毎年新年に行われる箱根駅伝の、テレビ中継を楽しみにしているという方は多いだろう。私は「見ない派」である。チラッと見て「おお、今年もがんばれ」くらいは思うこともあるが、「一日中知らない人たちが走っているのを見てるとか、意味わからん」というのが正直なところだ。そんな私であるが、この本を読み終わった後はすぐに公式サイトにアクセスしてしまった。見知らぬランナーたちの記録を見ているだけで、胸が熱くなった。箱根駅伝は1920年に第1回が開催され、2024年には100回目を迎える。1941年から46年までは戦争のため中止されていたのだが、1943年に一度だけ復活している。この小説は、その幻の箱根駅伝をテーマにしたフィクションだ。駅伝ファンの皆さんはもちろんのこと、私と同じ「見ない派」の方々にも、ぜひ読んでいただきたい小説である。

 日東大陸上競技部の駅伝監督になったばかりの成竹一進は、陸上部に所属する学生・神原に同行し、ボストンマラソンの会場を訪れる。そこで出会ったアメリカ人選手から古い手帳を託される。それは、彼の曽祖父が太平洋戦争中にマニラで拾ったという日本人兵士の日記だった。「ハコネエキデン」のことが書いてあるようなので、遺族に届けてほしいのだという。

 手帳は、世良貞勝という学生のものだった。世良は中止される前の最後の箱根駅伝に関東学連の記録係として参加していた。「最後に箱根を走れてよかった」と言い残しそのまま出征していく選手を見送った経験から、駅伝再開に対する強い思いを抱くようになる。周囲の学生たちを巻き込んで知恵を出し合い、ついには軍部や政府に所属する大人たちを動かす。

 駅伝に関わるさまざまな人々の思いや生き方が丁寧に描写されていくが、若者たちの情熱に心が洗われるだけの小説ではない。戦時下での開催を可能にしたのは、学生たちが軍部を説得するために作った戦意高揚のための大会にするという理屈だ。いずれ戦争に行くことが決まっており「箱根を走って死にたい」というしかなかった選手たちの切実さも、生き延びた学生たちの後悔と複雑な思いも、著者は丁寧に描いていく。

 世良の思いは、日記を読んで当時のことを調べた成竹と、ランナーとして快進撃を続けている神原の人生にも影響を与えていく。世界を目標とし「駅伝には出ない」と決めている神原に、日東大の主将であり、記録が伸び悩んでいる田淵は「やっぱり神原と一緒に走りたい!」と言うのだが、この二人の関係が変化していく様子には心揺さぶられる。そして、成竹には思いがけない出来事が起きる。何かに呼び寄せられるように訪れたその奇跡については、ぜひ本書を読んで知っていただきたい。

 夢の舞台で走る選手たちも、走ることができなかった選手たちも、彼らを走らせるために活動する人々も、応援する人々も、かけがえのない自分の人生の主役だ。彼らが全力で晴れ舞台を走った後には、希望のある未来が待っていることを、祈らずにいられない。

(高頭佐和子)