亡くなった身内に借金があるなど、相続時にマイナス要因がある場合、「相続放棄」という選択肢をとることができます。しかし相続放棄を進める場合、注意しないと「取り返しのつかない事態」を招く危険性があると、司法書士法人永田町事務所の加陽麻里布氏はいいます。相続放棄のトラブルと予防策について、具体的な事例を交えてみていきましょう。

亡くなった父が借金を残し…息子は「相続放棄」を決意

山梨県在住の田中太郎さん(仮名・77歳)は、妻の良美さん(仮名・72歳)と2人で仲良く暮らしていました。しかしある日、太郎さんが「大腸ガン」であることが判明。手術をしたものの完治せず、間もなく亡くなってしまいました。

太郎さんは生前1人会社を営んでいましたが、コロナ禍で経営が悪化。残された借金は約300万円あります。太郎さんの相続人は奥様の良美さんと、東京で離れて暮らす長男の武雄さん(仮名・44歳)の2人です。

相続財産は、50万円弱の預金と自宅兼作業場としていた一軒家。しかし、300万円の借金があるので、一軒家の自宅を多く見積もってもプラスの財産は残りません。

思い悩んだ末、武雄さんが良美さんを東京に呼び一緒に暮らし、いまある実家は手放し「相続放棄」をすることにしました。良美さんも、車がなければ不便で暮らせない田舎暮らしに不満を抱いていたこともあり、武雄さんの提案に了承。東京へ移り住むことになりました。

“ふざけないで!”…数ヵ月後発覚した「まさかの事態」

それから数ヵ月経ち、良美さんもようやく都会暮らしに慣れはじめ、武雄さんも安心して通勤できるようになったある日のことです。

武雄さんが仕事終わりに携帯を確認すると、叔母の沙月さんから何度も着信が入っていることに気づきました。「なにかあったのかもしれない」と慌てて折り返すと、沙月さんは開口一番こう言います。

「ちょっと! お兄さんの借金を支払えって催促の電話がかかってくるようになったんだけど! どういうこと!?」

沙月さんの言葉に驚いた武雄さんでしたが、「そんなはずはない」と冷静に説明します。「たしかに親父に借金はあったみたいだけど、相続するとこっちがマイナスになってしまうみたいだから、相続放棄したんだよ」すると、沙月さんは、さらにすごい剣幕で大激怒です。

「はぁ!? ふざけないでちょうだい! こっちになんの連絡もよこさないで、なに勝手なことしてるのよ!」

武雄さんは、沙月さんが怒っている理由が掴めないまま、とにかく平謝りです。いったん電話を切り、知人に相談して初めて、武雄さんは自分がとんでもないことをしてしまったことを知りました。

どうやら、自分が相続放棄をすると次の順位の相続人がその権利を承継してしまうようです。武雄さんは、沙月さんに改めて謝りましたが、謝って済む問題ではありません。

沙月さんが相続放棄できる期間はすでに過ぎているため、法律上、沙月さんが太郎さんの借金を返すことに。しかし、それは道義上できませんから、結局長男の武雄さんが相続財産で支払いきれなかった借金分を、自分で返すはめになってしまいました。

「3ヵ月の猶予」を過ぎると借金の支払い義務が発生

今回のような事例をはじめ、地方に不動産があり自分では管理困難な場合や、被相続人が疎遠な親戚で関わりたくないなどの場合、「相続放棄」によってその権利義務を喪失させることができます。

しかし、相続人である妻や子どもが相続を放棄すると、その相続権は次の順位の相続人に回ってしまいます。妻や子どもが相続放棄をすると、被相続人の父母が相続人となります。また、父母が共に存命ではない場合、被相続人の兄弟が相続人となります。

したがって、田中さんのように、相続放棄をしたあと親戚に連絡をしなかった場合、知らぬ間にその親戚に相続権が回り、親戚は借金の催促によってはじめて相続の開始を知るというケースが起こりえるのです。実際に、このようなトラブルは少なくありません。

ただし、相続放棄は相続の開始を知ってから3ヵ月の猶予があります。

これは“相続の開始を知ってから”ですから、沙月さんのように借金の取り立てなどで連絡があった場合、このタイミングで相続の開始を知ることができます。したがって、この段階で、債務の有無も含め相続財産の調査をし、相続権を承認するか放棄するかを検討すれば、相続放棄が可能です。

しかし、それを怠るなどして3ヵ月が経過し、相続放棄ができなくなってしまった場合、法的には相続放棄をしなかった当人に借金の支払い義務が生じることとなります。

訳のわからぬまま親戚が相続人の借金を肩代わりすることはできませんから、結局今回のように、相続放棄をしたはずの被相続人の妻や子どもがその道義的な責任から借金を支払わなければならないはめになるのです。

泥沼の相続トラブルを防ぐために…決断は慎重に

相続放棄をするうえで必要な手続き

なお、相続放棄をするうえで必要な手続きは、以下のとおりです。

・相続人・財産の調査

・相続放棄に必要な書類の準備

・家庭裁判所への書類提出

・家庭裁判所から届いた照会書の記入・返送

・家庭裁判所からの相続放棄申述受理通知書を受け取る

相続放棄の期間は、民法に下記のように定められています。

【第915条】

・相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3ヵ月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。

・相続人は、相続の承認又は放棄をする前に、相続財産の調査をすることができる。

相続放棄をする前には、必ず相続関係を調査し、自分が相続放棄をしたあとにその権利を承継する次の順位の相続人に、あらかじめ連絡をしなければなりません。その連絡を怠ってしまうと、今回の田中家のような泥沼の相続トラブルを招いてしまう可能性があります。

また、相続放棄をする際、手続きには下記のように費用がかかります。

・郵便切手……500円前後

・相続放棄申述書に使用する印紙代……800円(申述人1名につき)

・被相続人の住民票除票又は戸籍附票……300円程度

・被相続人の死亡の記載がある戸籍謄本……750円程度

また、追加提出などによってはさらに費用がかかるほか、司法書士や弁護士などの専門家に依頼するとなるとさらにコストがかかります。相続放棄を検討する際には、これらの費用を誰が負担するかについてもしっかりと話し合ったうえで行わなければなりません。

まとめ…相続放棄は夫婦・親子間だけの問題ではない

このように、相続放棄をすると、その権利を承継する後順位の親戚にまで迷惑をかけることになります。

したがって、相続放棄は夫婦・親子間だけの問題ではないということを相続開始前から知っておくことがとても重要です

相続放棄に関しては、他にもさまざまな問題が生じてくる可能性があるので、安易に決断せずに専門家に相談し、しっかり調査したうえで判断することをおすすめします。

加陽 麻里布

司法書士法人永田町事務所

代表司法書士

(※写真はイメージです/PIXTA)