映画『マルサの女』で有名になった国税局査察部(通称マルサ)。特定の税務署に設置される「特別調査部門(トクチョウ班)」はその登竜門ですが、トクチョウ班は案内板にも職員録にも記載されない“シークレット部隊”だと、元マルサで税理士兼住職の上田二郎氏はいいます。上田氏が「トクチョウ班」統括官時代、実際に担当した「脱税事件」を紹介します。

税理士事務所に持ち上がった「2つの脱税疑惑」

税理士に対して税務調査を行う際には、「統括官(=統括国税調査官)」といわれる調査部門のトップが担当することになっている。当時「トクチョウ班」の統括官であった筆者が調査指示を受けた税理士事務所は、10年前に先代が急逝し、後継者に資格がなかったために、やむなく税理士資格を持つ者を招いて事業を継続したという。

事務所の従事者は、外から招いた税理士と亡くなった先代の長男(番頭)と次男、女性事務員1名とパート1名の合計5人体制。ただし、実質的には遠方に住み、ときおり顔を出す税理士とパートのおばちゃんを除き、3人で実務をこなしている。

決算書を分析すると、長年勤めていた女性(60歳)が2年前に定年退職し、同じタイミングで別の女性従業員(30代)も退職している。その後従業員を補充した形跡はないが、事務所の売り上げは下がっていない。

「もともと税理士を除いて5人でこなしていた業務。2人同時に退職して、事務所が回るのか?」

退職したはずの従業員に、翌年も同額の給与が支給

疑問に思いながらも引き続きKSK(国税総合管理システム)で調べていると、長男が2年前に中退共(中小企業退職金共済)から退職金をもらっている資料が見つかった。

ちなみに「中小企業退職共済掛金(中退共)」とは、独自に退職金制度を設けられない小規模事業者のために、事業主の相互共済と国の援助で退職金制度を確立し、従業員の福祉を増進するために作られた制度のこと。

企業(経営者)が加入者になって掛金を負担し、従業員の退職金を積み立てる制度のため、積極的な活用を考える事業主は少ない。しかし、対象が家族従業者だけであれば、掛金を経費として家族が退職金をもらえるという魅力的な福利厚生になる。

ところが、なぜか給与は退職した翌年も前年と同額の800万円が支給されている。これはもしや、中退共狙いの架空退職ではないのか?

すると、2人の女性の同時退職も怪しく見えてくる。60歳の女性は定年退職で間違いないだろうが、30代女性はそもそも従業員として雇用されておらず、事務所が「架空人件費」を計上していたのではないだろうか。そう考えた筆者は、太石調査官に住民税を調査するよう指示した。

太石調査官「頼まれていた住民税について調べてきました。ちなみに4人の女性従業員がいましたが、対象の“2人の女性”とは、事務所を辞めたほうですか? 残ったほうですか?」

筆者「辞めたほうだよ」

太石調査官「なるほど。ずいぶん前だったので忘れてしまって(笑)。もう1度行くのも面倒だったので、従業員全員の住民税を調べておきました。どうぞ」

報告書から明らかになった「巧妙な脱税スキーム」

太石調査官から渡された報告書を眺めていると、給与台帳では800万円になっている長男の給与が、住民税台帳では400万円になっていることに気づいた。

筆者「住民税の申告額がおかしいんだけど、間違いではないよね」

太石調査官「市役所がデータをアウトプットしているので間違いありません」

筆者「事務所の給与台帳と金額が違っている……」

詳しく確認したが、支給額に違いがあるのは長男だけだった。

税理士事務所とあれば、源泉徴収票を作るのは簡単だ。さらに、税務署と市役所に出す源泉徴収票の金額を変えることもできる。税務署の調査は甘くないので国税の不正はできないが、住民税の単独調査はほとんど行われていないためだ。

税理士事務所にしてみればある意味“やり放題”で、住民税と国民健康保険料が連動していることから免れる税額は大きい。マイナンバー制度の施行前にこの手口を見破ることは難しく、長男は10年以上も源泉徴収票の偽造を続けていたのだった。

結局、税理士の調査は中退共の掛金を否認するだけの少額な修正申告になったのだが、本事案は国税と住民税、社会保険料の課税標準が連動しているなか調査が手薄な「住民税」だけを狙う巧妙な脱税スキームであった。

もし太石調査官が筆者の指示どおり、住民税の調査を退職した30代の女性のみに絞って終わらせていれば、決してこの不正は見つからなかっただろう。偶然が生んだ展開だった。

脱税が見つからないよう税理士の申告所得を減らす「カラクリ」

税理士の申告所得はここ10年間、240万円で安定していた。仮にこの金額(月額20万円)を税理士からの名義借り料だと考えると、それ以外の事務所のお金は先代税理士の長男と次男が自由に差配できる。しかし、確定申告書は税理士名義で出さなければならないため、脱税が見つかると自己脱税で処分対象になる。

しかし、30代女性から名義を借りて少額の架空給与を支払っても、源泉徴収さえしておけば調査で見つかる可能性は小さい。そして、その名義で支払った中退共掛金は税理士事務所の経費になり、退職させると退職金を自分のお金にできるという仕組みだ。

架空給与も中退共掛金も、税理士の申告所得を減らすにはもってこいだ。税理士は自分の確定申告内容すらも知らされていないのかもしれない。

「架空人件費問題」の真相は解明できず…

しかし、長男の脱税は“さらなる追及”へ

本件調査の着手日、筆者はトクチョウ班のメンバーに命じ、先述の“怪しい退職”をしていた2人の女性に対して無予告の「反面調査」を行った。

※ 反面調査……税務調査の対象となる本人ではなく、取引先などといった関係先に対して行われる調査のこと。

しかし当日、60歳で退職した女性は温泉旅行に行っていて不在。もう1人の30代女性も不在だったため、無予告調査は空振りに終わる。

1度空振りしてしまうと、口裏を合わされてしまいその後の調査はうまくいかない。結局、30代女性に対する架空給与の証拠は見つけることができなかった(もちろん筆者の読みが外れていて、実際に勤務していた可能性もあるが)。

数週間後、筆者は税理士を税務署に呼び出した。税理士は開口一番「大変ご迷惑をおかけしました」と深々と頭を下げた。再度、30代女性の給与について追及するが、架空給与を認めるわけはない。

決め手がない以上、否認することはできない。仮に否認しても給与に対する源泉徴収税額を還付しなければならず、かかる調査日数と追徴税額を天秤にかけ、調査を断念した。

筆者が「納得はしていませんが、これ以上の追及をやめます。ただし、事務所が負担した長男の中小企業退職共済掛金は、経費としての計上を認めません」と伝えると、税理士は「ありがとうございます」と言って、再び深々と頭を下げた。

国税の調査はこれで終了したが、問題は長男の住民税だった。過去10年間にわたり、800万円の給与を400万円に偽って脱税している。もちろん税理士の名前で源泉徴収票が発行されていた。

税理士「本当に申し訳ありません。監督不行き届きです」

筆者「監督不行き届きではなく、先生自身の確定申告の問題です。知らなかったで済む問題ではありません」

税理士「……どんな処分になるのでしょう?」

筆者「事実を市役所に通報します。後日、追徴額の通知がくると思います」

これだけの問題が見つかると税務調査だけでは終わらない。「ご存じでしょうが、調査経過は署の幹部に報告済みです。もちろん、国税局への報告になるでしょう。統括官レベルで対応できる問題ではありません」と伝えた。

上田 二郎

元国税査察官/税理士

(※写真はイメージです/PIXTA)