この記事をまとめると
■車種名に地名が入っている日本車を集めて名付けの由来も調べた
■欧米への憧れか、日産車には欧米の地名を車名とするモデルが多数存在している
■日本の地名を名付けられたモデルもある
地名を車名にしたその思いとは?
クルマの名前というのは、そのクルマがどんな人に向けて、どんな想いを込めて作られたものなのかを表す、とても重要なものですね。キーワードとなる単語から名付けたり、いくつかの単語を組み合わせた造語だったり、日本人にも耳馴染みのよい外国語からきた名前だったり、由来はさまざまですが、近年はアルファベットと数字を組み合わせた名前も多くなっています。それは、すでに商標登録されている名前が多すぎて、なかなか希望通りの名前がつけにくくなっているため、比較的自由度の高い記号のような名前に落ち着くという背景もあるようです。
さて、そんな車名には、地名がつけられているものがあります。どんな経緯でその名前になったのか、どのような意味があるのかなど、今回は国産車のなかから地名がついたクルマをご紹介します。
まず1台目は、地名そのままという日産ムラーノ。流麗かつ近未来的なスタイリングが目を惹く、新世代ラグジュアリーSUVとして2002年に北米で発売され、その後には日本でも2004年から販売がスタートしたモデルです。上質で洗練されたインテリアは、後席が電動操作できるなどプレミアムな装備も採用されており、3.5リッターのV6エンジンと2.5リッター直4エンジンという、当時の日産のゴールデンコンビともいえるパワートレインを搭載。新たなマーケットを開拓した1台といえます。
そんなムラーノという名前は、イタリアのベネチア本島から北東に位置する「ムラーノ島」に由来します。7つの小さな島で構成されており、人口は約6000人という小さな島ですが、世界的に有名なベネチアン・グラスの産地として知られています。その歴史は古く、13世紀にベネチア本島からガラス製造工場が移され発展してきたのだとか。鉛を含まないソーダ石灰を使用し、鉱物を混ぜることで色彩豊かなガラスが生まれ、ときに緻密にときに大胆な組み合わせで作られるガラス製品の美しさは、いまも人々を魅了しています。
色褪せない美しさと個性を持ち、格式高い美術品であるベネチアン・グラスのイメージは、ラグジュアリーSUVにピッタリの名前ですね。
2台目は、1979年に登場した日産サニー カリフォルニア。こちらは4代目となったサニーが発売されてから、約1年後に追加でラインアップされました。印象的なのは、鮮やかなイエローのボディカラーのサイドに大きくウッドパネルがあしらわれた、ハッピーでスタイリッシュなデザイン。ステーションワゴンでありながら、セダンのような快適な室内や乗り心地、スポーティな走行性能を手にしていたほか、当時はまだ珍しかった左右が独立して折りたためる機構を後席に採用して、多彩なシートアレンジを可能とした使い勝手を実現していました。
名前の由来となったのは、1970年代に日本で巻き起こった「西海岸ブーム」。ファッションではリーバイスの501、コンバースのスニーカー、ダウンジャケットなどが大流行し、サーフィンやテニス、ヒッチハイクにバックパッカーといった健康的で自然回帰的な遊びに若者たちが夢中になっていたころで、荷物を満載にして、海へ山へと自由に移動できる、スタイリッシュなクルマを求めていた人たちに向けて、誕生したのがサニー・カリフォルニアだったというわけです。
日本の地名を名乗ったクルマもあった
3台目は、1984年に登場した日産パルサー ミラノX1。こちらは日産として初めてのFFモデルとなったチェリーの系統を継ぐコンパクトカーとして、1978年に登場したパルサーに追加された3ドアハッチバックのグレード名でした。なぜミラノ? と思うかもしれませんが、じつは1983年に日産とアルファロメオがARNAという合弁会社を設立し、その記念としてアルファロメオの創設地であるミラノの名前が加わったというわけです。
ちなみにX1というのはチェリーの開発コードネームで、高性能グレードを意味していたものとのこと。ミラノX1はパルサーのなかでも上級グレードに与えられていました。
さて4台目からは、日本の地名がついたクルマたち。まずはミツビシが北米向けに生産していたギャラン ラムダを、クライスラーがプリマスブランドを通じて販売する際に命名したという、プリマス・サッポロです。
1978年に登場したモデルですが、なぜサッポロかというと、1972年に冬季オリンピックが開催されたのが北海道の札幌だったからなんですね。オリンピック史上、初めてアジアで開催された大会であり、32年前の1940年に一度開催が決定していたのに、日中戦争の影響によって開催権を返上して幻の冬季オリンピックになってしまったところから、ようやく実現した大会でもありました。それが大成功したことで、「サッポロ」という響きが世界的に良いイメージで浸透したということなのでしょう。
どこかダイナミックでタフなスタイリングに、角型デュアルヘッドライトがスポーティな2ドアクーペのプリマス・サッポロは、2.6リッター直4エンジンを搭載。新世代の洗練されたスペシャリティカーとして、1983年まで販売されていました。
5台目は、土地の名前でもあり、時代名でもあるのですが、いすゞアスカというクルマがありました。1983年に、GM社がワールドカーの「J-Car」の一環として開発したセダンで、世界初の車速感応・操舵力3段切替式パワーステアリングを採用。車速や路面状況などに応じて、好みの操舵力を選ぶことができる、画期的なシステムとなっていたほか、車高自動調整システムも採用されていて、常に安定した姿勢を保ちながら快適に走行できるようになっていました。
このアスカをベースとしたアスカ2000ターボはWRCにも参戦し、グループAクラス優勝を成し遂げており、いすゞが販売した最後のセダンでもあります。
ただ、よくよく名前の由来を調べてみると、どうやら地名ではなく、「飛鳥時代」から選定したもよう。日本文化が初めて花開き、外国から伝来した文化をもとに日本人の情感と巧みさを加えて完成した時代であることから、ますます国際化するクルマのありかたを考えて「アスカ」としたとのこと。とはいえ、奈良県には明日香(飛鳥)という地名があるため、仲間に入れさせていただきました。
また、同じく地名のような地名ではないような、というところではダットサン1000セダン 富士号という1950年代のラリー車もあります。日本の地名がつけられた国産車というのは、意外にも少ないですね。
というわけで、地名が入った車名を持つ国産車をご紹介しました。
コメント