〈息を引き取るまで川島なお美は、やっぱり川島なお美のままでした〉

 これは川島なお美の夫であるパティシエ・鎧塚俊彦氏が、妻の最期をFacebookに綴った文章だ。彼女が胆管ガンのため、54歳という若さでこの世を去ったのは、2015年9月24日。鎧塚氏の言葉通り、おそらく自宅を一歩出た瞬間から24時間「川島なお美」を見事に演じ切り、最後までその信念を貫き通した女性だったように思う。

 彼女は青山学院大学在学中の1979年、アイドル歌手としてデビュー。その後、1981年にスタートした深夜ラジオ番組のDJとして女子大生ブームの先駆けとなり、タレントとしての知名度は急上昇。しかし、本人が望む女優への道は、なかなか開くことができなかった。

 そんな彼女の転機となったのが、1993年に発売したヘア写真集「WOMAN」だった。当時、32歳。写真集は55万部の売り上げを記録し、その後に出会ったのが、1997年のドラマ「失楽園」(日本テレビ系)の原作者で、恋愛関係も取り沙汰された作家・渡辺淳一氏だったのである。

 このドラマは、黒木瞳主演の同名映画公開からわずか2カ月後というタイミングで放送スタートした。番組関係者は当時、筆者の取材にこう語っている。

「撮影当初から川島さんの『映画には絶対に負けたくない』という意気込みがすごかった。だからこそ、ドラマ版ではありえない濃厚なベッドシーンも、『子宮が呼吸できない気がするから』と、前貼りなしで挑んでいました。のちに渡辺さんも『あれはなお美がいなければ書けない作品だった』と言ったそうですが、我々制作スタッフも撮影所に入るたびに、彼女の気迫をひしひしと感じたものです」

「私の血はカベルネ、涙はシャルドネでできている」というほどのワイン好きで知られ、日本ソムリエ協会のワインエキスパート資格を取得。1998年4月、エスカレーターで転倒し、左足を23針も縫う大ケガを負ったが、その際の記者会見で「ワインをかばって転倒した」と話題になった。

 そんな彼女の肝臓に小さな腫瘍が見つかったのは、2013年夏だった。2014年1月には腹腔鏡手術を受けて成功し、その後は民間療法などを続けながら、舞台を中心に活動してきた。

 彼女が夫とともにシャンパン新商品発表会に登場したのは、同年9月7日。だが、ドレスからのぞく二の腕の細さが際立ち、報道陣からは体調を心配する声が上がる。

「好きなワイン、シャンパンもやめ、特別な時だけ少し口をつける程度になりましたが、元気です。激ヤセとか言われてる場合じゃない。2キロのダンベルを持って、発声練習をしています」

 翌日から始まる舞台「パルレ~洗濯~」への意気込みを語っていた。だが彼女が旅立ったのは、記者会見からわずか17日のことだったのである。

(山川敦司)

1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。

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