お化け好きに贈るエンターテインメント・マガジン『怪と幽』。2023年12月22日に発売のvol.015の特集は〈怪と湯〉! 名湯や霊泉は時代を超え人々を魅了し続け、文豪と呼ばれる作家も然り。同特集にて修善寺温泉での鼎談に参加し、『文豪と怪奇』など文豪関連の著作多数の東雅夫さんに寄稿いただいた。

寄稿:東 雅夫
写真(東さん):福島正大

異界と縁の深い場所・
温泉に魅せられた文豪・文人たち

 次号の『怪と幽』vol.015は、特集〈怪と湯〉~!(=幽)、温泉と怪異をめぐる怒涛の大特集である!
 日本各地の名湯秘湯には、鳥獣が湧き湯に身を浸して傷を癒しているのを、たまたま目撃した偉い坊さんが、「こ、これは!」とばかり開湯に至ったとする、それらしい由来伝説が、到る処に伝えられている。
 温泉とは、ありがた〜い神仏のお導きであり、そこには、時として神仏以外のこの世ならぬモノも嬉々として〈混浴〉する……(ジブリ映画千と千尋の神隠し』参照!)。ことほどさように、ひときわ「異界」と縁の深い場所であるらしい。
 さて、そんな全国の妖しい穴場温泉をめぐる作品ガイドだが、まこと好都合なことに、斯界の権威と目される温泉好きの両雄が、相次ぎガイド本を刊行している。
 まずは今回の特集でも、鼎談のため、修善寺温泉(なお、地名は修善寺、寺名は修禅寺)に御一緒した南條竹則氏。英国怪談翻訳の名匠にして、なぜか各地の秘湯を定宿にしていると噂される怪人である。その『幻想秘湯巡り』は、著者と温泉との関わりの発端に始まり、さらには専門とする怪奇幻想文学との底深い関係を探求した、知る人ぞ知る名著。増補改訂が施された新版が、Kindle版(電子書籍)で復刊されたので、是非!
 もう一冊、こちらも皆さま御存知、荒俣宏御大に『アラマタ版 妖しの秘湯案内』(小学館/写真撮影=安井仁)という、稀代の怪著がある。これは単なる温泉ブックガイドではなく、温泉からユラユラと立ち昇る湯気の精〈=アラマタ氏言うところの鬼気(すだま)〉と妖しくも交感しつつ、その恩恵に与ろうとする、奇矯な〈狩りの記録〉でもある。安井カメラマンがピンホールカメラで捉えた温泉写真と、魔人アラマタの文章で紹介する、全国の秘湯十六カ所の記録!
 ところで、私自身が温泉行に凝るようになったのは、せいぜいここ十年ほど、『文豪と怪奇』(KADOKAWA)で大変お世話になった某さんが、金沢一円の温泉地に通じていて、あちこち車で引っ張り回されたのが一機縁となったのだが、それ以前の若い時分は、温泉宿といえば、女性連れで訪れる処と(笑)どういうわけだか心得ていて、首都圏で温泉地といえば、まずは「修善寺温泉」というのが、なぜかしら通り相場であった……。

修善寺温泉の老舗「新井旅館」にて2023年10月撮影。窓から望むは名物の竹林。このときに収録した鼎談記事は『怪と幽』vol.015で!

 実は初めて修善寺を訪れたとき、ここは一番、大奮発して宿泊したのが、「新井旅館」であったのだが、これには泉鏡花芥川龍之介、そして岡本綺堂といった名だたる文豪や墨客たちが、この由緒ある宿を、ことのほか贔屓にしていた……というけき記憶も、幾許か影響していたかも知れない。
 とりわけ二〇二三年が生誕百五十年であった文豪・泉鏡花は、大正十四年(一九二五)四月二十日、すず夫人同伴で修善寺の「新井旅館」に宿泊、「さる十日から滞在していた芥川龍之介と同宿になり、鏡花夫妻の部屋は桂二階、芥川が欅三階であった」(吉田昌志編「年譜」より/『新編 泉鏡花集』別巻二所収)。なお、二十四日には、芥川から鏡花の部屋に、添状とともに到来の菓子が届けられたという(宿泊客同士の麗しき交流!)。
 鏡花と修禅寺の奇縁は、まだある。鏡花の絶筆といえば、死の数カ月前に『中央公論』七月号に掲げられた「縷紅新草」(新潮文庫『外科室・天守物語』所収)が、三島由紀夫による賛辞と相まって余りにも名高いが、実は鏡花にはもう一篇、その没後、すず夫人によって篋底から見つけ出された、もう一つの絶筆が存在する。前書きを寄せた水上瀧太郎によって「遺稿」とのみ題された、この無題の小説は、「いつ頃書かれしものか、これにて完結のものか、はたまた未完結のものか、今はあきらかにする術なきものなり」と記されている(「遺稿」は、双葉文庫『耽美と憧憬の泉鏡花』所収)。
 麗らかな昼下がりの古刹の情景を彷彿させる「縷紅新草」に対して、こちらは深い闇にされた修禅寺・奥の院が舞台。主人公は(奇しくも「縷紅新草」と同じく)鏡花の分身たる辻町糸七、すず夫人と姪の娘、用心棒代わりのタクシー運転手まで引き連れて、深夜、人けない奥の院めぐりに繰り出した一行が、妖しい提灯の燈火に脅かされる話である(特別ゲストで、民俗学者・南方熊楠先生の著作も登場!)。
 岡本綺堂もまた、修禅寺とは殊のほか縁が深い。そう、源家断絶の悲哀ただよう新歌舞伎の出世作「修禅寺物語」がそれだが、個人的に「文豪・綺堂と温泉」といえば、修禅寺よりも先に、群馬県の磯部温泉がまず想起される。綺堂は実際に、無類の温泉好きでも知られていて、愛玩する人形たちを旅行鞄に詰め込んでは、気に入った温泉場にフラリと長逗留を決め込んでいた。病弱で、いったん風邪をひくと長引く傾向にあった綺堂にとって、「風邪なおし」の効能で知られる磯部温泉は、恰好の静養の場だったのだ。

岡本綺堂が愛した磯部温泉は、風邪なおしの湯として現在も人気を博している。(写真提供:東雅夫)

岡本綺堂の『雨月集』(初版刊行は大正7年、綺堂が磯部温泉に通っていた時期)の表紙絵は、磯部温泉近くの、碓氷川の鉱泉橋の風景と思われる。(写真提供:東雅夫)

 純正の怪談作品として、とりわけ有名なのが、関東大震災発生直後の混乱に取材した「指環一つ」(双葉社『岡本綺堂 怪談文芸名作集』所収)。震災の影響で大混雑する長距離列車内で卒倒した青年は、東京に戻る途中の親切な中年男に助けられ、信州のひなびた温泉宿に一夜の身を寄せる。深夜、ひとけのない宿で、湯に浸かろうとした青年は、先客の女性のものらしい指環を風呂場で偶然に拾うが、なんとそれは、震災で行方が知れない、中年男の娘の形見の品だった……という不条理な因縁譚である。電車内の喧騒と、温泉宿の静けさの対比が、いかにも印象的で、長く心に残る名作だ。そういえば二〇二三年は、関東大震災からちょうど百年目にあたる、節目の年だった。
 純文学作家の作品からも、一篇を挙げておこう。才能を賞賛されながら、惜しくも若くして亡くなった梶井基次郎に、その名も「温泉」という作品がある(ポプラ文庫『文豪てのひら怪談』所収)。
 梶井は病(かつては死病と恐れられた結核である)の療養を兼ねて、各地の温泉宿に泊まっているが、これはそんな折、〈人ならざるモノ〉が、隣接する浴場に浸かりに来る(……かも知れない!?)という話。
「気になるのはさっきのへの出口なのである。そこから変な奴がはいて来そうな気がしてならない。変な奴ってどんな奴なんだと人はきくにちがいない。それが実にいやな変な奴なのである。陰鬱な顔をしている。河鹿のようなをしている。其奴が毎夜極った時刻に渓から湯へ浸かりに来るのである。プフゥ! 何という馬鹿げた空想をしたもんだろう。」
 むむむ……文末で梶井は、わざわざ「馬鹿げた空想」だと話をごまかしてはいるが、それにしては「陰鬱な顔」だの「河鹿のような膚」だの(思わず初読の際、無気味さのあまり、「おお、インスマスよ!?」と漏らしてしまった私です……)、この「変な奴」の描写が、いやに具体的で、真に迫ってはいないだろうか?
 それと同時にまた、ひと足の途絶えた深夜の温泉宿で、静寂と大自然に囲まれて、ぽつんと独りきりで湯に浸かっていると、なるほど確かに、こんな「人ならざるモノ」たちが、お隣で寛いでいても、なんだかさしたる違和感はないだろうなあ……とも思えてくるのであった。いやはや。

文豪×温泉 怪奇幻想ブックガイド

『幻想秘湯巡り』
南條竹則 同朋舎:発行 角川書店:発売
現在も温泉に長逗留しての執筆が習慣の著者の、ちょっと奇妙な秘湯紀行。ゆったり湯に浸かり、旨いものを食べ、心地好く酒に酔い―怪異と出会う。新刊入手は困難だが図書館や古書店で。また、惑星と口笛ブックスから2017 年に電子書籍版が刊行されている。

『アラマタ版 妖しの秘湯案内』
荒俣 宏:著 安井 仁:写真 小学館
「この温泉には、妖怪も入浴した」。まえがき「温泉の湯気の精・『鬼気(すだま)』を狩る旅」に始まり、開湯にまつわる伝説、周辺の史跡、風俗等をからめて、各温泉をじっくり楽しむ術を博物学の鬼才が指南する。ピンホールカメラによる写真の数々も必見。

『文豪と怪奇』
東 雅夫 KADOKAWA
怪奇譚の側面から文豪10 名の生涯・著作を紐解いた画期的文豪案内。岡本綺堂の章では、温泉に関連したエピソードや、写真資料として、綺堂が常宿とした群馬県の磯部温泉の鳳来館跡地、戦前の鉱泉橋を写した絵葉書、現在の碓氷川の写真なども掲載している。

『外科室・天守物語』
泉 鏡花 新潮文庫
鏡花の傑作を東雅夫が編んだ、11 月に刊行されたばかりのアンソロジー。鏡花の絶筆として知られる「縷紅新草」ほか8篇を収録。なお、鏡花は新井旅館逗留のほか、富山県の小川温泉や、郷里の石川県金沢の辰口温泉、同県の片山津温泉山代温泉に関連する著作もある。

『文豪怪奇コレクション 耽美と憧憬の泉鏡花 〈小説篇〉』
泉 鏡花:著 東 雅夫:編 双葉文庫
鏡花とおぼしき主人公が夫人同伴で修善寺に滞在中、修禅寺の奥の院への道で怪しい女人と遭遇する「遺稿」ほか、「高桟敷」「霰ふる」「黒壁」など怪異譚11篇を収録。なお、修禅寺(修善寺)が題材の鏡花の作品にはほかに「斧琴菊」「半島一奇抄」などがある。

芥川龍之介全集』〈6〉
芥川龍之介 ちくま文庫
文庫版の全集、全8 巻のうち小説の最終第6巻には、修善寺温泉街が舞台の「温泉だより」が収録されている。芥川は、新井旅館滞在時に発信した手紙も多数残されており、同旅館の温泉について自筆の絵をそえて「水族館みたい」と記した内容が知られている。

『修禅寺物語 新装増補版』
岡本綺堂 光文社文庫
鎌倉幕府二代将軍・源頼家の非業の最期を描き、綺堂が歌舞伎作家として名を馳せた戯曲「修禅寺物語」の小説化を表題作として収録。また本書には、あやかしの美女と若き陰陽師の壮絶な悲恋を綴った「玉藻の前」、怪談として名高い「番町皿屋敷」が併録。

『岡本綺堂 怪談文芸名作集』
岡本綺堂:著 東 雅夫:編 双葉社
2022年が生誕150年であった岡本綺堂。本書には〈妖怪〉と〈怪談〉をテーマにした21作の怪談文芸を収録。「指環一つ」は関東大震災発生直後の混乱に取材した作品で、信州のひなびた温泉宿が舞台。なお、綺堂が滞在した新井旅館の部屋は現存している。

『文豪てのひら怪談』
東 雅夫:編 ポプラ文庫
800文字で展開される「てのひら怪談」の世界。古今東西の文豪たちの作品の中から、怖くて不思議な名作佳品、全100 篇を精選収録した前代未聞のアンソロジー文庫。梶井基次郎の「温泉」(抄)のほか、岡本綺堂の「温泉雑記」(抄)も味わうことができる。

※「ダ・ヴィンチ」2024年1月号の「お化け友の会通信 from 怪と幽」より転載

プロフィール

東雅夫(ひがし・まさお
1958 年、神奈川県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家。『幻想文学』『幽』の編集長を歴任。『遠野物語と怪談の時代』で第64 回日本推理作家協会賞を受賞。編纂に『文豪妖怪名作選』『平成怪奇小説傑作集』、〈文豪怪談傑作選〉〈文豪怪奇コレクション〉の各シリーズほか多数。監修に〈怪談えほん〉シリーズなど。

怪と幽紹介

2023年12月22日発売
『怪と幽』vol.015
KADOKAWA

特集 怪と湯
復刻●岡本綺堂、つげ義春
鼎談●加門七海×南條竹則×東 雅夫
紀行●村上健司&多田克己、京極夏彦
エッセイ●朱野帰子、有栖川有栖、黒木あるじ、今野 敏、つげ正助、内藤 了、花房観音、夢枕 獏
寄稿●伊藤克己、菱川晶子
ブックガイド● 朝宮運河

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本記事は「カドブン」から転載しております

文豪×温泉 怪奇幻想ブックガイド 寄稿 東 雅夫【お化け友の会通信 from 怪と幽】