定年後の「再雇用制度」を取り入れている企業は多いですが、なかには60歳からセカンドライフを満喫したいと考える人もいるでしょう。ただその場合、たとえ預貯金等に余裕があっても、老後の資金計画には注意が必要だと、株式会社よこはまライフプランニングの代表取締役、井内義典CFPはいいます。“ある理由”で再雇用を拒んだAさんの事例から、年金を考慮した老後の資金計画の重要性をみていきましょう。

“悠々自適な老後”を過ごせると信じて疑わなかったAさんだが…

Aさんは現在65歳。1歳下の妻Bさんと暮らしています。60歳で退職しており、退職時の年収は約1,200万円だったそうです。60歳当時、退職金で住宅ローンの返済を終えることができ、残る貯蓄等は3,000万円ほど。

また、子どもたちは上の子が大学を卒業しており、下の子も1年後には卒業するため、教育費の不安もないと考えました。

加えて、63歳から65歳までは特別支給の老齢厚生年金(特老厚)の受給が可能です。そんな状況から「60歳で会社を辞めても、贅沢しすぎなければ問題なく生活できるだろう」と、楽観的に考えていたといいます。

しかし、65歳からの年金が最初に支給された日。振り込まれた年金額を見て、Aさんは絶句しました。そして同時に、自らの選択を心から悔やんだそうです。一見、悠々自適な老後を過ごせそうなAさんの身に、いったいなにがあったのでしょうか。

会社からの再雇用打診…実はプライドが邪魔をして断っていた

Aさんは上場企業で部長職まで勤め、60歳で定年を迎えました。会社では再雇用制度により、60歳から65歳まで嘱託社員として勤務できることになっています。

再雇用後は、管理職としての責任や負担はないとはいえ、仕事の量や勤務時間は定年前と変わりません。一方、年収1200万円だった給与は、半分より少ない500万円となってしまう……Aさんはこの点に納得がいきませんでした。

そしてなにより、これまで多くのプロジェクトを統括し、部下を指導する立場にあったAさん。再雇用になった場合、かつての部下の下で働くということについて、プライドが許さなかったそうです。

さらに、63歳から65歳までの2年間は、特別支給の老齢厚生年金(特老厚)が受けられるようになりますが、働き続けることで年金がカットされると知り、「長年、厚生年金保険料を払ってきたのに、もらえるはずの年金がもらえないなんて、バカバカしい」とも感じていました。

60歳の時点で貯蓄等は3,000万円ほど。まだまだ余裕があると判断し、再雇用の話は断り、退職を選択しました。

退職後しばらくは、趣味のゴルフや夫婦で旅行を楽しんでいたAさん。在職中は土日出勤もあって忙しく、なかなか休みを楽しめなかったこともあり、しばらくは充実した日々を過ごしていました。

しかし、普段の生活で節約はしていたつもりでも、趣味の生活を充実させるため、結構な額のお金を使っていました。また、ゴルフや旅行の日々も段々と飽きてきたAさんは、そのうちただ何となくテレビをみて過ごすことも多くなったそうです。

Aさんが思わず絶句した「年金受給額」

こうしてAさんは65歳を迎えましたが、妻のBさんから恐る恐る、衝撃の事実が伝えられました。

Bさんいわく、65歳までにあった急な支出(災害、経年劣化による自宅の修繕費など)、近年の物価上昇なども影響して、気がつくと「貯蓄額が1,000万円ちょっとまで減っていた」とのこと。

Aさんは思わず「どういうことだ!家計の管理はお前の仕事だろう!」と声を荒らげてしまいました。しかし、夫婦のお金は2人の問題であり、関与していなかったAさんにも非があります。

たった5年で2,000万円近く使ってしまった……確かにBさんが言っていたとおり、風呂にトイレ、キッチンのリフォームのほか、耐震補強工事など、この5年で家にはかなりお金をかけた記憶があります。

というのも、Aさんは定年後家にいる時間が増えたことで、家の老朽化が目につくようになっていました。これからまだ数十年住む予定の家だからと、お金のことはあまり深く考えず、素材や見栄えにもこだわってしまったそうです。

そんななか、Aさんの65歳からの年金は、老齢基礎年金と老齢厚生年金、加給年金も込みで260万円となり、1年後Bさんが65歳になると、加給年金がなくなって220万円程度になります。

Bさんの年金は65歳から80万円となりますので、夫婦で65歳を過ぎると合計300万円となる見込みです。

「現役時代は1,000万円以上稼いでいたのに、もらえる年金はこんなに少ないのか……」と、貯蓄に余裕があったため年金について真剣に考えてこなかったAさんは、現役時代との収入の差に絶句しました。

この年金額は、もし再雇用されていれば受けられた給与よりもさらに少ない額となります。ギリギリの生活であればなんとかとかなっても、突発的にまとまった支出が発生すると確実に赤字になりそうでした。

ここで初めて老後資金の枯渇を恐れるようになったAさんは、60歳でのリタイアを悔やんだそうです。

プライドを捨てて再雇用を受けていれば…Aさんの後悔

もしも65歳までの5年間、再雇用を受けて厚生年金に加入していた場合、63歳から65歳までの特老厚はカットされていたとしても、65歳以降の老齢厚生年金が多く計算されることになります。厚生年金に加入していた5年分が加算され、その額が65歳から生涯受けられることになっていたのです。

また、5年間勤務を続ければ60歳前ほどでないにせよ、貯蓄をすることもできたでしょう。

この貯蓄を65歳の退職以降に活用し、そのうえで65歳からの公的年金は繰下げ受給で増額すれば、長生きに備えることもできました。

しかし、現実の貯蓄の額からして、Aさんには繰下げで受給を遅らせる余裕もなく、そのまま65歳から受け取ることになったのです。

65歳からの再就職は厳しい

そうした厳しい状況のなか、Aさんは「働いて稼ぐしかない」と思いました。しかし、ただでさえ年齢的に再就職が厳しくなるなか、60歳から65歳までのブランクが大きく、Aさんはこれといった資格も持っていなかったため、仕事探しに苦労することになりました。

結局、見つけられたのはごく短期間のアルバイトしかありませんでした。時給にして1,300円程度。生活の足しにはなりましたが、とても贅沢はできません。また、新しい業務を覚えることに苦労し、年下の社員から度々注意を受けることも苦痛です。

それでも生活のために我慢するしかなく、貯蓄もいくら残っているか、減っていないかを気にしながら過ごすことになりました。

また、Bさんも働きはじめましたが、同様に少ない収入しか得られない状況で、将来、子どもたちの結婚資金、AさんやBさんの医療・介護費用も発生しそうだと考えはじめると、とても安心できる老後とは言えない状況になってしまったのです。

65歳まで勤務するのが当たり前の時代

「生涯現役」を目指すくらい長く勤めたいか、早くにリタイアしたいかは個人の価値観によるところもあるでしょう。

人生100年時代、65歳以降の人生も長くなっています。退職時には、こういった資金不足のリスクについて理解しておくことが必要です。

また、長いあいだ会社員として仕事中心の生活を過ごした人は、退職して突然会社に行かなくなると、日々の過ごし方かがわからなくなってしまうことがあります。この点を理解したうえで、定年後の働き方や生活、年金受給を考えなければならないでしょう。

結局Aさん夫婦は、こうした状況を見かねた社会人の子どもたちから、金銭支援を受けることとなりました。

しかし、子どもたちを頼ってしまっていることについて、「現役時代はあんなに稼いでいたはずなのに……生活は楽になりましたが、子どもたちに申し訳なくて、みじめです」とうつむいていました。

老後は公的年金収入のみでは足りず、貯蓄等にも限りがあります。年金生活をはじめる前の現役時代から、老後資金としていくら必要なのかを「想定外の出費」なども考慮したうえで見積り、収入と収支のバランスについて計画を立てておくことが大切です。

井内 義典

株式会社よこはまライフプランニング代表取締役

特定社会保険労務士/CFPⓇ認定者

(※写真はイメージです/PIXTA)