2022年3月以降、外国為替市場では円安が急速に進みました。これにはどのような背景があるのでしょうか。本記事では、元IMF(国際通貨基金)エコノミスト東京都立大学経済経営学部教授の宮本弘曉氏による著書『一人負けニッポンの勝機 世界インフレと日本の未来』(ウェッジ社)から、近年の日本銀行の金融政策と日本経済の状況について解説します。

デフレは経済衰退の病

海外の主要中央銀行がインフレ対策のため金融政策を引き締める一方で、日本銀行は金融緩和策を継続しています。

ここで、近年の日本銀行の金融政策を日本経済の状況と共に振り返っておきましょう。

1990年代半ばからデフレに陥り続けていた日本

2013年4月、黒田東彦前総裁は就任後の最初の金融政策決定会合で、2%の物価目標を2年程度で達成するために、日本銀行が供給するマネタリーベースを2年間で2倍にするなど、大胆な金融緩和に踏み切りました。

その背景には、日本経済がデフレに苦しんでいたことがあります。日本経済は1990年代半ばからデフレに陥りました。デフレとは、物価が持続的に下落する状況のことを指します。つまり、インフレ率がマイナスになり、それがかなりの期間継続するということです。

図表1は日本の消費者物価指数の変動を示したものです。1990年代初めには3%程度だったインフレ率は、その後減少。1995年以降、消費税の引き上げの影響で物価が上昇した1997年と2014年、それと資源高が深刻だった2008年を除くと、2010年代半ばまでほとんどの年が前年並みあるいはマイナスで推移しました。

日本では長期にわたりデフレが続きましたが、これは世界でも異例のことです。図表2は、1995年から2012年の先進国の物価上昇率の平均を比べたものです。日本だけがインフレ率がマイナスになっていることがわかります。

デフレが経済を衰退させるワケ

デフレは、経済の衰退を招く病といえます。デフレ経済では、商品やサービスの価格が下がり続けます。これは一見、人々にとって嬉しいことのように思いますが、実際にはそうではありません。

商品やサービスの価格が将来さらに下がると予想されると、人々は購入を控えるようになります。ちょっと待てばもっと安く商品やサービスが手に入るのですから、当然のことです。そうなると、消費が減少、需要が低下します。

デフレ下では、これまで通りの生産活動を行っても価格が下がるため、売上が減少します。それに伴い、企業は投資を控えるようになります。

また、消費者の買い控えが進めば、商品が売れなくなるため、企業はますます投資を躊躇することになります。投資は経済全体の約2割を占め、消費と投資を合わせると経済の8割を占めるため、これらが減少すると、総需要が大きく低下します。

総需要が低下すると、総供給が総需要を上回ります。つまり、商品を売りたい人が買いたい人よりも多くなるため、価格が下がり、経済はさらに縮小します。このように、デフレが連鎖的なデフレを引き起こす「デフレスパイラル」に陥る可能性もあります。

では、日本はなぜデフレに陥ったのでしょうか。デフレの原因については、貨幣供給不足、人口減少による需要の縮小、供給過多の産業構造など、様々な説が存在します。

デフレの原因を突き止めることは本記事のテーマではないので、詳細には触れませんが、デフレは複数の要因が絡み合って起こっており、ひとつの理由だけで説明できるものではないというのが私見です。

異次元の金融緩和

こうした状況に対し、日本経済をデフレから脱却させるべく、日本銀行は先述したように異次元の金融緩和に踏み切りました。

2013年4月:国債などを大量購入する政策へ

政府と日本銀行が異例の共同声明を発表し、2013年4月に日本銀行は前年比で消費者物価上昇率を2%程度という安定的インフレを、2年以内にできるだけ早く実現することを目指しました。

そのため、政策目標をそれまでの金利(無担保コールレート)から供給するマネーの量(マネタリーベース)へと変更し、国債などを大量に購入し、お金を市中に供給して経済を活性化する試みが始まりました。

緩和策の導入後、金融市場で円安と株高が進んだものの、物価はなかなか2%の目標には達しませんでした。

2016年1月:民間銀行が日銀に預けたお金にマイナス金利を適用する政策へ

そこで、日本銀行は2016年1月に「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を導入します。これは、民間銀行が日本銀行に預けるお金の一部にマイナス0.1%の金利を適用するものです。

民間銀行は多くのお金を日本銀行に預けておくと利子を取られるため、民間銀行が世の中に出回るお金の量を増やすことで、家計や企業がお金を使いやすい環境を整えることを狙ったものです。

しかし、マイナス金利政策によって金利全体がさらに低くなり、銀行が貸し出しで利ざやを稼ぎづらくなるなどの副作用が問題となりました。

2016年9月:イールドカーブ・コントロールへ

そのため、2016年9月に日本銀行は「長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)」という政策を導入します。

通常、債券の利回りは償還期間が短いと低く、長くなると高くなります。期間に応じた金利の折れ線グラフを描いた曲線(イールドカーブ)を操作するのでイールドカーブ・コントロールと呼ばれます。

この政策では、日本銀行が短期政策金利と長期金利の誘導目標を定め、それを実現するように国債の買い入れを行います。

具体的には、短期金利に関しては、金融機関が日本銀行にお金を預ける日銀当座預金の一部にマイナス0.1%の金利が設定されています。

また、長期金利の代表である10年物国債の利回りは、ゼロ%程度に誘導されており、2022年12月には許容される利回りがプラスマイナス0.25%程度からプラスマイナス0.5%程度に拡大されました。市場関係者はこれを事実上の利上げだととらえました。

さらに、日本銀行は2023年7月に長期金利操作の修正を決めました。長期金利の上限は0.5%を「めど」としたうえで、市場動向に応じてこの水準を一定程度超えることを容認しました。

このように日本銀行は2013年から10年間、大規模な金融緩和を続けてきました。2022年までにインフレ率は日本銀行が目標とする2%に達することはなかったものの、2013年からコロナ禍が始まる前の2019年までは、インフレ率はプラスで推移しており、デフレ脱却には成功したと言えます。

急速に進んだ円安

日本と海外の中央銀行の金融政策の違いが為替相場に大きな影響を与えています。日本銀行が金融緩和を続ける一方で、FRBは利上げを実施しており、日米間の金利格差が拡大し、円安が急速に進行しました(図表3)。

2022年3月のFRBの利上げ前、10年物国債利回りで見た日米の金利差は約1.5%でしたが、FRBの利上げに伴い格差が拡大し、同年10月には4%近くまで上昇しました。その後、若干縮小されましたが、2023年7月時点でも3%前半と、1年前と比べてほぼ倍の差があります。

こうした日米金利差の変動に伴い、外国為替市場では円安ドル高が進み、2022年3月初めに1ドル=115円だった為替レートが、同年9月には140円台に急騰。

政府と日本銀行は、急速な円安に対処するため、9月22日に、1998年6月以来、約24年ぶりとなる円買・ドル売りの為替介入を実施しました。為替介入後も、円安は加速し、10月には1ドル150円台に達し、32年ぶりの安値を更新しました。

その後、日本銀行の金融緩和策の修正が予想されたことから、為替相場はドル安.円高に振れ、2023年1月には127円台まで戻りました。しかし、その後再び円安が進み、2023年7月末時点で1ドル=140円台前半となっています。

そもそも為替レートとは

ここで、為替レートについて簡単に説明しておきましょう。為替レートとは、円とドルや円とユーロのような2つの異なる通貨間の交換比率のことです。

通貨を交換するときの「価格」ですから、基本的に為替レートは通貨の需要と供給のバランスで決まります。そして、経済の変動や人々の予想、さらには中央銀行の政策など多様な要因が、通貨の需給を介して為替レートに影響を与えます。

「円高」と「円安」という言葉は、文字通りそれぞれ日本円の価値が高まること、低下することを意味します。例えば、1ドル=100円の為替レートでは、1ドルを買うために100円が必要です。

しかし、為替レートが1ドル=200円になると、1ドルを手に入れるのに200円が必要になります。つまり、100円では0.5ドルしか購入できなくなります。1ドル=100円の時よりも100円で買えるドルが減ったことは、円の価値が下がったということです。

したがって、為替レートが1ドル=100円から1ドル=200円になる場合、これは円安ということになります。

では、なぜ日米金利差が為替レートに影響するのか、考えてみましょう。アメリカの金利が日本の金利よりも高くなると、円安・ドル高になるとはどういうことでしょうか。

「円売りドル買い」が日本で拡大している理由

この疑問に答えるには、定期預金を例に考えるとわかりやすいでしょう。

皆さんが日本の銀行かアメリカの銀行のどちらかに預金をしようとしているとします。日本の銀行の定期預金金利が0%で、アメリカの銀行の定期金利が3%だとします。アメリカの銀行の金利の方が高いため、そちらにお金を預ける方が有利だと考えるでしょう。

しかし、皆さんが持っているのが日本円の場合、そのままアメリカの銀行に預金することができません。まず、手持ちの円をドルに両替する必要があります。つまり、円を売ってドルを買うことになります。その結果、為替レートは円安・ドル高に動くことになります。

ただし、現在進行中の円安ドル高は、日米の金利格差が拡大したことだけが原因ではありません。世界的なエネルギーや原材料の価格高騰も影響しています。これにより、輸入のためにドルを調達する必要が増え、円売りが拡大しているのです。

宮本 弘曉

東京都立大学経済経営学部

教授

※画像はイメージです/PIXTA