血塗られた美の男、佐藤寿保監督による約7年ぶりの新作映画『火だるま槐多よ』(公開中)。ピンク四天王の一角を占める異才による久々の新作公開を援護射撃するべく、東京新宿のK's cinemaでは「血だるまヒサヤス もしくは美の男」と題したレトロスペクティブを第一弾、第二弾にわけて開催。

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この特集上映では、佐藤監督幻の長編監督デビュー作にして業界内外にバクダン級の衝撃を与えた逸品『狂った触覚(公開題:激愛!ロリータ密猟)』(85)や、ビデ倫が審査拒否したという『波動 〜WAVE〜(公開題:馬小舎の令嬢)』(91)、パリ人肉事件を起こした故佐川一政出演の『視線上のアリア(公開題:浮気妻 恥辱責め)』(92)などを含めた異色作を連日上映。なかでも新作『火だるま槐多よ』のプロデューサーの一人であり、『ベイビーわるきゅーれ』などに携わった小林良二が「この映画を観て映画制作を志したと云っても過言ではない名作中の名作。ソフト化も配信などでも観れないです。この機を逃すといつ観れるか分かりません」と猛プッシュする『狂った触覚』は必見作だ。もちろんすべてR18。そもそもそんな物騒な作品群を作り続けてきた映画監督、佐藤寿保とは何者なのか?

■ピンク四天王の一人、佐藤寿保の強烈な作家性

ピンク映画(成人指定映画)のパイオニア的存在、向井寛が主宰する獅子プロダクションで滝田洋二郎監督らの助監督として腕を磨いた佐藤監督は、1985年に前述の『狂った触覚』こと『激愛!ロリータ密猟』で長編映画監督デビュー。同年ズームアップ映画祭新人監督賞を受賞し、以降1980年代から1990年代初頭にかけてエッジの効いたピンク映画を量産した。

ピンク映画という領域から大幅にはみ出した強烈な作家性を発揮したことから、サトウトシキ監督、瀬々敬久監督、佐野和宏監督と共に“ピンク四天王"との称号を得ている。しかし、そのメンツのなかでも異常性とタガの外れた暴力性、PUNKマインドはピカイチだ。監督デビュー作の主人公からして、女を暴行し風呂敷に包んでゴミ捨て場へ放置する青年というホラーテイスト。『腐った街(公開題:人妻コレクター)』(85)では『タクシードライバー』(76)の孤独を抱えたトラヴィスのようなタクシー運転手が、ハードミュージックをBGMに女たちを暴行。全裸で車道に放置したりする。いくら昭和とはいえ、さすがにまずいのではないか!?という映像のオンパレードにギョッとさせられる。

この時期、佐藤監督の集大成的作品が生まれている。それが『秘蜜の花園(公開題:ロリータバイブ責め)』(87)だ。同級生を探し求めて雑踏をさまよう女子高生と、死の間際の顔を撮影することが趣味の連続殺人犯の血まみれの邂逅を描く歪んだ青春劇で、にっかつロマンポルノとして公開されたものの、ピンク映画の体制で制作された。当時ロマンポルノの終幕期ということもあり、佐藤監督はジャンル無視で好き放題に自分の世界を作り上げた。その結果、尋常ならざる残虐性とメランコリックさが混濁した異色作に。

現在まで長らくコンビを組んでいる脚本家の夢野史郎が、佐藤監督長年のテーマである“アウトサイダー”、“無機質な都市の孤独”、“視線の暴力”を物語のなかに見事織り込み、1980年代の佐藤監督作を総括するかのような一本に仕上がった。DVD化されたものの廃盤となった現在では、ネットオークション等で高値が付けられている。

ほかにも、佐藤監督はゲイポルノ映画も手掛けてるが、そのどれもが例に漏れず猟奇的。サディスティックなボーイフレンドの右腕を切り落とした男のもとに、ホルマリン漬けにされた右腕が届く『狂った舞踏会』(89)は、海外ではホラーという文脈で紹介されるほど。いまでは『とんび』(22)や『ラーゲリより愛を込めて』(22)など超メジャー作品を手掛ける瀬々監督が助監督として付いている点や、ピエル・パオロ・パゾリーニやエゴン・シーレへの言及、そしてAUTO-MODのジュネの出演など芸術ファン的&音楽ファン的見どころも多い。また佐藤監督はピンク映画に英国ノイズ系バンドCOILを当てはめるなど、音楽面においても斬新かつ規格外な感性を発揮している。

■劇場主からの排斥も…ピンク映画とはかけ離れた劇薬作を連発

バブルが崩壊し、混迷極める1990年代初頭。そんな日本社会の雰囲気が佐藤監督作のなかにあるパラノイア色と終末感に追いついたのか、佐藤監督は1980年代に生み出した危険な作品以上の劇薬作を演出強度も盤石にしながらスクリーンにぶちまけていく。とある映画館では「男はつらいよ」の興行記録を超えたという獣犯モノ『密猟の汀(公開題:馬と女と犬)』(90)、盗撮カメラマン夢遊病殺人鬼の悪夢のような出会いを描く『TURTLE VISION(公開題:盗撮レポート 陰写!)』(91)、ハルシオン過剰摂取女の激キモ不倫劇『視線上のアリア(公開題:浮気妻 恥辱責め 別題:夢の中で犯して殺して)』(92)、変態家族を持つ青年の苦悩を電車内ゲリラロケで撮り切った『誕生日(公開題:痴漢電車 いやらしい行為)』(93)、未確認尾行物体観察者を自称して街を彷徨う男が、吸血殺人事件の真相に迫る『LOVE-ZERO=NO LIMIT(公開題:いやらしい人妻 濡れる)』(94)などなど。

破廉恥な公開用タイトルとは裏腹に内容は沈鬱。スケベ心もりもりで成人映画館に足を踏み入れた世の男たちがどんな顔をしてスクリーンを見つめていたのか、貴重な時代であったことは間違いない。なお『痴漢電車 いやらしい行為』と『いやらしい人妻 濡れる』は幡寿一名義で撮っている。その理由は、いわゆるピンク映画とはかけ離れたヘヴィな作品ばかりを作る佐藤監督に対して起こった、劇場主からの排斥気運が理由。仕方がないので変名で撮らせるという制作会社が編み出した苦肉の策なのだが、このエピソードからも映画監督・佐藤寿保の飛びぬけた問題児ぶりを窺い知ることが出来る。

阿鼻叫喚の和製スプラッターで海外人気も高まる

そして時は悪趣味ナンセンス文化が花開いた1990年代後半。時代を味方に佐藤監督はメジャーに進出。そこでもエロ&グロ&バイオレンスをまぶした社会病理を表現し続けるブレなさでサブカル街道を爆走する。山本直樹原作の『夢で逢いましょう』(96)、中島らも原作の『人体模型の夜』(96)、芥川龍之介に挑んだ『藪の中』(96)、ナンセンスコメディ『やわらかい肌』(98)を矢継ぎ早に発表。

この時期の注目作は、無名時代の阿部サダヲが主演したレンタルビデオ用映画『女虐 NAKED BLOOD』(96)だろう。夢野脚本に比べてスプラッター度合いの強いストーリーを紡ぐ傾向の高い脚本家、渡剛敏とのコンビで生み出した猟奇的自傷ピンク映画『LUSTMORD(公開題:暴行本番)』(87)のセルフリメイク。究極の鎮痛薬「MY SON」が巻き起こす阿鼻叫喚を、グラン・ギニョール特殊メイク駆使で描いた和製スプラッターだ。海外人気も高く日本でもDVD発売されたが、これもプレミア化している。

潔癖症、盗聴、SMというモチーフを取り入れた田中要次出演のゲイ映画『フェティスト 熱い吐息』(98)も奇妙な悪夢のようですばらしい。佐藤監督作の屋台骨を長らく支えてきた脚本家、夢野史郎と渡剛敏のテイストにリスペクトとオマージュを捧げたカバー版のような仕上がりで、脚本家の井土紀州が佐藤監督作初登板。井土はピンク時代の瀬々監督とのタッグで知られるほか、現在は『溺れるナイフ』(16)の脚本や、自身のメガホンで谷崎潤一郎の不朽の名作を現代に蘇らせた『卍』(23)などを手掛けている。佐藤監督ファンである井土の痒いところに手が届くストーリーテリングを得て、佐藤監督の演出は視覚的にも冴えたものになっている。

■佐藤寿保が描き出す“暗闇"と“時代の負の側面"

ミレニアムに突入しても佐藤監督は、カルト漫画家の早見純による劇中イラストが怖い谷崎潤一郎もの『刺青 SI-SEI』(05)、『乱歩地獄』(05)の一編で松田龍平主演の「芋虫」、4部作構想の「華魂」シリーズなど唯一無二の世界を描き続ける。だが徐々に新作発表の機会が少なくなる。

しかし時代の負の側面は常に佐藤監督が描き出した暗闇と併走したがるのか、佐藤監督の過去作が90年代日本映画を象徴する作品として国立映画アーカイブで上映されたり、名画座が行う成人映画特集で必ずピックアップされたり、外国人ファンが都内の成人映画館に佐藤監督作を求めてわざわざやって来た、などと言う話も聞く。コロナ禍で実現しなかったが、ファンによる新潟でのレア作品上映会も企画され、ドイツハンブルグ日本映画祭ではレトロスペクティブの計画さえあった。

■浜辺を全裸で横切り、大海原に向かって放尿!

時代が切り離すことを拒む鬼才監督、佐藤寿保。コロナ禍という暗黒時代の尾を引きずる現在において、佐藤監督約7年ぶりの新作が公開されるのは、どこか必然だったのかもしれない。22歳で夭折した芸術家の村山槐多の魂にインスパイアされた『火だるま槐多よ』は、表現や活動を抑え込まれた多くの人々に向けた起爆剤のような作品だ。

「コロナ禍で多くの人たちが活動の場、表現の場を奪われた。さらに個々の差異や個性を認めない画一化も一層激しくなった。世界情勢・社会情勢もあまりにも不安定だ。そんな息苦しい現代に、表現と個性の爆発の塊のような槐多の魂をアンチテーゼとして問うてみたらおもしろいのではないか?いまこそやらなければいけない、そう思った」(佐藤監督)

表現の爆発にフォーカスを合わせて、いわゆるピンク映画的な濡れ場も残虐描写も抑え気味。エンターテインメント作として老若男女楽しめる作りが意識されている点に進化を感じる。しかし切っ先はかなり鋭い。脚本の夢野は、槐多が生きた時代に寄り添うように旧字で執筆したというし、佐藤監督を象徴する眼球ドアップや美意識に貫かれた裸体表現もある。全裸の僧が鉢に小便をする姿をギラギラした色彩で描いた槐多による油彩画「尿する裸僧」や詩、短編小説「悪魔の舌」を背景に塗り込みながら、地獄の門を開いてしまう若者たちの疾走を尋常ならざるパワーで活写。全裸の主演俳優が浜辺を全力で横切り、大海原に向かって放尿する。令和の師走にこんなモンド映像を観られるとは思わなかった。

槐多の過去からの声を集音機でキャッチした男。「尿する裸僧」に心を掴まれて街を彷徨う女。そして超能力研究所から逃げてきたパフォーマー男女4人。登場人物たちの設定からして穏やかではない。槐多を題材にしながらも彼については直接的には描かず、まったく新しい物語をクリエイトして槐多の表現に対する魂を炙り出そうという試み。このぶっ飛んだセンスに、謎の男を嬉々と演じた佐野史郎も「日本のアングラの系譜を絶やすものか!」と凄まじい存在感で応えた。

そのほか、フレッシュ勢は佐藤監督のキャリアも諸作品も知らない若い世代。だからこそ色眼鏡なしで佐藤監督と対峙し、その美意識に感化されて自分たちの持ちえる力すべてを注ぎ込んだ。キャストの一人は「作品の持つ摩訶不思議な力に心を奪われ、これぞ芸術だと感動した」などと手応えを口にしている。

■「より多くの老若男女に感じて欲しい!それ以外のメッセージが思い浮かばない(笑)」(佐藤監督)

佐藤監督は2025年で映画監督業40周年を迎える超ベテランで年齢も還暦越え。だが演出力と表現力は衰えるどころか、美意識は瑞々しくより強度を増している。長いキャリアに支えられた確かな技術と明確なヴィジョンによって作られたシーンやショットは場面によっては震えが出るほど美しい。佐藤監督ならではの視点から生まれた画角で映し出される深みのある画は、大きなスクリーンで観るべきものだ。7年というブランクは『火だるま槐多よ』の冒頭シークエンスを観れば皆無だとわかる。

「『火だるま槐多よ』をどう観るのか?それは観客の皆さんの自由です。…感じてください!より多くの老若男女に感じて欲しい!それ以外のメッセージが思い浮かばない(笑)。村山槐多を知っている人も、知らない人も楽しめる刺激物たっぷりの内容だと思うし、予備知識を入れずに観るのもこの映画をおもしろがる一つの方法かもしれない。社会的模範という抑圧を受けながらも、自分なりの美を追求して狂い咲いて22歳で死んだ村山槐多。その精神を受け継いだ登場人物たちの表現と戦いを観て感じてもらえたらうれしい」(佐藤監督)

これまで生み出してきた作品の個性が濃すぎるがゆえに、怖そうなイメージを抱かれがちな佐藤監督。確かに映画表現の場では神がかってしまってヤバいゾーンに入るのかもしれないが、その素顔は明るく朗らかで情熱的で真っすぐな人。とんでもない作品を沢山作っておいて、普段は優しい人柄というのは逆に怖い気もするが『火だるま槐多よ』をより多くの人に認知してもらうべく、12月よりSNSの個人アカウントを初開設。本作ポスターを背負ってハチ公前や花園神社を彷徨う佐藤監督の姿を確認してほしい。このSNSデビューに『アナログ』『正欲』などの脚本家、港岳彦も「佐藤寿保監督がSNSに降臨…!」と即座に反応している。

佐藤監督作に触れたことがある人もない人もぜひ作品を鑑賞し、たぎる年末年始を過ごしてほしい。そして2024年も佐藤監督にメガホンを握ってもらう可能性を高めていただきたい。やっと今月Blu-ray発売された『眼球の夢』(16)も要チェックだ。

取材・文/石井隼人

物騒な作品群を作り続けてきた佐藤寿保監督とは何者なのか?/[c]2023 Stance Company / Shibuya Production