カナダ、ニューファンドランド島とラブラドル半島の間にあるとされていたその島は、16世紀までは確かに地図に存在していた。
船乗りたちはその海域に近づくと巨大な獣の咆哮のようなものが聞こえ、幽霊やグールがはびこっていると恐れ、足を踏み入れる者はおらず「悪魔の島」と呼ばれていた。
だが17世紀半ば、地図作成者が重大な発見をした。そこに島などなく、悪魔の島は幻の島だったのだ。
500年近くにわたって、カナダ、ニューファンドランド島とラブラドル半島の間の、人を寄せつけないこの極寒地域になにがあるのか、さまざまな噂があった。
初期のヨーロッパ人は、ニューファンドランド島最北端の沖合いにあるクイポン島近くの海域に、悪霊がはびこる広大な大陸ががあると確信していた。
クイポン島近くで嵐が始まると、巨大な獣の咆哮のような強風が吹き荒れ、大雨が激しく吹きつけ、島を水浸しにし、沖に浮かぶ氷山をたたきつける。
船乗りたちは、ここを「悪魔の島」と呼んだ。
悪魔の島は幻だった
「悪魔の島」は、1世紀以上にわたって新世界の地図にちゃんと描かれていた。だが、1600年代半ば、地図作成者が重大な発見をした。
悪魔の島などなかったのだ。一度も存在したこともなく、岩だらけの大地にうごめく悪霊たちのように、島は幻だったことがわかったのだ。
地図作成者ジャーコモ・ガスタルディが作った1556年の地図は、「悪魔の島」が記載された最後の地図のひとつ / image credit: Library of Congress/Public Domain/F1030 .P42
地図に表記されたままの幻の島はわりとよく存在する
こうした幻の島々は、初期の地図作成者が周辺を調査して以来地図に描かれてきた。
それは地理的な信念の特徴だというのは、『The Phantom Atlas: The GreatestMyths, Lies and Blunders on Maps』の著者エドワード・ブルック=ヒッチング氏だ。
[もっと知りたい!→]幻の島「アトランティス」か? グーグルアースによってアゾレス諸島付近の海底に600キロの陸塊を発見
この本の中で、探検家、地図作成者、船乗りなどは、時間や技術がそうではないことを証明するまで、それは確かに存在したと信じていたとしている。
「こうした島々は、船舶が確認して間違いが訂正されるまでの短命に終わる場合もあれば、何世紀もずっと静かに存在していることになっている場合もあります」ブルック=ヒッチング氏は言う。
21世紀になっても、そのままになっている地図すらあるという。
例えばベルメハ島は、メキシコ湾にある31平方マイルの島で、最初に海図に記載されたのは1539年のことだ。
メキシコシティにあるメキシコ国立自治大学の科学者が調査した結果、この島が正式に存在しないと認定されたのは2009年になってからだった。
1846年の地図に記載されたベルメハ島(赤い丸のI. Bermejaの部分) / image credit:public domain/wikimedia
ニューカレドニア近く、珊瑚海の東にあるサンディ島は、1876年に捕鯨船によって初めて記録されました。それ以降、1世紀以上にわたって、公式海図に記載され続けてきました。
ところが、最初に目撃されてから136年後、グーグルマップができてから7年後の2012年11月、ついに存在しなかったことが証明されたのです
幻の島が、地図上に記載されてしまう経緯はいろいろある。
かつて、アイルランド(地図によっては、アゾレス諸島の近くに記されている)近くにあると信じられていたハイブラジル島のように、神話や伝説がきっかけになることもある。
7年に一度、大西洋からその姿を現すというハイブラジル島は、永遠の幸福と不死が約束された、アトランティスのようなユートピアだとされているが、これはおそらく、アイルランドの民間伝承に出てくる異世界の概念に由来するものと思われる。
たとえその存在が証明できなくても、この島は1325年から1865年までの500年以上、地図にずっと記載されていた。
クイポン島が悪魔の島なのか?
「悪魔の島」だという考えもまた、神話に根ざしたもので、ここを通り過ぎた船乗りが耳にした音を、霧の中ではしゃぎまわるインプ(悪魔)の声と間違えたという。
米国議会図書館、地理地図部門の情報資源スペシャリスト、シンシア・スミス氏は、これは悪魔などではなく、鳥やその他の野生動物がたてた変わった音だった可能性が高いと説明する。
ニューファンドランドとラブラドールの間の危険な海域と極寒の気候もまた、島の悪魔的な雰囲気の形成に一役かっている可能性がある。
クイポン島周辺では、1920年代に灯台が建設された後も海難事故が多発していると、クイポン・ライトハウスインのオーナーで、リンカムツアーを主催しているエド・イングリッシュ氏は語る。
「2022年にテキサス州から90代の女性がやってきて、100年以上前に彼女の祖父が遭難した現場を訪れました」イングリッシュ氏は言う。
「ほかの乗組員は無事だったのに、彼女の祖父だけが亡くなったのです。彼は難破船とともに溺死したとされていましたが、数年後に陸で遺体が見つかりました。彼はなんとか岸にたどりついたものの、森の中に入り込み、そこで凍死していたことがわかったのです」
絶海の孤島クイポン島こそが悪魔の島なのか? / image credit:iStock
伝承によって、たくさんの幻の島が生み出されてきたが、中には単純な間違いから生まれた島もある。
「蜃気楼やその他の視覚的な現象のせいで、実体のないものを地図上に作り出してしまうことがあるのです」ブルック=ヒッチング氏は言う。
とくに18世紀に正確な海洋クロノメーターが発明される以前は、測量間違いということもあった。
「そうした間違いはそのままコピーされていき、発見はリメイクされることも頻繁にありました」つまり、場所によっては、時間の経過とともに、幻の島が複数の船乗りによって目撃されたと考えられていたことを意味する。
1622年作成のこの北米の地図には、ニューファンドランド島の上に小さくI. dos Demonios(悪魔の島)とある / image credit: Library of Congress/ Public Domain/ G3290 1622 .H6
悪魔の島が幻の島であることは確実で、17世紀半ばには地図から削除されたが、歴史的な証拠からは、この島がまったく存在しなかったわけではないことを示している。
カナダの北大西洋のある島は、かつてその名で呼ばれていた。
おそらく、本当の「悪魔の島」は南北4マイル、東西2マイルの小さなクイポン島のことだろう。この島はのちの16世紀半ばから18世紀半ばの間に、フランス人によってこの名がつけられた。
1542年、フランスの貴族マルグリット・ド・ラ・ロックは、この悪魔の島でひとりで2年間を過ごすはめになった。
おじと共にフランスの植民地、現在のカナダ・ケベック州に赴いたとき、船乗りのひとりとロマンチックな関係に陥った。激怒したおじは、若いマルグリットを侍女とその船乗りと共にこの「悪魔の島」に置き去りにした。
船乗りも侍女も、長く島に留まることはできなかった。この島で生まれた赤ん坊と共に、ふたりともまもなく死んでしまったのだ。
マルグリットだけが生き残り、ほぼ2年間を島でひとり孤独に過ごした。最終的に、彼女は通りかかったフランスの漁船に救出され、文明社会に戻ることができた。
実際にマルグリットが閉じ込められていた島が、16世紀の地図上で「悪魔の島」と記されていた島だったのか、もっと南のセントローレンス湾にあった島だったのかはわからない。
だが、このエピソードは、クイポン島の歴史に組み込まれている。それには十分な理由があるとスミス氏は言う。
「マルグリット・デ・ラ・ロックが2年を過ごした悪魔の島は、その位置から、クイポン島である可能性が高いと私は思います」スミス氏は語る。
「その島がセントローレンス湾にあったのなら、マルグリットはもっと早く救出されていたと考えます」
この荒涼とした美しい島を訪れる多くの観光客にとって、マルグリット・デ・ラ・ロックの悲劇的な物語におけるクイポン島の役割を詳しく説明する必要はないだろう。
死者の霊がいまだにさまよっていると信じる者もいるし、スタッフや旅行者の中にも、マルグリットの幽霊を確かに見たという人もいる。
この小さなクイポン島が、1508年から1600年代半ばにかけて地図に明記されていた恐ろしい「悪魔の島」なのかどうかは、誰にも確かなことはわからない。生来、幽霊は見つけられることを嫌うものだから。
References:The Phantom Island That Haunted 16th-Century Newfoundland - Atlas Obscura / written by konohazuku / edited by / parumo
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