ほんの紙魚(しみ)

Ⅰ君の秘密の本棚

Ⅰ君は四十八歳の春に亡くなった。

そんな年齢でI君というのもおかしいが、大学時代に知り合ったので、私の頭の中ではいくつになってもI君のままなのだ。若い頃に出会った人というのは、どうも残像が強いようだ。Ⅰ君は最初にあった日、当時流行のアイビー・ファッション(青と白の太い縞のボタンダウン・シャツに白のコットンパンツ)だった。三十代になっても四十代になっても、私にはその残像が重なって見えた。

Ⅰ君は決して口数の多いほうではなかったが、時どきボソッと、妙に気になることを呟く。私は知らず知らず大きな影響を受けたと思う。Ⅰ君の呟きによって、私はシュールレアリスム関連の本、三島由紀夫や深沢七郎、『ガロ』のマンガ、大島渚の映画、歌謡曲……などに新鮮な面白味を感じるようになったのだ。

Ⅰ君の死後、他の友人と初めてⅠ君の家を訪ねた。

一階のリビングルームの本棚には私たちの若い頃によく話題にのぼっていた本(時評コラム集や評論集)やエンターテインメント小説などの軽装本が並んでいて懐しかったが、地下の書庫に案内されて、「ああ……」と何とも言えない気持になった。

めったに人には見せなかったというその書庫には、永井荷風や内田百閒や明治文学や日本古典文学などの全集がズラッと並んでいたのだ。そして何と、私が「天下の奇書!」と思っている『二笑亭綺譚』の戦前のオリジナル版まで並んでいたのだ。

こういう本棚を人に見せつけるのは恥ずかしいというⅠ君の羞恥心の形が、私の胸を懐しく鋭く、刺した。

二笑亭綺譚
『二笑亭綺譚』(中西出版)著者:式場 隆三郎

落語、明治文学、S先生

落語が好きで、夜な夜な落語のCDを聴いているのだが、先代の桂文楽の「かんしやく」を聴くたび、樋口一葉の『十三夜』を連想してしまう。

金持エリートだが横暴な夫にたまりかねて離婚覚悟で実家に帰った若妻の話。なにぶんにも高校時代に読んだきりで記憶はあやふやだが『十三夜』の前半部分に似ているような気がする。

先日やっと気が向いて『十三夜』を読み直してみたら、うん、やっぱり似ていた。落語を聴いていると、時どきこういうことがある。「三方一両損」を聴くと夏目漱石『坊つちやん』の坊っちゃんと山嵐のケンカと同じだなあと思うし、「鮑のし」を聴くと幸田露伴『貧乏』の夫婦を連想する。

『十三夜』だけを読み直そうと思って手に取ったのに、一葉の短篇小説集(岩波文庫版)はやっぱり面白くて、他の小説もずんずん読んでしまった。

S先生に会いたいなあ、という思いがこみあげて来た。

高校時代に私が樋口一葉や夏目漱石二葉亭四迷など明治文学を無理して読んだのはS先生の影響なのだった。S先生は中学時代の国語の先生だったが、大学を出たてだったので生徒の私とは八歳しか年が離れていなかった。卒論は樋口一葉だったという。私は高校生になってもS先生とは手紙のやりとりをしていた。

私の手紙はいつもマンガ入りのふざけたものだったが、それを何とS先生は「文学的」と評してくれたのだった。「センチメンタルという意味ではなく、自分を客観視しているという意味で文学的」と。そういう奇特な先生だった。

S先生に会いたい。一葉に関して、私も昔よりはいい話し相手になっていると思う。

大つごもり・十三夜
『大つごもり・十三夜』(岩波書店)著者:樋口 一葉

三島ファンのU君と

今年(ALLREVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2000年)、西暦二〇〇〇年は三島由紀夫の没後三十年にあたる。あれからもう三十年もたつのだ。あっけない。するするするする歳月がたってしまった。

三島由紀夫を読み始めたのは大学時代の友人で三島ファンのU君の影響だったかもしれない。U君とは仲がよかったんだか悪かったんだかわからない。話が面白いので、つい話し込んでしまうが、その結果はなぜか必ずケンカになるのだ。

あれは三島由紀夫の小説『春の雪』の連載中だったろうか、それとももう『奔馬』に入っていた頃だったろうか、ともかく一九六八年のことだったと思う。大学の図書館の片隅でU君と私はこんな会話を交わしていた。

「三島の今書いている小説は主人公が次々と転生して行く連作になっているんだ。四つ目の小説が完結編で、一九七〇年の秋に完結する予定と言われているんだ。三島のライフワークだよ」とU君。

ふーん……。で、そのあとどうするの?」と私。

そして一瞬の沈黙があった。あの一瞬の妙な間(ま)を私はいまだに忘れられない。あのとき、U君の頭にも私の頭にも、三島由紀夫は死ぬかもしれないという考えがよぎったのだ。

大学を卒業してからはU君とはめったに会わなくなってしまった。私は知らなかったが、某有名企業の御曹子だったそうで、親族が経営する会社の支社長だか何だかにおさまっていた。

数年前、久しぶりに会った。最初は抱き合わんばかりに喜び合ったのだが、三島由紀夫の話をしているうちに、ああ、やっぱりケンカになってしまったのだった。

春の雪―豊饒の海・第一巻
『春の雪―豊饒の海・第一巻 』(新潮社)著者:三島 由紀夫
豊饒の海 第二巻 奔馬
『豊饒の海 第二巻 奔馬』(新潮社)著者:三島 由紀夫

三十年前の「衝撃の一日」

文藝春秋』二月号に「20世紀衝撃の一日」という特集記事が出ている。「昭和・平成に起きた事件の中で、あなたにとって最も衝撃的だった一日はいつですか?」というアンケートに、著名人二八五人が回答したもの。参考までに、上位三つは①敗戦②三島由紀夫切腹自殺③昭和天皇崩御だ。

さて、私の場合はどうだろう。最もショッキングだった事件は、一九七二年に発覚した連合赤軍リンチ事件なのだが、「衝撃の一日」というのとは少し違う。メモリアル・デイということで言うなら、やっぱり一九七〇年十一月二十五日、三島由紀夫が割腹自殺した日だ。

私はもう大学を卒業して出版社に勤めていたけれど、学生気分が抜けず、仕事にはあんまり真剣になれないでいた。

たらたらと仕事をしていたら、学生時代からの友人T君から電話がかかって来た。「三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊の建物に乱入した。今、I君は市ヶ谷に様子を見に飛んで行った」と言うのだ。まさか。信じられない。

と思ったのもつかのま。職場でもTVのまわりに人が集まって騒然となって来たので、ほんとうの話なのだと思った。いっしょにTVを見る気にはなれず、一人で会社の屋上に行って市ヶ谷方面をぼんやり眺めた。その夜、新宿でT君と会って、「これは三島にとって祝うべきことじゃないか」などと言い合って乾杯したが(二人とも下戸なのに)、ほんとうのところ、何が何やらわからなかった。

あれから三十年。T君は今や白髪まじりの管理職。「長生きして、親しい人たちの死を見届けて行きたい」などと言っている。

紙とインクでできたもの

近頃私が愛読しているのは植物図鑑である。これは明らかに、高校時代からの友人K子の影響だ。

K子は東京の上野で生まれ育った町っ子なのに、木の名や鳥の名をよく知っている。K子といっしょだと、変てつもない山を歩いても教えられるところが多くて楽しい。私は彼女の十倍くらい映画スターや監督のことを知っているが、彼女は私の十倍くらい自然界のことを知っている。

興味の対象がだいぶ違う。それは昔からのことだったのだが、近頃にわかにこの違いが気になって来た。

映画を見たり本を読んだり落語を聴いたり……というぐあいに、私の生活は「人の作ったもの」の面白さの追求を中心にして成り立っている。面白い映画や本や芸能芸術にめぐり合うこと、それが私にとっては一番の……というのは大げさで、二番目か三番目かもしれないが……とにかく大きな喜びなのだ。人間界、それも虚構的な世界にばかり目を向けて暮らして来たのだ。そのことに近頃物足りなさを感じるようになった。「人の作ったもの」ばかりに執着するのは、はかないことではないのか、と。

漠然とそんな気分になっていた一昨年の初夏、マガジン青春譜』猪瀬直樹著、小学館)という本を読んだ。川端康成と大宅壮一の青春時代を描いた評伝である。その中に登場する多門先生(大宅壮一の中学時代の恩師)の言葉が身にしみた。

「紙にて造られたる人、インクにて塗られたる自然のみを観るなかれ」

K子には当たり前の言葉に響くだろうが、私には痛い一言だったのだ。

マガジン青春譜―川端康成と大宅壮一
マガジン青春譜―川端康成と大宅壮一 』(小学館)著者:猪瀬 直樹

突然、文学少女に

文章を書く仕事をしていると、時どき「子どもの頃から文学少女だったんでしょう」と言われることがある。とんでもない! 文学少女的なところはほとんどなかった。

作文を書くのは嫌いだったし、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズのようなあくどい味の読みものには夢中になったけれど、小学校の図書室にある品のいい「児童文学」には全然興味がなかった。文学の香りのするものより、断然、マンガとTVのほうが好きだった。

それが突然、高二の頃から文学少女になってしまったのだ。いや、文学少女のフリをし始めたのだ。理由は単純、国語(古典)のH先生を好きになったからだ。

H先生はちょっとした変わり者だった。生徒との間に厳然たる距離を置いていて、授業中もけっして生徒の名前を呼ばず、出席番号で呼ぶのだった。生きているのが億劫(おっくう)という風情で、全身から厭世(えんせい)文学の香りが発散されていた(と、当時の私は思った)。しかし、授業内容はレベルが高く、充実していた。私は何とかしてこの先生に出席番号ではなく名前で呼ばれたいと思った。実際、名前で呼ばれた時は有頂天になった。

H先生と対等の口(今風に言うならタメグチ)をききたい、その一心で、先生が面白かったという本はガンガン読んだ。広末保『近松序説』とか丸山真男『日本の思想』とか鈴木大拙『禅と日本文化』とか……思いっきり無理したのよー。

高校卒業とともにH先生への関心はちゃっかりと消失していたが、てごわい本を無理して読む快感は残った。

近松序説―近世悲劇の研究
『近松序説―近世悲劇の研究』(影書房)著者:広末 保
日本の思想
『日本の思想』(岩波書店)著者:丸山 真男
禅と日本文化
『禅と日本文化』(岩波書店)著者:鈴木 大拙

ナップザックの女

大学時代は週に一日だけ学習塾でアルバイトをしていた。塾の先生といっても小学生が相手だったので、私でも何とかつとまったのである。一カ月の給料が確か八千円。三十年ほど昔の話である。

給料をもらって、大学近くの古書店・B堂に行くのが楽しみだった。何軒かの古書店があったが、B堂の棚には、シュールレアリスム関係の翻訳書、花田清輝の評論集、安部公房や倉橋由美子の小説などが並んでいて、一番アヴァンギャルドで、わくわくするのだった。

四、五冊の本を買うと結構かさばるので、(当時の呼称で言うと)ナップザックを持って買いに行った。ナップザックは山歩き用と思われていた時代である。デイパックが流行する何年か前のことである。ナップザックを背負って本の買い出しをするなんてと友人には笑われたが、自分では「これが恰好いいのよ」と信じていた。ヘンな恰好のつけ方だ。

やがて大学を卒業することになったが、就職には失敗した。一年ほど某新聞社で使い走りのアルバイト(当時は“お茶くみ”と言っていた)をして、親の目をごまかしていた。「社会人」になるのが厭だった。

ある日、会社のおつかいで某出版社に行ったら、B堂のおやじバッタリ出会った。懐しくて反射的に会釈をした。不愛想なおやじで、それまで親しく言葉を交わしたこともなかったのに、ニヤッと笑い返してくれた。ナップザックの女をおぼえていてくれたようだった。

時には口を動かして

二年前、クエンティン・タランティーノ監督の『ジャッキーブラウン』という映画を見た時のこと。麻薬に溺れる若い女の子が、ろくでなしの恋人を評して「あいつは本を読むとき、口を動かすような男よ」と言ったのには思わず笑った。

いったいなぜなんだかよくわからないが、確かに、本を黙読できずについ口が動いてしまう人というのは愚かな印象を与える。幼い子どもだったらどうということもないが、いい年をした大人だとちょっと恰好悪い。

今でも忘れられないのは、十数年前、あるローカル線で見かけたばあさんだ。向かい側の席に座っていたばあさんは、眉間(みけん)に深い縦皺(たてじわ)を寄せ、まさに「一心不乱」という感じで、口もとをモゴモゴ動かしながら、『女性自身』を読みふけっていた。あれはこわかった。見てはいけないものを見てしまった感じがした。

声に出さず頭の中だけで本を読む――黙読というのは、けっこう高度な技術なのかもしれないと改めて思った。多くの人びとはたいてい子どものうちに自然とこの技術を身につけてしまうのだから、考えてみると凄いことだ。

けれど、最近はこんなことも考える。学校を卒業して長い歳月がたって、私はあまりにも黙読にばかり慣れすぎてしまった。声を出して読む音読の楽しさを忘れているかもしれないなあ、と。

芭蕉の『奥の細道』、近松の曾根崎心中、一葉の『たけくらべ』……などは音読への誘惑にあふれている。照れくさいけれど声に出して読むと、口もとに懐しい快感がよみがえる。

おくのほそ道 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典
『おくのほそ道 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』(角川書店)著者:角川書店
曾根崎心中 冥途の飛脚 心中天の網島―現代語訳付き
曾根崎心中 冥途の飛脚 心中天の網島―現代語訳付き』(角川学芸出版)著者:近松 門左衛門
にごりえ・たけくらべ
『にごりえ・たけくらべ』(新潮社)著者:樋口 一葉

コラムニストへの愛着

コラムニストという妙な肩書の仕事をしていると、編集の人たちから時どき「そろそろ小説ですね」「いずれ小説を書くのでしょう」などと言われる。当然そうに違いないという口調である。

どうやら、コラムニスト(つまり雑文家)というのは、作家より一段低い職業と思われているらしい。芸能界で言うなら、コラムニストはタレントで、作家というのは俳優・女優に該当する。そういう序列にあるらしい。

ところが、私にはそういう序列意識はまったくないのだ。第一、小説を書きたいという気持がない。

小学校の同級生だったOさんのことを時どき思い出す。頭のいい女の子で、勉強でも遊びでもすばらしいリーダーだった。ロマンティックなお話を考え出すのが得意で、私はただもう口をあんぐりあけて、Oさんの作り話に聞きほれていた。Oさんの指揮のもとにお姫様ごっこをして遊んだ。主役のお姫様がいつも必ずOさん自身というのだけは少々不満だったけれど。Oさんにはハッキリと小説家的資質があったわけだが、私にはまるっきり欠けている。それは子ども心にもわかっていた。

それでも、本を読むのが好きだった。小説よりも雑文(コラム、エッセー、評伝、評論)のほうを好んで読んできた。

自分自身が雑文を書くようになって何年かして、斎藤緑雨や内田魯庵や長谷川如是閑といった雑文家の大先輩たちの存在を知った。私は彼らの雑文家魂に何とも言えない親しみを感じる。コラムニストという曖昧肩書のままで構わない。


人前でマンガを読むと

マンガ雑誌『ガロ』が創刊されたのは一九六四年、私が高校三年生の時だった。衝撃的だった。それまでは子どもマンガと大人マンガの二種類しかなかったところに突如、青年マンガとでも呼ぶべきものが登場したのだ。たちまち私はこの雑誌に夢中になった。

あの頃――’60年代半ばから’70年代にかけてはマンガ界の一大転換期だったのだろう。子どもマンガのほうも活気づいていた。『少年サンデー』や『少年マガジン』も読まないわけにはいかなかった。三日間くらいだが、マンガ評論家になりたいという野望に燃えたこともあった。

大人たちは「大学生もマンガを読む時代」と嘆いたり怒ったりしていた。私は「全然わかっちゃいないのね」と思った。活字本は高級、マンガ本は低級――という感覚は、私にはまったくなかったのだ。今も、ない。

にもかかわらず! 電車の中でマンガ雑誌を読むのは恥ずかしいと思う。いったいなぜ? この疑問が私を苦しめる。

もしかすると、それはマンガという表現形式自体の持つ宿命のようなものだろうか。活字本に較べてマンガ本は絵が主体になっている。文章と違って一目でわかる。感覚、感情、官能、生理といった部分に対するインパクトが直接的である。じかで、むきだしの感じが強い。

だからだろうか。人前でマンガ雑誌を読む大人の姿には、下着姿になっているかのような、無防備な間抜けさを感じる。しかし、うーん……何だかやっぱりうまく説明しきれない。


「物語」にひたる喜び

講談社の『世界名作全集』の話をほんの少しだけ書いたら、読者から「もしかすると、それは子どもの頃に図書館で読んだ、あの懐しい全集かもしれない。もっと詳しく知りたい」というおたよりをいただいた。

匿名だったので直接返事を差しあげることができない。講談社の『世界名作全集』は昭和三十年代に人気のあったシリーズだったので、この方ばかりでなく四十代五十代の人の中には懐しがる人も多いに違いない。そう思って、ここにもう少し詳しく書いてみる。

古今東西の有名物語を子ども向けに書き直したシリーズで、昭和二十八年から三十四年にかけて全百五十巻が続々と出版された。カラフルな絵が描かれたケースに入っていて、本体の表紙はヨーロッパの紋章模様だ(装丁は梁川剛一)。当時の定価二〇〇円。

私はこのシリーズで『ああ無情』巌窟王』『ギリシア神話』『小公女』『家族ロビンソン』『秘密の花園』などを知った。十ページおきくらいにさしえが出て来るのが楽しみだった。数年前、実家の物置を整理していて、思いがけず、この全集十八冊が出て来た時は感激した。

この全集の巻末に出ている百五十巻のリストを見ると、『シートンの動物記』『鉄仮面』『三国志物語』『八犬伝物語』『サイラス・マーナー』『紅はこべ』……など今すぐこの全集で読みたくなる。

古書店でこの全集を見かけると、つい、買ってしまう。「小説」というより、「物語」にひたる喜びが蘇って来る。

ああ無情
『ああ無情』(大日本雄弁会講談社)著者:ユーゴ

待っていてくれたのね

私の子どもの頃――昭和三十年代の何年間かは講談社の『世界名作全集』というシリーズ(全百五十巻!)がちょっとしたブームになっていたと思う。

海外の有名小説を子ども向きに書き直したもので、私はこのシリーズで『ああ無情』『巌窟王』『ロビンソン漂流記』『小公女』……などを知った。その中でも好きだったのがバーネット『秘密の花園』だった。

謎めいた広い邸に引き取られた女の子が、ある日、鍵をひろう。その鍵でツタにおおわれていた扉を開くと、その奥には今まで見たこともないような不思議な花園が広がっていた……。

私は面白い本に出会うと、時どき、この『秘密の花園』の扉を開ける場面を思いだす。

気まぐれに買ったのだけれど、もうひとつ読む気になれずにほったらかしにしていた本。あるいは、名著と言われているのでずうっと気になっていたけれど、何だか難しそうで敬遠していた本。そういう本を、ある日、ふと気が向いて読んでみる。それが凄く面白かったりすると、「待っていてくれたのねー。ずうっと黙って静かに待っていてくれたのねー」と、つくづくありがたく思う。そして、これは『秘密の花園』の女の子がツタにおおわれた扉を開けた時と同じような気持だな、と思うのだ。

読みおわったあとも、ずっと待っていてくれた本の顔、つまり表紙だの活字の並びだのをうっとりと眺める。

インターネット時代になっても、私は、本――紙でできた『秘密の花園』に執着している。

秘密の花園
『秘密の花園』(新潮社)著者:フランシス・ホジソン バーネット

自分の本にびくびく

小心者である。自分の本が出版されると一カ月くらいは書店に行かれなくなる。自分の本が書店に並んでいるのを見るのが、どうにも恥ずかしく、おそろしいのだ。

書店では、新刊の本はよく目立つように平台に並べておくことが多い。よほど売れゆきのいい本でない限り、一カ月過ぎると普通に棚に並べるようになる。つまり、あんまり目立たなくなる。そこでようやっと私は心安らかに書店に行けるようになるのだ。

しかし、完全に安心はできない。不意討ちをくらうこともある。ある日、書店に寄ったら、私の本を立ち読みしている人の姿を目撃してしまい、ギクリとした。何か、悪事が露見したかのようにうろたえた。そして、一秒後にはその場から逃走していた。

いったいなぜそんなに取り乱すのか自分でもわからない。自分の書いたものに自信がないから、という理由もまあ一割くらいはあるだろうが、九割はわけのわからない不条理な感情である。理屈より先に、まず体がそういうおかしな反応をしてしまうのだ。

自分の書いたものが初めて本になった時、涙を流して喜んだという人。自分の本が出版されるたび、書店に行って売れゆきをチェックするという人。自分の本がよく目立つように並び替えるという人……。同業者にはそういう人のほうが多いらしい。確かにそのほうが、自分の作品に関してクールだし、まともだと思う。

生涯に一度でもいい、私も晴ればれとした気分で書店に並ぶ自分の本を見てみたい。


おそるべき星取り表

私はある週刊誌の映画紹介ページで「星取り表」の仕事をしている。

新作映画の出来あがりについて☆だの☆☆☆だのと四段階の採点マークをつけ、六十字足らずの短評をつける。ひとが大金をかけて一所懸命作ったものをたったこれだけの作業できめつけてしまうのだ。作り手にしてみたら、こんな失礼なことはない。

しかし、私は長年読者としてこの手の「星取り表」を楽しんで来た。あんまり趣味のいいものとは思わないが、あってもいいものだ。批評としては邪道だが、評者と読者のレベルしだいで、生き生きとした面白いゲームになることもある……。そんな期待を持って映画の「星取り表」の仕事をして来た。偉そうに。

さて、ここに一冊のおそるべき採点本が登場した。映画ではなく現役作家の小説を一冊一冊、星取りどころか96点とか22点とかこまかく採点してしまった『作家の値うち』(福田和也著、飛鳥新社)という本である。

小説に点数をつけるのは映画に点数をつけるのよりさらに粗暴で邪道という感じがする。小説は映画と違ってまったく個人的な仕事だからかもしれない。

しかし、私はこの本を面白く読んでしまったのだ。反論したい部分ももちろんいくつかあったが、著者の評論家としての力量は認めないわけにはいかなかった。正攻法の本格的な評論を書いている著者があえて邪道に走った裏には、文学の現状に対する激しいいらだちが、ある。それがよく伝わって来る。私は何よりもそこに共感したのだ。

作家の値うち
『作家の値うち』(飛鳥新社)著者:福田 和也

教科書はあなどれない

たかが教科書と思うが、これが案外あなどれない。

高校時代のこと。国語教科書で読んだ森鷗外『青年』の中の一節が私の幼い頭に深く刻み込まれてしまったのだ。

一体日本人は生きるといふことを知つてゐるだらうか。小学校の門を潜つてからといふものは、一しよう懸命に此学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思ふのである。学校といふものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまはうとする。その先きには生活があると思ふのである。そしてその先には生活はないのである。

日本、日本人、大人、世間……といったものを馬鹿にしたくてたまらない年頃で、「そうだそうだ、だから日本人は駄目なんだ」と、無邪気に共感したのだった。

その後、何冊もの本を読んだというのに、なぜか最も頻繁に思い出すのはこの言葉なのだった。

「これから先、時間だけはたっぷりとある」と思えた二十代の頃から「そうでもないな」と気づかされるようになった今に至るまで、たびたび鷗外のこの言葉が頭をよぎった。そして、その時その時によって違うニュアンスの言葉に感じられた。鷗外が言いたかったこととはもはやほとんど関係なく、私の人生のテーマソング(の一つ)と化しているのだった。

「生活」というのとは少し違うような気もするが、私が求めている何か(何かとしか言いようがない)も時どき風か煙のように鼻先をスッとかすめては、一歩先へと逃げて行く。

青年
『青年』(岩波書店)著者:森 鴎外

昔はずうっと粋だった

私はエッセーや評論を好んで読んできたが、実は小説ばかり読んでいた時期もあった。’70年代から’80年代初めの頃のこと。主としてアメリカ人作家によるエンターテインメント小説。大別するならミステリだが、厳密に言うとユーモア・ミステリとか奇想小説と呼ばれるものである。

きっかけは忘れたが、異色作家短篇集』早川書房)という作家別のシリーズを読み始め、ジェイムズサーバージャック・フィニィやロアルド・ダールなどの作家を知り、「これだこれだ、私が一番好きなのはこういう小説だったのだ」と興奮したのだ。犯罪小説でもどこかおかしみがある。ユーモア小説でもどこか毒気がある。そういう微妙な線を狙った小説群。

異色作家短篇集』を総なめにしたあと、『ニューヨーカー短篇集』にも手を伸ばし、文庫本でリング・ラードナー、デイモン・ラニアン、ポール・ギャリコ、ドナルド・E・ウエストレイクロバート・L・フィッシュ……などを見つけ出しては読みふけった。

ミステリ好きはいたが、同じ好みの人はいなかったので、自分の直観だけが頼りだ。手がかりにしたのは装丁、ほとんどそれだけ。和田誠さん風のシンプルな絵が表紙の本を狙うと、たいていまちがいなく面白かった。

ところが、ある時期から書店のミステリの棚は、おどろおどろしくリアルな絵の表紙で、なおかつ長篇――という本で占められるようになった。軽妙洒脱は好まれないらしい。残念でたまらない。「昔のミステリ界のほうがずうっと粋だった」と、私は一人、頭の中で毒づいている。

異色作家短篇集〈8〉虹をつかむ男
異色作家短篇集〈8〉虹をつかむ男』(早川書房)著者:ジェイムズサーバー
ニューヨーカー短篇集 1
『ニューヨーカー短篇集 1』(早川書房


【このコラムが収録されている書籍】
アメーバのように。私の本棚
アメーバのように。私の本棚 』(筑摩書房)著者:中野 翠


【書き手】
中野 翠
1946年生まれ。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、出版社勤務などを経て文筆業に。1985年より「サンデー毎日」誌上で連載コラムの執筆を開始、現在まで続く。著書に『小津ごのみ』『アメーバのように。私の本棚』『今夜も落語で眠りたい』『この世は落語』『歌舞伎のぐるりノート』『晴れた日に永遠が…』など多数ある。

【初出メディア】
読売新聞 2000年1月10日5月1日
ほんの紙魚