『つい人に話したくなる名画の雑学』(ヤスダコーシキ/KADOKAWA)第3回【全7回】

「昔の風俗をつぶやくよ」ことヤスダコーシキ氏が、落ちついた語り口をベースに、独自の解釈をネットスラングなども用いてわかりやすく絵画を解説。
名画のモチーフや当時の背景、作家の人生など、絵画にまつわる雑学を誰でも楽しく知ることができます。軽妙で読みやすい文章は、長文でもさらっと読めるほど。ヤスダコーシキワールドに惹き込まれれば、あっという間に1冊を読破してしまいます。
読後感は「おもしろかった!」と充実したものになること確実。絵画に興味がある人はもちろんのこと、絵画に対してハードルが高いと感じている人や、長文が苦手な人でも楽しめる1冊です!

いま、編集部注目の作家

つい人に話したくなる名画の雑学
『つい人に話したくなる名画の雑学』(ヤスダコーシキ/KADOKAWA

つい人に話したくなる名画の雑学
1599年頃 油彩、キャンバス 1450×1950㎜ 国立古典絵画館(イタリアローマ

つい人に話したくなる名画の雑学
『ホロフェルネスの首を斬るユディト』 アルテミジア・ジェンティレスキ 1620年頃
油彩、キャンバス 1990×1625㎜ ウフィッツ美術館イタリア、フィレンツェ)

可憐? ガッシリ? ヒロインの容姿にご注目

『ホロフェルネスの首を斬るユディト』

カラヴァッジョ 【イタリア 1571~1610年】

民を脅かす将軍の寝首を搔くユディト

 随分とヒロインの見た目が違いますが、これは2枚とも同じテーマです。絵の中で男の首を切っているのはユディト。ユダヤの美貌の未亡人です。

 彼女は神への信仰心に厚いごく普通の女性でしたが、ユダヤの民を脅かすアッシリア軍の襲撃を受けて、ある作戦を立てました。それはアッシリアの将軍ホロフェルネスを誘惑して酔わせ、寝首を搔いてしまおうというもの。現代から見るとなかなかにアバウトな作戦に見えますが、そこは昔のお話の鷹揚さ。作戦は見事に大当たりし、彼女は将軍ホロフェルネスの暗殺に成功します。旧約聖書外典の『ユディト記』に書かれているエピソードで、多くの画家が画題として取り上げています。

画家が異なればヒロインも異なる

 さて下の作品ですが、これはイタリアバロック期の大巨匠カラヴァッジョのもの。ここでのユディトは眉根を寄せてもう本当に嫌そうに首を斬っていますね。明らかに腰が引けており、ホロフェルネスとはかなりの距離を置いています。「お洋服が血で汚れちゃうの嫌だわー」とでも言っているようです。これじゃあ力が入りません。

 おまけにこのユディトは大変にスリムで腕も細く、頼りない限り。侍女も後ろから応援しているだけで、全然手を貸していません。それで男の太い首が斬れるのかと見ているこっちの方が心配になります。

 カラヴァッジョは大変性格に難がある人で、居酒屋や街角で喧嘩三昧の日々を送っていました。1606年には人を殺して「殺人画家」になってしまう程。しかしそんな人でも絵画のヒロインは可憐に描きたかったのでしょう。その気持ち分からないではないです。

 一方のジェンティレスキが描くユディト。こちらは安定感抜群です。まず若くて元気のありそうな侍女が、覚醒して暴れる将軍ホロフェルネスの両腕をがっつりホールド。ユディトも女性にしてはなかなかに太めの腕でホロフェルネスの髪をわし摑みにし、頭を押さえています。これならホロフェルネスもまな板の鯉同然。狙った獲物を逃す事はないでしょう。でもちょっと気になるのはこのユディトの見た目。ユディトは「美貌の未亡人」という設定が社会通念上妥当と思われるのですが、こちらは美貌というにはやや生活感溢れすぎている気がします。

絵画に込めた想いが分かる画家のエピソード

 何故ジェンティレスキが描くユディトがこうなったか。それは彼女が男性に手ひどく騙された事が原因と言われています。彼女は画家のオラツィオ・ジェンティレスキの子どもとして生まれ、父の弟子らを凌ぐほどの才能を発揮しました。しかし女性であるため正式な機関で美術教育を受けさせる事は叶いません。父はやむなく家庭教師を雇うのですが、これがクセ者でした。家庭教師タッシはジェンティレスキと肉体関係を持ってしまうのです。もちろん結婚の約束をした上ですが、タッシはその約束を反故にしました。要は体目的で噓をついたのでした。これに怒ったジェンティレスキは「レイプ被害に遭った」とタッシを提訴。しかしパトロンからの圧力で、タッシのローマ追放の判決はわずか四カ月で放棄されます。おまけに本来被害者であるはずのジェンティレスキは、逆に尋問などによるセカンドレイプに苦しめられる事に。ジェンティレスキは、このやるせなさと憤懣を絵画のユディトに乗せたという訳です。

つい人に話したくなる名画の雑学
1847年 油彩、キャンバス 1210×1897㎜ ファーブル美術館フランスモンペリエ)

涙が物語るは本当に怒りか――

堕天使

アレクサンドル・カバネル 【フランス 1823~1889年】

溢れる涙が物語る神への変わらぬ愛

 瞳から溢れる血涙のようにも見える涙。きつく固められた両手からは、彼の怒りが伝わってきます。彼はルシファー堕天使にして悪魔の王(サタン)です。

 かつて神に最も愛された彼は、天使の長として君臨していましたが、神への反乱を企てたとして地に墜とされました。恐らく彼は神への復讐を誓ったでしょうが、気になるのはこの涙です。ただ怒りに燃える者が、こんな悲しげな涙を流せるでしょうか。彼は恐らく誰より神を愛していたのではないか、そして地に墜とされた今でもまだ愛しているのではないか、とこの涙は思わせてくれます。

数多の弟子を抱える権威的画家カバネル

 作品を描いたカバネルはアカデミック、いわゆる伝統的かつスタンダードな絵画を描いた人でした。ナポレオン3世のお気に入りで多くの弟子を抱えていたとか。革新的な印象派の対極にいるとも言える権威的な画家ですが、ルシファーの内面をここまで深くえぐった技量は流石です。

敵を誘惑して寝首を掻っ切る美人。洋服が血で汚れるのを嫌がるような表情に笑ってしまう/つい人に話したくなる名画の雑学③