クリスマスで賑わう12月25日(月)、かつて"エロテロリスト"を名乗り、過激な衣装と「M字開脚」の代名詞で日本のグラビア界を席巻したインリン(旧芸名:インリン・オブ・ジョイトイ)のデジタル写真集『THE VERY BEST OF "SUPER SEXY"』が発売された。

デビュー当時から懇意にしていたカメラマン・ハリプ(元クラタノフ)によって撮り下ろされた未公開過激ショットを掘り出し、ベスト版として構成された本作。収録カットは、彼女がグラビアアイドルとして最も活躍していた2001年頃の写真が中心となっており、露出度も写真の雰囲気も非常に攻めた内容になっている。

現在、台湾で3児のママとして育児に励み、YouTube「インリンちゃんねる」をはじめタレントとしても活動中の彼女を直撃。当時の思い出を語ってもらった。

【画像】2001年のインリン

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■街中で開脚したら説教!?

――懐かしのカットが多数収録されたデジタル写真集『THE VERY BEST OF "SUPER SEXY"』が発売となります。

インリン こうして過去の自分に出会えるのはうれしい反面、少し恥ずかしい気持ちもあります。体感的には、ほんの少し前の出来事という感じですが、20年以上も時間が経っていると聞いて驚きました(笑)。写真を見ていると思い出が蘇ってきますね。

――収録されているのは、2001年に撮影された写真がほとんどだそうです。

インリン 雑誌に写真集に、グラビアの仕事がいちばん忙しかった時期ですね。当時25歳かぁ。週プレさんにもたくさんお世話になりましたよね。

――当時は、カメラマンのクラタノフさんとふたりきりで撮影に行かれることが多かったそうですね。本作の収録カットも、週プレの撮影としてスタッフが同行したものもあれば、二人きりで撮影された作品撮りも含まれているとか。

インリン 昔のことすぎて、どれがどうだったかハッキリ覚えていませんが、確かに当時は、よくクラタノフと二人で写真を撮りに行っていましたね。そもそも私が日本で活動するようになったのは、クラタノフとの作品撮りがきっかけ。お仕事が忙しくなっても、その関係は変わりませんでした。プライベートで撮りためた作品を、雑誌や写真集の撮り下ろしと組み合わせて掲載していただくパターンも多かったですね。

――ふたりきりということは、衣装やヘアメイクはインリンさん自身で?

インリン そうですね。クラタノフとふたりで撮影するときは、ほぼ自前でした。特に衣装にはこだわりがあって。一般的なグラビアでは胸を寄せて上げることが多いと思うのですが、私はあえて面積が小さめの三角ビキニを選んで、真ん中には寄せず、横から丸みがはみ出るよう意識していたんです。骨盤が綺麗に見えるよう、ショーツも小さめがマストでした。

他のグラビアアイドルさんに比べたら過激かもしれません。でも、逆にみなさんが着ているような王道水着だと、私の場合はスタイルが悪く写っちゃうんです。スタイリストさんにご用意いただくときも王道な水着は外してもらい、自らTバックハイレグを選んでいましたね。

――大胆な衣装やポージングもさることながら、どこか怪しげなロケーションも印象的です。

インリン ロケーションは基本的にクラタノフが探してくれました。何度か「ラスベガスのゴージャスなホテルで撮影してみたい」とリクエストしましたが、毎回、連れて行かれるのはボロボロの廃墟(笑)。昭和の匂いが漂う古いラブホテルなど、ダークなシチュエーションが多かったので、たまに綺麗な海での撮影があると、どう自分を見せれば良いか分からず戸惑ったほどです。

――海といえばグラビアの王道シチュエーションですが、確かにインリンさんのイメージじゃないかも(笑)。廃墟での撮影は過酷だったのでは?

インリン もう、過酷な思い出しかないです。そもそも二人きりなので、自分で荷物を持たなきゃいけないんですよ。それだけでも大変なのに、ただでさえ足場の悪い廃墟で高いヒールを履いて。挙げ句の果てには、平気で「そこ登って」なんて指示してくるんです(笑)。良い写真を撮るためなので悪気がないのは分かっていても、こっちに気も遣わず指示されるとイライラしますよね。口には出さなくても、表情には出ちゃっているかも(笑)。

――アハハ。無茶振りがヒドい!

インリン 何よりキツかったのは、廃墟のトイレでの撮影。潔癖症ではないとはいえ、いつ誰が使ったか分からない壊れた便器に拭きもせず座るのは、さすがに抵抗がありました。まわりにスタッフさんがいたら、せめて拭いてくださいますよね? でもクラタノフは、現場に着くや「座ってみて」と言って、もうカメラを構えているんです。内心は「本気で言ってんの? 絶対イヤなんだけど!」って感じ(笑)。古びた便器を使った撮影はわりと頻繁にあったんですが、何度やっても慣れなかったです。

――今回のデジタル写真集にも、便器のカットが収録されていました。うぅ、これはキツそう......。他に、印象深いカットはありますか?

インリン 古い街並みで赤いコルセットを着たカットは忘れられないです。人通りの少ない路地裏で撮影をしていたのですが、通りすがりのオバチャンに「そんな格好で何やってんの! 親が泣くよ!」って説教されたんです。言葉が分からないフリして撮影を続けていたら、二人、三人とオバチャンが集まってきて。足を開いた瞬間、他のオバチャンたちからも「やめなさい!」と怒られました(笑)。グラビアのお仕事に誇りは持っていましたが、私も厳格な家庭で育ったので、オバチャンたちの気持ちも分かるというか。ちょっと辛かったですね。

――そんなエピソードがあるとは思えないくらい、表情もポージングも大胆で驚きます。

インリン クラタノフに撮ってもらった写真はどれもカッコよくてセクシーだけど、撮影の裏側はセクシーじゃないものがほとんどです(笑)。過激な衣装の上に前開きのチャック付きコートを羽織って現場まで行き、カメラのピントやライトが設定できたら、誰も見ていない瞬間を狙ってコートを脱ぎ捨て、1分もかからないうちに撮影を済まし、その場を後にする。落ち着いて表情を作っている暇もないほど、ゲリラ的な撮影ばかりでした。もはや瞬間芸です。

今回の写真集には収録されていませんが、とある名所で警備の目を盗んで撮影したこともありました。今考えると、やりたい放題すぎてコワイ(笑)。

――提案するクラタノフさんも無茶ですが、応えるインリンさんもなかなかですよ!

インリン まだ若かったし、無知で怖いもの知らずだったから出来たんだと思います。良い写真を撮ろう、面白い写真を撮ろうと必死でしたね。後のことなんて何も考えていなかったです。

撮影中に人が集まってきても「恥ずかしい」なんて言っていられません。カメラマンが夢中になってシャッターを切っているのは、今の私の表情が良いからだろうし、この瞬間を逃したら二度と同じ画にはならないですからね。と、余裕な顔をしていても、心の中では「恥ずかしいから早く撮ってー!」と叫びっぱなしでしたよ(笑)。

■インリンといえば「M字開脚」

――デジタル写真集の表紙然り、本作ではインリンさんの代名詞である「M字開脚」の写真もたくさん見られます。

インリン 「M字開脚」という言葉は、週プレさんがつけてくださったんですよね。最初「M字って何?」と思いましたけど、すぐに「本当だ! 足の角度がM字だ!」って理解しました(笑)。瞬く間に他誌でもそう書かれるようになって、いつしか「M字開脚」=インリンになって。私がいろんなメディアに出させていただけるようになったのは、間違いなく「M字開脚」という言葉のおかげです。本当、ラッキーでした。週プレさんと当時の担当さんには心から感謝しています。

――ポージングの名称として、今や一般的にも認知される言葉になっています。

インリン 実際、開脚のポージング自体は、私以外のグラドルさんもやっていたと思うんです。「M字開脚」=インリンになってから、他のみなさんがやりづらくなってしまったのは、ちょっと申し訳なかったなと思っています。別に商標をとっているわけではないですけどね(笑)。

――最初、どのようにして「M字開脚」のポーズをとる流れになったか覚えています?

インリン 撮影中、クラタノフに「しゃがんでみて」と言われたんです。でも、しゃがむって何だかかわいいじゃないですか。強そうなメイクと衣装に合わないなと、ヤンキー座りみたいに足を開いて座ったら、お互いに「これだ!」としっくりくる感覚があって。それ以降、暗黙の了解じゃないですけど、クラタノフの言う「しゃがんで」はM字開脚を指す言葉になりました。

――「M字開脚」と名付けられてからは、アルファベットの「M」の形を意識したり?

インリン そういえば、自分なりに角度を意識してやっていたかも。今思うと、一発芸みたいですよね(笑)。基本、ヒールを履いていたので、綺麗なM字を維持するのはスゴく大変でした。動くとピントがブレちゃいますし。知らず知らずのうちに、相当ふとももの筋肉が鍛えられたと思います。

■「グラビアは私の宿命だったのかも」

――過去の記事を読ませていただくと、学生時代の将来の夢は「スチュワーデス」。短大に通い、英語もかなり勉強されていたとか。それがクラタノフさんとの出会いで人生が一変し、グラビア活動へと発展。一時は、日本でインリンさんを知らない人がいないほど大活躍をされました。スゴい人生ですよね

インリン 厳格な家庭で育ったので、プライベートで水着を着たこともなければ、当初は撮影にも抵抗がありました。でも、試しにやってみたら思いのほかカッコいい写真が撮れたのに感動して。そこから始まったグラビア人生。本来の私からすると考えられない活動ですが、今改めて振り返ると、宿命だったのかもしれないとも思います。撮っていただいた写真を見ると、いつも「あぁ、私は自分が立つべき場所にいるんだな」って、妙ににしっくりくるんですよ。

――インリンさんにとってグラビアは天職だったと。今年6月には14年ぶりにして人生最後の写真集『すべて今の時ゎ最後の時~最終話』(講談社)が発売されました。ブランクもあったかと思いますが、撮られる感覚に変化はありました?

インリン 変化しかなかったですね、どう頑張っても当時のようにはならないですよ。まず、出産をすると骨盤の形が変わるんです。どれだけボディメイクをしてカッコいいポージングをしても、若い頃のような迫力は出せませんでした。また、最近は子ども出かけることが多いので、いつもスニーカー。久々のヒールは、正直こたえました。自然と足を開いたり強い表情を作ったりと、蘇ってくる感覚もあったのですが、あの頃に戻れるわけではないんだと痛感しました。

――今のインリンさんだからこその魅力も出ていると思いますが。

インリン ウフフ、ありがとうございます。今回、久々に昔の写真を見させていただいて、「若いっていいなー」と思いました。お肌もピチピチだし。当時は、自分のスタイルに納得のいかないところがいくつかあったけど、改めて見ると「なんだ、めっちゃスタイルいいじゃーん」って(笑)。

――今も変わらずお綺麗じゃないですか! YouTube「インリンちゃんねる」でも、たまに水着の動画を上げていらっしゃいますよね?

インリン いやいや、今はもう全然です(笑)。でも、YouTubeのコメント欄には、今も私のグラビアを待ち望んでくれているファンの方がいらっしゃるんですよね。本当、うれしい限りです。日本での活動から離れて10年近く経ちますが、それでも私のことを忘れずに、活動を見守ってくださっているんだなぁって。あたたかい気持ちになりますよ。

――今回のデジタル写真集についても、きっと感想が届くはず。そう思うと、当時のファンの方との同窓会のような一冊なのかもしれないですね。

インリン 同窓会! イイですね。私が歳を重ねたように、みなさんも20年分、イイおじさんになっていらっしゃるわけですし(笑)。年末は、是非このデジタル写真集で、懐かしさに浸ってください。

●インリン
1976年2月15日生まれ 台湾台北市出身
20歳の短大生のとき、過激にデビュー。以来10年にわたってグラビアやプロレス、そのほかさまざまな分野で活躍。2008年に結婚し、生活の拠点を台湾へ移す。今後の活動にも注目だ! 
最新情報はアメブロ【https://ameblo.jp/yinlingofjoytoy/】
英里有限会社(Eili Taiwan【http://www.eili.com.tw/ja/】
公式Instagram【@yinling_official】
公式YouTube『インリンちゃんねる』@user-ge2ci3tc3e

インリンデジタル写真集『THE VERY BEST OF

取材・文/とり 写真/ハリプ(元クラタノフ)

過去のグラビア活動について話してくれたインリン