各国のビッグマックの価格を比較することで、それぞれの国の「購買力」を把握することができます。日本のビッグマックの価格から読み取れる「円」の価値は、どのようなものなのでしょうか。本記事では、元IMF(国際通貨基金)エコノミスト東京都立大学経済経営学部教授の宮本弘曉氏による著書『一人負けニッポンの勝機 世界インフレと日本の未来』(ウェッジ社)から、日本経済の実情について解説します。

安いニッポン

ビッグマックでわかる日本の「安さ」

日本ではインフレが急速に進み、人々の生活に重圧がかかり始めています。

わたしたちにとって身近な日本マクドナルドも2023年1月に価格改定を実施しました。マクドナルドの人気商品であるビッグマックの価格は、それまでの410円から40円上昇し、450円になりました。小さくない衝撃を与えた新価格ですが、他の国々と比べるとまだまだ安いというのが現実です。

実は、ビッグマックは海外と価格を比較する際によく使用されます。ビッグマックはどこの国でもほぼ同じ品質で製造されているので、各国のビッグマックの価格を比較することで、それぞれの国の購買力を把握することができます。理論的には、同じ品質であればどこで販売されても同じ価格になるはずです。

しかし、実際には、各国の原材料費や労働コストなど様々な要因により、商品の価格は国ごとに異なります。このため、ビッグマックの価格を比べることで、その国の購買力を比較できるわけです。

ビッグマックを用いて各国の購買力を比較するというアイデアは、イギリスの経済専門誌『エコノミスト』が1986年に考案したもので、年に2回データが発表されます。

2023年7月時点で、日本で450円で販売されているビッグマックは、アメリカでは5.58ドルとなっていました。

仮に同じ商品の価格が世界中どこでも同じだと考えると、為替レートは1ドル=80.65円(=450円÷5.58ドル)となりますが、実際の為替レートは1ドル=142.08円で、円は約43%過小評価されていることになります。

また、アメリカのビッグマック価格を日本円に換算すると、792円となり、日本の価格の約1.8倍となっています。

もっとも値段が高いのはスイスで、日本円に換算するとなんと1,094円となります。日本では450円で買えるのに、スイスだと倍以上の金額が必要となるため、日本人にとっては「高い」という感覚になるのではないでしょうか。

しかし、現地のスイスの人にとっては、それがビッグマックの日常の価格なので、高いとは感じないのです。言い換えれば、それだけ日本は安い国であるということです。

この「安いニッポン」の傾向は、他の商品でも見られます。

ラーメン1杯2,210円…アメリカと日本の埋まらない差

例えば、米アマゾン・ドット・コムの会員制サービス「アマゾンプライム」の年間費用は日本では4,900円ですが、米国では139ドル、英国では95ポンド、ドイツでは89.90ユーロとなっています。

為替レートを1ドル=130円とすると、アメリカの年会費は1万8,070円になり、日本の年会費はアメリカのほぼ3割に過ぎません。

また、日本のラーメン店チェーン「一風堂」はアメリカでも人気を博していますが、価格にはかなり差があります。日本国内では、ラーメン一杯790円で提供されていますが、米国では17ドルという価格がつけられています。

1ドル=130円で計算すると、アメリカでの一杯当たりの価格は2,210円になります。

さらに、世界中で大人気のディズニーランドの入場料も、日本と他国では大きな違いが見られます。東京ディズニーランドは、2021年10月1日に値上げが行われ、大人の入場料が7,900円から9,400円に変更されました。

入場料が高くなったと感じられる人も多いのではないかと思いますが、アメリカフロリダの1日券は109〜189ドルで、1ドル=130円換算で1万4,170円〜2万4,570円になります。

安いニッポンをもたらした根本原因

アマゾンプライムの価格がアメリカで日本の3倍以上、一風堂のラーメン価格が2.8倍といった、日本と海外の価格差は為替レートの動きだけで説明がつくものではありません。それぞれの国での物価の動きも重要な要素となります。

例えば、日本と海外で物価上昇率が同じであれば、国内物価が海外物価よりも安くなったのは円安が理由と言えます。

しかし、現実は異なります。日本は長期デフレで物価が停滞している一方で、他の先進国では毎年平均2%近く物価が上昇していました。

2000年とコロナ禍直前の2019年の物価水準を比較すると、この20年間で日本の物価はわずか3%しか上昇していないのに対し、アメリカでは1.5倍にまで跳ね上がっています。

日本が海外に比べて安い国になったのは、昨日今日の話ではありません。むしろ、日本は長い期間にわたって安価になってきたのです。直前の円安だけで説明できるものではなく、長年にわたる日本と海外の物価上昇率の差が、安いニッポンをもたらしたのです。

そして、その根因には日本経済の体力が落ちていることがあります。

経済が長期デフレで停滞した結果、国民の所得が伸びず、消費意欲が失われました。企業が少しでも値上げをすると、消費者は手を引く傾向がありました。顧客を獲得するため、コスト削減による値下げ競争も起きました。

この状況が、消費者のデフレマインドを強化し、値上げに対して拒否反応を示す消費者が増え、企業はますます値上げができない状況に陥りました。一方で、海外では物価が上昇し続けたことから、日本の購買力が大幅に低下し、安いニッポンになったのです。

1ドル=360円の固定相場制だった時代と同じ購買力しかない日本円

円の購買力は1970年代に逆戻り

日本円の総合的な力を測る指標として「実質実効為替レート」と呼ばれるものがあります。この指標は物価や複数の通貨間の関係を考慮し、円の実力を測るものです。

先ほど、「日本の購買力」を考える際には、国内と海外の物価を考慮する必要があると述べました。実質実効為替レートにおける「実質」は、まさにその点を反映しています。つまり、「実質」というのは、各国の物価状況を調整したということです。

また、これまで円とドルの為替レートに焦点を当ててきましたが、実際には多くの通貨ペアが存在します。例えば、円とユーロ、円とポンド、円と人民元などです。

経済を為替レートから分析する場合、単一の為替レートだけでなく、為替レート全体の動きをとらえる必要があります。実質実効為替レートの「実効」は、様々な通貨と円の間の為替レートを平均的に出すということです。

[図表]を見てください。ここでは、2020年を100とした指数の形で、円の実質実効為替レートの推移が示されています。

実質実効為替レートが高いほど、対外的な購買力が強まり、海外製品をより手頃な価格で購入できることを意味しています。

2022年10月の実質実効為替レートは73.7と、1970年以降の最低水準まで低下しました。つまり、1ドル=360円の固定相場制だった時代と同じ購買力しかないということです。

その後、実質実効為替レートは若干、上昇しましたが、2023年5月は76.2と依然として低いままです。この数字はピークだった1995年4月の約4割の水準となっています。

宮本 弘曉

東京都立大学経済経営学部

教授

※画像はイメージです/PIXTA