『つい人に話したくなる名画の雑学』(ヤスダコーシキ/KADOKAWA)第4回【全7回】

「昔の風俗をつぶやくよ」ことヤスダコーシキ氏が、落ちついた語り口をベースに、独自の解釈をネットスラングなども用いてわかりやすく絵画を解説。
名画のモチーフや当時の背景、作家の人生など、絵画にまつわる雑学を誰でも楽しく知ることができます。軽妙で読みやすい文章は、長文でもさらっと読めるほど。ヤスダコーシキワールドに惹き込まれれば、あっという間に1冊を読破してしまいます。
読後感は「おもしろかった!」と充実したものになること確実。絵画に興味がある人はもちろんのこと、絵画に対してハードルが高いと感じている人や、長文が苦手な人でも楽しめる1冊です!

いま、編集部注目の作家

つい人に話したくなる名画の雑学
『つい人に話したくなる名画の雑学』(ヤスダコーシキ/KADOKAWA

つい人に話したくなる名画の雑学
1659年 油彩、キャンバス 2280×1745㎜ カポディモンテ美術館イタリアナポリ

ダイナミックかつ華麗に、井戸へズドン!

アレクサンドロス大王の武将を殺すティモクレア

エリザベッタ・シラーニ 【イタリア 1638~1665年】

理不尽すぎる武将を見事に成敗!

 女の怒り爆発! ダイナミックな構図ですね。これはアレクサンドロス大王がテーベ(現ルクソール)を占領した時の話です。

 大王配下のある武将が現地の女性ティモクレアレイプし、その上金まで寄越せと要求しました。図々しいにも程がありますが、ここで彼女は一計を案じ、こう言います。「お金はこの井戸に隠してあるんです」。

 どれどれと井戸を覗く単細胞の武将。その時でした。彼女は武将の足を摑むと井戸にズドン! 武将は井戸の底へと消えました。

 画家シラーニはボローニャ生まれ。イタリアの女性画家の先駆とも言える女性で17歳から腕を振るった天才でした。かのメディチ家の支援を受けるほどでしたが、惜しくも27歳の若さで亡くなっています。

 なおティモクレアですが、彼女はその後大王の軍に捕まります。しかしあらましを聞いたアレクサンドロス大王は笑って彼女を許したそうです。ティモクレアの勇気に感服したのでしょう。

女性画家の死因

 シラーニは女性画家の数少ない経済的成功者。しかし、彼女の死因は彼女がかなりの社会的重圧に晒されていた事を示しています。シラーニの死因は消化器系の潰瘍による腹膜炎という説が有力。強いストレスが彼女を蝕んでいた、という事なのでしょう。

つい人に話したくなる名画の雑学
1819年 油彩、キャンバス 1051450㎜ キンベル美術館(アメリカ、フォートワース)

怒りの先に悟った王家の役割

アキレスの怒り』

ジャック=ルイ・ダヴィッド 【フランス 1748~1825年】

悲しみの表情からすべてを悟ったアキレス

 剣に手をかけた半裸の若者は、あのアキレス腱で有名な英雄アキレスです。これはギリシャ神話にあるトロイア戦争での一場面。

 ギリシャの王アガメムノンは「アキレスとの結婚」と称して娘イーピゲネイアを宮殿より連れ出します。しかし、この結婚話は噓。娘をアテナ神に生贄として捧げるのが真の目的でした。アテナに戦争の味方をしてもらうためです。王からその告白を受けたアキレスはブチ切れ、王を叩き斬ろうと剣に手を伸ばすのです。嫁候補を生贄にするなんて誰でも怒りますよね。しかし、アキレスは思い留まります。国のためとはいえ、娘を生贄にするのは辛い。王の悲しみを湛えた目を見てその事を悟ったからでした。

古代ギリシャ美術を復活させたダヴィッド

 画家ダヴィッドは、ヨーロッパの新古典主義を代表する人物。古代ギリシャ美術を復活させるという目標の集大成として、この作品を完成させ非常に高い評価を得ました。王、娘、王妃、それぞれの悲しみの表情を見事に表現した傑作です。

つい人に話したくなる名画の雑学
1568年 油彩、パネル(板) 654×832㎜ ナショナル・ギャラリー(アメリカ、ワシントン D.C.

優しい人ほど怒らせると怖い!

『神殿から商人を追い払うキリスト』

エル・グレコ 【ギリシャ 1541~1614年】

誰に対しても容赦なし! 狂戦士モードのキリスト

 愛の人キリストは、生涯に1度だけ怒りで狂戦士モードに入った事があります。これは父なる神を祭る神殿が、悪徳な両替商や捧げものの売り子に占拠されていたため。誰にでも解放されていたのを良い事に、商人たちが悪徳な商売をして、この神殿を汚していたのです。「聖激怒」した彼は、なんと革製の鞭を手に暴れ回り、不埒な商人たちを叩き出したのでした。無論、女性や子どもに対しても容赦なし。普段優しい人は怒らせると怖いという典型例ですね。

信心深いエル・グレコの作品は8割以上が宗教画

 エル・グレコはスペインの巨匠ですが、実はギリシャクレタ島出身。本名はドミニコス・テオトコプロスですが、スペイン人からしたら言いにくい名前だったのでしょう。シンプルに「あのギリシャ人」という意味で通称がエル・グレコとなりました。

 作品は8割以上が宗教画で、信心深い性格であったように思えますが、ちゃっかりヘロニマ・デ・ラス・クエバスという愛人との子どもを抱えていたようです。

怒りを爆発させた女が、敵将を井戸に放り込む!? 大王も笑って許した彼女の勇気とは/つい人に話したくなる名画の雑学④