「息子はもう患者の命を救うことはできませんが、息子がその命と引き換えに投げかけた、過酷な医師たちの労働環境の問題が、少しでも改善されてほしいです」

そう訴えているのは、長時間労働の末に26歳という若さで自ら命を断った医師、高島晨伍(しんご)さんの母、順子さんだ。

晨伍さんは2022年5月に亡くなる前の1カ月間に、時間外労働時間が約208時間あったなどとして、労災認定された。「過労死ライン」とされる月80時間の残業時間を大きく上回っていた。100日間、休みなく働き続けていたことも明らかになっている。

しかし、いまだ医師の労働環境は改善されているとはいえず、少しでもこの問題を広く知ってもらおうと、晨伍さんの遺族は12月15日、東京・丸の内の外国特派員協会で記者会見を開いた。

⚫️最期の手紙に「限界です」

晨伍さんは当時、神戸市の甲南医療センターに勤める医師だった。記者会見で、自らも医師である兄は「弟は、患者さんの命を救ってきた医師である父の姿をみて、医師になりました」と明かした。

父と同じように、患者の命を救える消化器内科医への道を歩んでいたという晨伍さんだが、患者への対応や学会発表の準備などに忙殺され、徐々にすり減っていったという。

順子さんは記者会見で、その様子をつぶさに語った。

「亡くなる1カ月前には、趣味の野球観戦や音楽も楽しめなくなり、顔色が悪くなりました。『頭がまわらない』『誰も助けてくれない』と言っていました。私は『働きすぎはよくないよ』と言いました。

息子は『そんなことはわかってる。休みたいけど休めないんや。それならば仕事を減らして助けてくれ。もう明日起きたら、全てがなくなっていたらいいのに』と言っていました」

順子さんは「このとき、力づくでも下宿先から連れて帰るべきでした」と悲痛な思いを語った。その後、晨伍さんが下宿先で亡くなっているのを、心配になって訪ねた順子さんが発見したという。

晨伍さんが最期に残した手紙には、家族への感謝とともに、次のように書かれていた。

「知らぬ間に一段ずつ階段を昇っていたみたいです。おかあさん、おとうさんの事を忘れてこうならないようにしていたけれど限界です」

また、「病院スタッフの皆様」に宛てた手紙には、「さらに仕事を増やしご迷惑をおかけしてすみません」と気遣う言葉が記されていた。

⚫️若手医師が日本の医療の犠牲に

この日の記者会見には、厚労省の「医師の働き方改革に関する検討会」で副座長をつとめた渋谷健司医師(東京財団政策研究所)も同席し、医師の過酷な労働環境について述べた。

「日本では、勤務医の超過勤務の時間が突出しており、過労死の危険性が高まっています。日本医師会がおこなった2022年の調査では、『自殺や死を毎週/毎日具体的に考える』と回答した勤務医は4%にのぼっています。

日本の救急医療や地域医療は、従事する医師の時間外労働によって支えられており、勤務医が犠牲を払っていると言わざる得ません」

また、晨伍さんの兄も、医師という立場から次のように指摘した。

「患者の命を救わなければならない、自分の医療の技術を上げないとならないという、医師の使命感のもと、いつでも高度な医療を受けられるという医療が、日本ではギリギリ成り立ってきました。

しかし、その裏では私の弟のような若い医師が命を落としてきたという現状があります。まずは、各病院がしっかりと若手医師を守るための取り組みができると現場の医師として思っています」

一方で、「私も弟が亡くなるまでは、何が労働で、何が労働じゃないのかもわかりませんでした。患者に向き合うことで頭がいっぱいで、どれぐらい自分が働いていているかは、後回しになってしまっていました」とも語った。

「それが一番の問題で、医者の間で労働への意識があまりに低い。たくさん働いているということがある種の美徳になっています。その根本は、労働について医師が研修や教育を受けたことがないからです。

だからこそ、学生や医師に対して、研修や教育をしっかりと義務付けていく必要があるのではないかなと思っています」(兄)

順子さんたち遺族は、甲南医療センターを運営する法人を労働基準法違反で刑事告訴しているほか、国などに働きかけ、医師の労働環境改善を訴えている。

過労自死した若手医師の遺族「息子が命と引き換えに投げかけた」 医師の労働環境の改善うったえ