このたび父が亡くなった佐藤家。母を思い「遺産はお母さん1人で相続していいよ」と相続放棄を決断したひとり娘の寛子さん(仮名・51歳)ですが、この決断が「まさかの事態」を引き起こすことに……。司法書士法人永田町事務所の加陽麻里布氏が、寛子さんの事例をもとに、遺産相続の注意点と予防策を解説します。

大好きな母のため…「相続放棄」を決断した寛子さん

都内在住の佐藤寛子さん(仮名・51歳)。先日、実家の長野に住む父親(貴さん)が亡くなり、実家に戻って葬式やさまざまな手続きを済ませました。ようやく落ち着いた頃、母親(洋子さん)から相談がありました。聞けば、「遺産相続について相談したい」といいます。

寛子さんは、母親からひととおり話を聞いたあと、次のように返しました。

私はお金のことは心配いらないから、お父さんの遺産は全部お母さんが相続していいよ。1人で暮らせるうちは、それを生活費にあてるといいと思う

結婚して以来、長年専業主婦として家庭を支えてきた洋子さん。貴さんがいなくなったことで年金も減り、ひとり寂しく実家に残ることになります。

ひとりっ子の寛子さんは、ゆくゆくは洋子さんを東京に呼んで面倒をみるつもりでいました。とはいえ、自分のことを自分でできる元気なうちは、このまま長野の実家で暮らし続けて欲しいと思っています。

貴さんが遺した財産は、現預金の500万円と長野県にある自宅のみです。しかし、「田舎暮らしだし、これだけあればしばらくは問題なく暮らせるだろう」と寛子さんは思いました。

この考えを洋子さんに伝えたところ、洋子さんも納得。したがって、寛子さんは相続放棄をし、洋子さんが1人で貴さんの遺産を相続することに。寛子さんは早速家庭裁判所に申述し、手続きを済ませました。

相続放棄のせいで、疎遠だった父の弟が「共同相続人」に

それからしばらくして、洋子さんから突然電話がありました。相当焦っている様子で、寛子さんは内容がつかめません。金曜日だったこともあり、寛子さんは仕事帰りにそのまま新幹線に乗り、実家で直接母の話を聞くことにしました。

玄関を開けると、洋子さんは、寛子さんの顔を見たことで安心した様子。洋子さんはとつとつと話し始めました。

「自宅はいらないが、500万円はよこせ」

貴さんには、実の弟がいます。「達次さん」といい、寛子さんは子どものころに数回会ったことがあるだけで、ほぼ面識はありません。

貴さんはその昔、両親の介護を弟が手伝ってくれず、すべて貴さんが引き受けたことや、両親が残した借金も貴さん1人ですべて返済したことなどから、達次さんとは不仲に。ほぼ連絡をとらず、疎遠となっていました。

しかし、このたび寛子さんが「相続放棄」をしたことによって、貴さんの妻である洋子さんに加え、貴さんの弟である達次さんも「共同相続人」になってしまったのです。

相続財産は、すべての相続人と話し合わなければ手をつけることができないため、洋子さんはそれを知り、貴さんに相続の権利が発生したことを連絡しました。

“あちらはあちらで生計を立てて暮らしているのだし、私がすべて相続するといっても納得してくれるだろう”と考えていた洋子さんですが、「自宅はいらないが、相続権利分の現金は分けろ」という予想外の答えが返ってきました。

相続は、「包括承継」といって、被相続人(亡くなった人)の財産に対する一切の権利義務を承継します。したがって、達次さんはそれを受け取る正当な権利を有するのです。

お葬式にすら顔を出さなかったお父さんの弟に、父の財産を渡さないといけないなんて……

寛子さんは、ショックのあまりしばらく言葉を失ってしまいました。

相続放棄は後戻りできない…安易な即決はNG

長時間の説得の末、「数十万円」で決着

次の日、2人は車で県境にある達次さんの自宅へ伺いました。洋子さんからの提案で、「ダメ元でも直接会って話を聞いてもらおう」ということになったのです。

達次さんは、奥様のさゆりさんと2人暮らし。不機嫌そうな達次さんに対して、さゆりさんはにこやかに出迎えてくれました。

寛子さんは、達次さんに対し佐藤家の財産状況を正直に伝えたうえで、涙ながらにこう言いました。

500万円を失ってしまうと、母はこれから暮らしていくことができません。どうか、満額は勘弁してください……

達次さんは、なかなか首を縦に振りませんでした。しかし、寛子さんが時間をかけて思いを伝えたことや、さゆりさんのフォローもあり、最終的には「洋子さん側が、遺産として達次さんに数十万円だけ支払う」ということで話はまとまったようです。

相続人の定義は、民法で定められている

このような事件は、決して少なくありません。今回のように子どもが相続放棄をした場合のほか、子どもがいない夫婦などにも同様のケースが考えられます。

残された奥様だけが相続人になるつもりであっても、相続人の定義は民法で定められています。

  • まずは、被相続人のご両親が相続人となります。この場合の相続分は、妻が3分の2、両親が合わせて3分の1です。
  • また、被相続人のご両親が亡くなられている場合、その兄弟が相続人となります。相続分は、妻が4分の3、兄弟が合わせて4分の1となります。

相続放棄の多くは、財産調査後に債務が相続財産を上回ってしまう場合や、遠方に不動産があり自分では管理困難な場合、被相続人が疎遠な親戚であり関わりたくない場合など、マイナス要因によって検討されることがほとんどです。

また、相続放棄の期限は自分が相続人であることを知ってから3ヵ月となります。期間が短いからといってなんの知識もなしに安易に即決してしまうのは、大変危険です。

「相続調査に時間がかかる」などすぐに判断できない事由がある場合には、家庭裁判所に申し立てることで一定の期間延ばしてもらえる可能性があるため、頭に入れておきましょう。

「相続放棄」の効力は絶対…事前に専門家に相談を

ひとたび相続放棄をしてしまうと、その効果は絶対的であり、行った人物は“そもそも相続人ではなかった”ということになります。あとから「やっぱりやめた」というのは通用しません。

したがって、「相続放棄」を検討する際は必ず専門家に相談し、しっかり調査したうえで慎重に判断することをおすすめします。

また、子がいない夫婦の場合は「夫婦相互遺言」を活用し、すべての財産をパートナーに相続させたい旨を明確にしておくことが大切です。兄弟姉妹に遺留分は存在しないため、夫婦相互遺言を作成しておくことで、疎遠の兄弟に遺産を相続されることを防ぐことができます。

ただし、遺言を残す場合も法律が定める厳格な規定を満たさなければ、無効とされてしまいます。遺言を作成する際も、専門家や公証人を交えて「有効な遺言書」をきちんと作成することをおすすめします。

加陽 麻里布

司法書士法人永田町事務所

代表司法書士

(※写真はイメージです/PIXTA)