マーティン・スコセッシ監督の最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(23)は、1920年代オクラホマ州で、先住民族が次々と殺人事件に巻き込まれた実話がもとになっている。先住民族のオーセージ族は、石油が採掘されたことで国内で最も裕福な部族となっていた。オーセージ族の女性モリー(リリー・グラッドストーン)と恋に落ちたアーネスト(レオナルド・ディカプリオ)は、彼をこの地に呼び寄せた叔父で地元の有力者ウィリアム(ロバート・デ・ニーロ)の計画に巻き込まれていく。やがて、事件を聞きつけた捜査局(FBIの前身)の捜査官(ジェシー・プレモンス)は、大規模な捜査を開始する。

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レオナルド・ディカプリオとスコセッシ監督の6度目のタッグとなった今作は、2023年5月のカンヌ国際映画祭でのプレミア、10月の劇場公開を経て秋の映画賞シーズンのトップランナーを走り続けている。11月にロサンゼルスの全米監督協会の劇場で行われた特別上映後にスコセッシ監督の盟友、スティーヴン・スピルバーグ監督が駆けつけ、Q&Aを行うという豪華な催しが行われた。2人は、ブラッドリー・クーパー監督・主演の『マエストロ:その音楽と愛と』(23)でも共にエグゼクティブ・プロデューサーを務めている。アメリカの映画界を代表する二大巨匠の会話から、抜粋してお届けしたい。

■「多くの映画のラストシーンであなたが見せようとした正義とはなんだったのでしょうか?」(スティーヴン・スピルバーグ)

スティーヴン・スピルバーグ(以下、スピルバーグ)「まず言っておきたいのは、私にとって、あなたの映画を観るのは格別な体験なのです。そして、あなたの全作品について私がどう思っているかはご存知の通りでしょう。けれども、この作品は私にとって、ある意味でとてもインパクトがあり、傑出していました。ボビー・D(ロバート・デ・ニーロ)とレオ・D(レオナルド・ディカプリオ)の共演は本当にすばらしいですね。これはレオと6作目、ボビーと11作目のコラボレーションですが、ジョン・フォードとジョン・ウェインの計14作品の記録まであと3作品となりました(笑)」

マーティン・スコセッシ(以下、スコセッシ)「そうだね、6本も一緒にやっていると、レオと私は30歳の歳の差があるわけですが、とても似たマインドの持ち主だとわかってくるんです。レオは恐れ知らずで…こういう言い方のほうがいいかな。彼はアーネストを演じることをもちろん恐れていました。言い換えると、彼は自分が火中に歩いていくのだとわかっていました。だって、この役をどうやったら演じられるというのでしょう?私たち全員が『どうやってこの男について物語ればいいのだろう?』と思っていました。アーネストは弱い男です。

どうしたらこの弱く妄想的な男を演じられるというのでしょう。彼は心から、叔父のウィリアム・ヘイルが自分やモリーに危害を加えたりすることはないと信じています。モリーが死ぬことがあるとすると糖尿病だろうと、無意識化でわかっている。レオは特に最後のシークエンスに向かうすべてのフレームで顕著に表していますが、恐れと弱さを理解しながらも、前に進むしかないのです。その姿は私にとって、『沈黙-サイレンス-』でイエス像を踏み続け、司祭に許しを請いながら戻ってくる男の役(キチジロー)を彷彿させました」

スピルバーグ「映画を観ながら、この町の誰かに共感できたら、と思っていました。オーセージの人々にとって、私もよそ者ではあるんだけど、どうしたらアーネストに好感を持てるのだろうか、と。そしてある時、アーネストには『二十日鼠と人間』に似たところがあると思うようになりました。というのも、ある意味、この映画やあなたが作った他の多くの映画は、観客に対して自分自身のモラルを再発見させるものだったからです。私がこの質問にとても興味があるのは、私たちの道徳心が常に試されているからです。あなたの映画の中で、支持しがたい男性に惹かれるのはなぜなのでしょうか?この映画では、冒頭から私たちに自問自答させるような2人の男が登場します。そして特に私はそう感じたんですが、アーネストに対する希望のようなものを感じ始めました。あなたのほかの映画の登場人物のジェイク・ラモッタ(『レイジング・ブル』)、トラヴィス・ビックル(『タクシー・ドライバー』)、コリン・サリバン(『ディパーテッド』)、ヘンリー・ヒル(『グッドフェローズ』)、ジョーダン・ベルフォート(『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』)や、まさに『ゴッドファーザー』におけるコルレオネーネファミリーがとても成功した例です。それで、マーティに質問ですが、あなたが人間のダークサイドに惹かれるのはなぜでしょう?そして、多くの映画のラストシーンであなたが見せようとした正義とはなんだったのでしょうか?」

スコセッシ「それは…50年間もこんなことをやってきて、ほかにどう表現していいかわからないからです。私は本当に、監督になれると思ったんです。旧来のスタジオ・システムの中で、様々なジャンルを手掛ける監督になる代わりに、自分の生まれた世界を反映するような映画を作っています。私の両親がそうだったという意味ではないし、家族もそうではなかったけれど、私が育った世界では、普通だと思って受け入れていた人たちが本当に凶悪なことをすることもあったし、そうせざるを得なかった人たちもいました。1949年から1959年までの間、ドラッグを買うために、何人かは強盗に手を染めてもいました。彼らの多くは、心の底ではまともな人間でした。でも、彼らには選択肢がありませんでした。『選択肢はあるでしょう』と言うかもしれないけれど、ある状況下では多くの人が必ずしも選択肢を与えられるわけではないのです」

■「人々が死に、悲劇が起こり、苦悩が生まれ、そしてそれがラジオ番組になっていた」(スコセッシ)

スピルバーグ「この映画全体のモラルの羅針盤である、すばらしく魅力的なリリー・グラッドストーンについて教えてください。彼女との初対面はとても印象的で興味深かったそうですね」

スコセッシ「リリーと最初に会ったのは確かZoomでした。キャスティング・ディレクターがケリー・ライカートの『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』を観ていて、写真を見せてくれました。あの映画での彼女の演技は筆舌に尽くし難いほどすばらしかった。ケリー・ライカートの映画が大好きなので。当時はZoomだけで、なかなか実際に会うことはできませんでした。それでもすぐに、彼女には私たちが必要としているものがすべて備わっていると感じました。重厚さがあり、ユーモアのセンスもある。この役を演じるうえで興味深い、知性的な要素もありました。そして、彼女自身のネイティブ・アメリカンやその問題への積極的な取り組みが、私をとても興奮させました。問題はCOVIDで、1年間すべての撮影が止まってしまったことでした」

スピルバーグ「撮影準備が実際に滞っていたってこと?」

スコセッシ「まだ撮影準備にも入っていなかったと思う。よく覚えていないんだけど、パラマウントに脚本を持って行ったら、ジム・ギアノプロス(元パラマウントCEO)がこの映画を作りたいって言う。でもそれがペンディングになったり、ようやくGOサインが出たり…。それからAppleが入ってきて、パラマウントが配給をすることになりました。実はその期間、事態はとても曖昧でした。正直なところ、この映画を製作できるかどうかもわかりませんでした。でも、私たちはただひたすらプッシュし推し進め、レオがアーネストを演じるという当初とは別のバージョンの脚本に挑戦し続けていました。そこで重要だったのはレオとリリーを対面させることで、3人でZoomをやりました。本当はZoomじゃなくて対面のほうがいいんだけど、とにかくZoomをして、終わった直後にレオが『彼女は最高だ!やるしかないですよ!』と言ってきて。私は『もちろんだよ!』と答えました。リリーが参加してくれることで、ネイティブ・アメリカンやオーセージ族、そして周辺のすべての人々とのパイプ役として、私は彼女を本当に頼りにしていたんです。

モリーが、レオが演じるアーネストのことをコヨーテと呼ぶシーンがありますが、あれはオーセージ族の民話からきています。例えば、彼がタクシー運転手として彼女を車に乗せているシーン。リリーはオセージ語で話し、レオが『なんて言っているの?』と聞いても、彼女は話し続けています。というのは、私にも彼女が話している言葉がなにを意味しているのかわからなったけれど、ハンサムな悪魔というようなことをオーセージ語で言っていたのでしょう。実はあのシーンはアドリブで、リリーはずっと笑って反応していて、あれは本物なんです。あの瞬間、アーネストモリーだけでなく、レオとリリーの関係も見えたのではないでしょうか。あの瞬間から、彼らはお互いを信頼し合い、その種を蒔き、お互いに協力し合うようになったんだと思います」

■「マーティ、あなたは映画界の真のマスターであり、これはあなたの最高傑作だと思います」(スピルバーグ)

スピルバーグリリーは視線や目を逸らすだけで、彼女の内面の独白、彼女がアーネストや姉妹たちについてどう思っているのかが瞬時に伝わってくるような演技でした。マーティとの会話をもっと長く続けたいけれど、最後の質問です。エピローグにあたる『ザ・ラッキー・ストライク・アワー』をどのように思いついたのですか?あのシーンが意図することはなんでしょうか?」

スコセッシ「それは、原作(『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』)からきています。当時、FBIにはプロパガンダが必要だということで、ラジオショーをやっていたんです。私はテレビが普及する前からラジオを聴いて育ちました。『ギャングバスターズ』(1936年から1957年まで放送された警察実録ラジオショー)のような番組をよく聴いていました。そして、これはうまくいくんじゃないかなと思ったんです。人々が死に、悲劇が起こり、苦悩が生まれ、そしてそれがラジオ番組になっていた。それはFBIの思惑ですが、ラジオ番組としてある意味エンターテインメントになっていたのです。これは私自身の考え方であって、誰かを非難しているわけではありません。でも要は、(犯罪を)エンターテインメントとして楽しむことに加担しているという私自身の信念であり、この映画でさえもエンターテインメントと言えるでしょう。そういう意味で、私はできるだけ真実味のある作品にしようと心がけました。正直なところ、可能な限りと言うべきですね。

だから、ラジオ番組のような形で、アメリカの国民がこの状況をどのように受け止めるよう促されていたか、あるいはどのように信じるように促されていたかを紹介する必要があると考えました。番組の途中で突然エピローグになります。もし本当にこれが1936年のラジオのスタジオだとしたら、彼はなにを話していたでしょうか?アナウンサーは、ウィリアム・ヘイルが87歳で亡くなることを知っているわけがありません。そこでちょっとしたトリックを使い、時間を進ませるようにしました。でも、この場面で俳優を演出できるかどうか、私にはわからなかったのです。オクラホマでオーセージ族と一緒に長い時間を過ごしてきて、自分がやるべきだと思ったのです」

スピルバーグ「SAG(俳優組合)に入っていなくてラッキーでした。今日のトークができなくなるところだった(笑)」

スコセッシ「そこで、私にやらせてみてください、やり方はわかっているし、もしうまくいかなかったら俳優に頼みますと言いました。でも、やっているうちにある意味、自分自身が人生や世界に加担しているような気がしてきたんです。世界で苦しんでいる人たちに思いやりを持とうと思いました。以上です」

スピルバーグ「マーティ、あなたは映画界の真のマスターであり、これはあなたの最高傑作だと思います。どうもありがとう」

取材・文/平井伊都子

『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』/[c]Everett Collection/AFLO