この世に生を受けて何十年か生きてきた皆さんのなかには、今、この社会がめちゃくちゃいい感じに回っているとは思えない人も多いのではないでしょうか。言ってみれば、なんともいえない"いやな感じ"がずーっと続いているような......。

 今回紹介するエッセイ『なんかいやな感じ』は、フリーライターの武田砂鉄さんが「自分の体験や思索を振り返るようにして、この社会に染み込んでいる『いやな感じ』とはどういう蓄積物なのかを見つめようとした記録」(同書より)です。

「自分の生きている空間の下地は不穏だったと思う。思っているだけだったのか、本当にそうだったのか。今でもずっと、『外』に対して、基本的に不信感がある。そのあたりを、警察がブルーシートの上に押収物を並べるようなアプローチで記憶と記録を放出し、それはなんだったのか、時間をかけて読み解いてみたい」(同書より)

 同書では1982年生まれの武田さんが時系列で(ときに少し行ったり来たりしながら)さまざまな記憶を語ります。それはけっして個人的な話にとどまっているわけではありません。日本中が震撼した宮崎 勤の幼女連続誘拐殺人事件、多摩川に現れて一大ブームを巻き起こしたアゴヒゲアザラシタマちゃん田中眞紀子などがお茶の間でもてはやされたワイドショー政治、データやコメントの捏造が発覚した『発掘! あるある大事典II』、今のような定額制サービスがない時代に通ったレンタルビデオ店......武田さんと世代は違っても、同じ時代を生きてきた人であれば、こうしたワードを聞くと当時の空気感のようなものが肌感覚としてぶわっと蘇るのではないでしょうか。

 なかでも、私がとくに「いやな感じ」を再認識したのが「自分の責任だよね」の章。2004年にイラクで日本人3名が拘束された事件について、当時の官房長官だった福田康夫氏が「本人たちにも配慮が足りなかった」と発したことを取り上げ、武田さんはこれを政府主導・マスコミ主導の自己責任論だと述べます。

「失敗したら自分の責任、成功したら、なぜ成功することができたのか考えて、感謝すべきところに感謝しろよ、と要請する社会」(同書より)

 これは今の時代にも通じるものがないでしょうか。この自己責任問題は、経済の停滞や少子化格差社会といった現在の問題に連綿と続く「なんかいやな感じ」につながっているところもあるかもしれません。

 同書を世代論や社会論と考える人もいるかと思いますが、武田さんとしてはあくまでも「『社会』を語るより『感じ』を語ってみようと目論んでみた」(同書より)と記しています。年齢や性別に関係なく、誰もが胸の奥で社会に対して抱いている「なんかいやな感じ」。その輪郭を少しでもとらえたい人は同書を読んでみてはいかがでしょうか。

[文・鷺ノ宮やよい

『なんかいやな感じ』武田 砂鉄 講談社