巨万の富と強大な軍事力を持つ帝国マザー・ワールドが支配する銀河。過去を捨てたコラは、宇宙の辺境にある小さな惑星の平穏な村でひそかに暮らしていた。しかしある日突然、ノーブル提督率いる帝国の軍勢が村を襲撃。コラは村人たちを守るため、そして自身の過去と向き合い償うために立ち上がることを決意する。

 ザック・スナイダー監督が構想に20年以上を費やして完成させたSFスペクタクル2部作の第1部『REBEL MOON - パート1:炎の子』が22日から、Netflixで世界独占配信スタートとなる。配信に先駆けて来日したコラ役のソフィア・ブテラとノーブル提督役のエド・スクラインに話を聞いた。




-まず、演じたキャラクターの紹介と、お互いの演技の印象についてお願いします。

エド 僕が演じたのは、アティカス・ノーブル提督という役でしたが、非常に残忍、残虐で、サディスティックな人物です。マザー・ワールドの帝国で征服を行い、搾取して何も与えない人でもあります。ですので、欲望の進化系といいますか、ひどい状況を生んでいる張本人であり、資本主義エリート意識の権化であるともいえます。

 一方、ソフィアについてですが、彼女は本当に素晴らしい仕事をしたと思います。彼女は、非常に不安定なところがある、とても複雑な役を演じていて、自分が何者なのかが分からないという葛藤を表現することが、とても大変だったと思います。自分の場合は、ノーブルは絶対的な自信と明白さを持っているキャラクターだったので、演じるのはソフィアよりも容易でした。そう考えると、ソフィアは本当に大変だったと思います。あれだけの複雑なキャラクターを本当に見事に演じていました。

ソフィア 私はコラというちょっとミステリアスな役を演じました。はるかかなたにある遠い星の、みんなが農夫として働く小さな村で暮らしていますが、実は彼女にはとても危険な過去があり、その過去がだんだんと彼女を追い詰めていきます。

 今回は、とても撮影期間が長かったのですが、エドはアティカス・ノーブルという役を演じ切りました。大変な撮影でしたが、彼は見事にノーブルを体現し、時には本当に彼から威圧的な恐怖を感じることもありました。私は、以前からエドを知っていたので、普段は優しい彼が、役の上でああいう状態になった時に、恐怖を感じておびえているのが、素の私なのかキャラクターとしての私なのか、そしてあれはエドなのかキャラクターなのか、その線引きを曖昧に感じる時もありました。ただ、私が演じたコラは、何かを守るという考えを持っているキャラクターですが、エドが演じたノーブルは非人間的なキャラクターで、その内面にも取り組んだと思うので、153日間というとても長い撮影の間、本当に素晴らしい仕事をしたと思います。印象深かったですし、敬意を表します。

-今回の映画は、黒澤明監督の『七人の侍』(54)にもインスパイアされた作品だと感じました。お二人は親日家なのではないかと想像しますが、日本のいいところと悪いところがあれば教えてください。

ソフィア 数年前に日本で映画の撮影をしましたし、ダンサーとしても来ていますが、日本の悪いところは思い浮かびません。日本の文化は豊かで、いろいろなものがたくさんあるので、この映画もそうした影響を受けているところはありますし、ザッカー監督にも、そうした面があるのは間違いないと思います。欧米の監督たちの多くが日本の文化から影響を受けて作品に取り組んでいます。私自身も『獣兵衛忍風帖』や『攻殻機動隊』など、日本のアニメを見て育っていますので、本当に日本からは大きな影響を受けています。子ども向けに作られたのではなく、特別な状況や物語、そしてジレンマをよりうまく表現するためにアニメという手法が使われているというのを聞いて、なるほどと思いました。

エド 日本に来るのは2度目なのですが、もう十分だというほど日本に滞在してみたいですし、何か好きなことを見つけられるまで過ごしたいと思うぐらい日本が大好きです。僕は日本についてはロマンチックな目線で見ているので、全てが紅色やピンク色に見えてきます。例えば、ロンドンにも、豊かな文化はありますが、それはいろんなものがミックスされた文化です。日本は、同じ文化が何世紀も続いているから、伝統もずっと引き継がれているところがあり、素晴らしいと思います。敬意を表します。そして、僕はマーシャルアーツをやっているので、日本は武術のメッカであるということもあります。自分が武術から得る謙虚さや、自制心、規律、敬意というものは、自分の道場でも常に学んでいます。僕は武術を通して子どもたちにも、こうしたことを学んでほしいと思っています。日本は、芸術、アニメ、漫画、そして和食も、本当に素晴らしいです。日本の地方で数週間過ごすというのが僕の夢です。お茶やお酒を飲みながら温泉に入るのもいいかな、などと思っています。




-最近は、コラのように強くて戦う女性が主人公の映画やドラマが増えてきたと思いますが、ソフィアさん自身にコラとの共通点はありましたか。

 コラと共通しているところは、お互いがルーツとは異なる文化圏で暮らしていることだと思います。私は10歳の頃、内戦が起こったために祖国のアルジェリアを離れました。そしてフランスに移住して、また21歳になった時にアメリカに移住しました。ですので、地球上で生きていられることのありがたさは感じますが、時として、自分の祖国に対する根強い意識や、つながりを感じられなくなることもあります。なので、自分の祖国に対する意識を強く持っている人をうらやましく思うこともあります。コラも、幼い頃に自分の星から連れ出され、他の星で生活していますし、その後、移民してきてベルトというところで暮らしています。そういうところに私とコラとの類似性があるのかなと思います。

-エドさんはこれまでヒーローと悪役の両方を演じていますが、こうして間近で見ると笑顔がすてきな優しい人だと思います。今回のような悪役を演じるのは好きですか。また、ヒーローと悪役の両方を演じるのはどんな気持ちですか。

 優れた脚本で表現されているキャラクターは大切だと思います。でも考えてみると、よく書かれたいい人よりも、よく書かれた悪役の方が楽しいかもしれません。自分としては、毎日バランスの取れた、自分も周りの人々もいい気持ちになれる環境が作れる、きちんとした良心を持った者として、世の中や周りの人たちに貢献できるようなポジティブな気持ちを持って生活をしているつもりです。ですが、時には自分を解放することも必要なのかなと思います。だから演技という安全なやり方で、役を演じることによって、全く罪悪感を持たずに、悪い行いや態度を得ているということもあると思います。「アクション」と言われて、自分はひどいことをするんですが、「カット」と言われれば、普通に戻って、衣装さんやメークさん、スタントの人たちと交わったりすることができますし、帰宅して自分の子どもたちに、なりたい父親として接することもできます。

 年を取るとともに、いろんなことを自分が探求していく中で、自分の内面の調整ということが生じてきます。今までの演技の中で、シャドーワーク(影の作業)として行っていることがありましたが、今回は153日間という長い撮影の間に、時には全てが影の部分に引きずられてしまったことがありました。ただ今の僕にはアティカス・ノーブルの面は全くないと言えますし、今は光りのあるところにいると思います。その意味では、とても印象深い経験でした。この経験を通していろいろと学ぶことができたと思います。そして、役者としてだけではなく、よりよい人になるためにも素晴らしい経験だったと思います。

(取材・文・写真/田中雄二




(左から)エド・スクラインとソフィア・ブテラ (C)エンタメOVO