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修業時代は「朝7時から夜中1時まで働き通しだった」と語った(94年11月22日号より)

料理の鉄人』(フジテレビ系)の“中華の鉄人”として一躍有名になり、その後も、NHK『きょうの料理』の講師のほか、四川料理の普及や後進の育成に務めていた陳建一さん(3月11日逝去、享年67歳)。

日本人に合った麻婆豆腐を広めた存在でもあり、「本場四川の味そのままでは日本人には受け容れられないため、香辛料の使い方を変え、豆腐を新開発するなどの試行錯誤の末、他店では見られない、また中国本土のものとも一味違う独自の一品を世に送り出し、消費者から高い評価を得ている」と、2008年には厚生労働大臣が卓越した技能者を表彰する「現代の名工」となった。

そんな陳さんが38歳の頃、『女性自身』1994年11月22日号、「『料理の鉄人』が明かす ああ懐かしの修業時代」に登場。四川料理を日本に初めて紹介した父・建民さんからは「彼女に食べさせるつもりで作れ」と教えられたことなどを語っていた。

「学生時代は、豪華で雰囲気のいいところばかり選んで飲食店のアルバイトをしていました。料理人になるつもりだったから、和洋問わず食べ歩きもしましたよ」

「父の下で、朝7時から夜中1時まで働きどおし。厨房の清掃も私の仕事。冷蔵庫や台の上を手で触って少しでも汚れがつくと、掃除はやり直しでした。先輩たちへのコーヒーも、出すタイミングが悪いとまたやり直し」

「7年目に初めて調理させてもらった。でも、味は盗むもので誰も教えてはくれない。だから、お客さんの残したものや、皿についた汁などを小指ですくって口で確かめるわけ。その味覚を忘れないようにメモしたり、料理の切り抜きを貼ったノートは、段ボール何箱分も残っています。それが僕の宝ですね」

多くの常連客をうならせた“人を幸せにする四川料理”は、下積み時代の苦労なくしては生まれなかったのだ。