※2023年8月撮影

トップ画像は「中河原駅」北側の駅前ロータリーに面する複合商業ビル。

駅前ロータリーに沿って北に歩きます。この商業ビルで早いお昼ご飯をいただきました。買物にもとても便利です。

※2023年8月撮影

北側から駅前ロータリー。高架の「中河原駅」が見えます。

※2023年8月撮影

場所を少し「鎌倉街道」側に移動して駅前ロータリー

※2023年8月撮影

商業ビルの北東角に「西向庚申塔」があります。分かり難いかもしれないので黄色い矢印で示しています。

※2023年8月撮影

これが「西向庚申塔」。

※2023年8月撮影

中にあった「庚申塔由来」の内容です。

「庚申信仰は、中国道教の祭典であり、その源が三尸(さんし)説であるといわれている。庚申の夜に三尸虫という虫が、人の寝ている間に密かに昇天し、天上の至高神にその人の罪過を告げるというので、この夜は眠らず三尸虫に逃げ出す機会をあたえないようにする習慣である。これが日本にも伝えられ、平安時代宮中公家の間で広まり、庚申の夜に酒宴を行って夜を更した。鎌倉時代以降武家の間でも「守庚申」などといって行事が行われ、その後、室町時代の後期ごろからは庶民にも広まり、仏教的な儀礼が営まれ、供養塔も建てられるようになった。

供養塔は時代の初めには文字塔や仏菩薩を主尊としたが、やがて青面金剛像が多くなり元禄の頃には主尊の地位を確保するようになった。

古来、庚申様はおそろしい神、たたる神、それだけに利生あらたかとされ、諸病の平癒を祈り、村内安全、五穀豊穣や二世安寧を願った。

庚申とは方位でいうと西南西の位置を示し、お社の向きもこれに習うものだが、中河原の庚申様は真西を向いており非常に希なものであり、なぜ真西向きなのかは不明である。」

筆者は、これまで多くの庚申塔を見てきましたが「方角」を気にしたことがありませんでした。確かに干支「庚申/かのえさる」は、西南西ですが、それが「西/酉(とり)」であることにそれほど深い意味があるとは知りませんでした。

67歳になっても、世の中には知らない事が山の様にあります・・・。だから楽しいのですが。(笑)

「西向庚申塔」の扁額が架かっています。

※2023年8月撮影

左は「庚申供養」の文字が刻まれています。右は「青面金剛像」、上部の「日月」、足下に「三猿」と型どおりの庚申塔です。文字も刻まれていますが判読できません。

※2023年8月撮影

「西向庚申塔」から「鎌倉街道」を見ています。

※2023年8月撮影

これから「鎌倉街道」を渡って「中河原」の地名の由来を探します。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016