクシングジム)がスーパーバンタム級で世界王者となり4階級制覇を達成。約30年前、日本人選手が世界タイトル挑戦に21連続で失敗し、ハングリー精神を失った日本人選手は世界で勝てなくなったと言われた時代があったことをどれだけの人が覚えているだろうか。

サッカーでは三笘薫(26・ブライトン)や久保建英(22・レアル・ソシエダ)など複数の選手が、欧州のトップリーグで活躍。バスケットボールでは、八村塁(25・レイカーズ)と渡辺雄太(29・サンズ)でコンスタントに試合に出場している。

ほかにも、女子やり投げでは、北口榛花(25・JAL)が8月の世界陸上で女子フィールド競技では初となる金メダルを獲得。また、ラグビーW杯フランス大会でも、桜の戦士たちが世界の強豪と互角に戦っている。

■日本のスポーツの発展を遅らせた誤った“根性論

――日本人選手は体格が貧相で、身体能力も低いから欧米のトップアスリートには太刀打ちできない。

かつてこう言われていた時代があった。日本人選手は、なぜ世界の大舞台で活躍できるようになったのか?

「いわゆる昭和の根性論とは別次元で、科学と融合した“シン・根性論”が日本人選手の活躍を後押ししている要因のひとつでしょう」

そう語るのは、元ラグビー日本代表で、神戸親和大学教授(スポーツ教育学)の平尾剛氏だ。「根性論」と聞けば、“昭和の悪しき伝統”といった印象を受けるが……。

「スポーツ界を席巻した“根性論”の始まりは、1964年東京オリンピックで下馬評をくつがえして金メダルを獲得した“東洋の魔女”(東京五輪日本代表女子バレーボールチーム)と言われています。

当時のメディアは、チームを率いた大松博文監督が、体格的に恵まれない選手たちをしごきともいえるスパルタ的指導で鍛え上げ、世界一という輝かしい結果へと導いたと、こぞって取り上げました」

しかし、その根性論は、かなり誤って伝えられたものだったと、平尾氏は言う。

「実は、大松監督は根性論を否定していました。スパルタ的な指導で猛練習をさせるのではなく、選手が納得しなければ練習する意味がないとも考えていました。つねにチームに医師を帯同させて選手の健康状態を確認し、選手の主体性や個別性を前提とした科学的・合理的な考えのもとに指導していたのです。

ところが、大松監督の根性論が、誤解・曲解された形で社会に浸透。そこには、東京五輪以降に連載がはじまった『巨人の星』や『あしたのジョー』、『アタックNo.1』や『エースをねらえ!』の影響も大きかったのです。理不尽な練習を乗り越える主人公の姿に感動しながら、日本が強くなるためには、根性さえ鍛えればいいと植え付けられてしまったのです」(平尾氏、以下同)

根性を鍛えることが正当化された昭和という時代には、指導者が選手を殴る、人格を否定する暴言を浴びせるなどの事例が数多くあった。

根性論の反動で始まった“科学への盲信”

「根性という言葉は、仏教用語で人間の生まれ持った根本的な性質を意味しています。しかし昭和時代には、“従順に耐え忍び頑張ることのできる力”という意味しかなくなり、根性を鍛える手段として選手は過酷な練習をさせられました。

その結果、今でも根強く残っていますが、部活動をはじめスポーツ界では“しごき”や暴力的な言動による指導の温床になっているのです。怒気をふくむ強い言葉で選手を追い込めば根性がつく。人格を傷つけようとも不条理な厳しさを課せば根性が身につく。指導者は『気持ちだ!』『根性だ!』、最後は『気合いだ!』と言って、選手たちに従順さや自発的隷従を強いていった」

そんな誤解の上になりたった根性論の反動から起きたのが、科学への盲信だった。

1980年代以降になると、スポーツの現場に科学が入り込んできます。『練習中に水を飲んではいけない』という根性論に対して、運動中の水分の補給が推奨されたり、うさぎ跳びを禁止にしたりするなど科学的知見が積極的に取り入れられました。

その結果、正しいと思われる練習や筋トレさえ機械的にこなしていけば、何も考えなくても競技力は向上するはずだと。つまり、科学への盲従で「気持ちじゃない理性だ」と合理的な論理だけを重視。メソッドに頼った時代がきました。

誤解・曲解された根性論が否定されるのはいいことですが、主体的に困難を乗り越えたり、変化に対応しうる柔軟性や創造性の獲得につながったりする、本来の根性や努力さえ否定されるようになったのです」

■“言われてやる”のではなく、“自分のための”根性論

今や、スポーツにはさまざまなテクノロジーが導入されている。バレーボールでは、サーブはどこが狙い目で、反対に誰が狙われているのかなど、プレーの詳細なデータが監督のタブレット端末に試合中に送られてくる。

またサッカーラグビーでも、試合中に加速や減速をふくんだ各選手の総走行距離の計測が行われている。こうしたデータありきで、スキルや戦略・戦術、練習法が組み立てられていく時代になった。

「とはいえ、科学やテクノロジー“だけ”では、世界の舞台で活躍することは難しい。そんななか、海外に進出していった日本人選手が、本来の根性を目の当たりにします。たとえばサッカーでいえば、アフリカ出身で、国や家族を背負ってヨーロッパのチームでプレーしている選手たちはまさしく《ど根性》でしょう。もともと日本以外には、《理不尽でも歯を食いしばって練習して、殴られても文句を言わない》など歪んだ昭和の根性論が希薄です。

そこにあるのは、危機に直面したときに自ら乗り越える精神性であり、ストレスやプレッシャーへの耐久性でもあるレジリエンスとしての根性。真摯に努力することの大切さであり、意欲を高めて成長するためには、根性が不可欠であることを肌で感じてきたのです」

そんな海外を経験した日本人選手たちにより、“本来の根性”の重要性が科学一辺倒だった日本のスポーツの世界に徐々に広がっていた。

「世界で活躍する選手たちは、間違いなく根性があって、人一倍の努力をしています。しかし、それは指導者に言われてやってきたのではなく、主体的に練習に取り組んできたことの結果です。

また、来シーズンから大リーグに移籍する山本由伸選手(オリックスバッファローズ)は、万能と思われた筋トレを否定して、自分なりのトレーニングに取り組んで、圧倒的なパフォーマンスを見せています。

科学やテクノロジーをそのまま鵜呑みするのではなく、自分の頭で考え、自ら必要なエッセンスだけ取りいれて、創意工夫や試行錯誤を繰り返している。そんな科学と根性との融合である“シン・根性論”が世界で活躍する日本人選手を支えている1つではないでしょうか」

PROFILE

平尾剛(ひらお・つよし)
1975年生まれ。神戸親和大学教育学部教授。1999年、第4回ラグビーW杯日本代表に選出。2007年に現役を引退し、2009年より現職。著書に『スポーツ3.0』(ミシマ社)がある。