佐賀県福岡県にまたがる甘木鉄道は、派手な観光列車など走らない短い路線です。しかし2022年度の赤字額はわずか291万円と、国鉄から転換された第三セクター鉄道としては優等生。なぜ甘木鉄道は成功しているのでしょうか。

佐賀県は出資せず

佐賀県東部の基山駅基山町)を起点に、福岡県朝倉市の甘木駅までを東西に結ぶ甘木鉄道は、1986(昭和61)年に国鉄甘木線を転換して誕生した第三セクター鉄道です。転換された時点での輸送密度は1日1238人でしたが、1991(平成3)年から7年連続で輸送密度2000人を超え、コロナ前の2019年でも輸送密度2026人と、大健闘している路線といえます。

2026人とは、例えばJR羽越本線で利用が多い新津~新発田間(1221人)といった、電車特急が運転される一部幹線を上回る数字です。甘木鉄道はなぜ、多くの乗客に利用されるのでしょうか。

理由としてまず立地が考えられます。甘木鉄道の起点・基山駅は、九州の中心都市で人口164万を抱える福岡市の代表駅・博多から、区間快速もしくは快速で25分の距離にあります。国鉄から転換された第三セクター鉄道で、政令指定都市の中心駅からこれほど近いのは愛知環状鉄道高蔵寺駅から名古屋駅まで快速で27分)くらいで、アクセスはかなり良好です。

ではなぜこのような立地なのに、国鉄甘木線が廃止になりそうだったのでしょうか。それは利便性の低さが挙げられます。国鉄時代の1982(昭和57)年、列車は朝夕のみ、1日わずか7往復でした。終電は20時台、8時間も列車がない時間があったのです。

終点の甘木駅は、大手私鉄である西日本鉄道甘木線の終点でもあるため、仮に廃止しても代替の鉄道アクセスが存在します。当初は佐賀県福岡県も、バス転換を考えていました。しかし、当時の甘木市や三輪町(現・筑前町)は鉄道での存続を希望し、甘木鉄道となったのです。

こうした経緯もあり、佐賀県は出資せず、福岡県も経営安定資金を拠出するに留まっています。沿線自治体と近くに工場をもつキリンビールが株主となって現在に至ります。

国鉄時代はライバルだった西鉄 三セク後は?

1986年4月1日に開業した甘木鉄道が最初に取り組んだことは、筑後小郡駅を「小郡駅」に改名し、400m東へ移転させたことでした。「築後」が駅名に付いていたのは、JR山陽本線などの小郡駅(現・新山口駅)と区別するため。移転した理由は、西日本鉄道の本線ともいえる天神大牟田線の西鉄小郡駅との接続を図るためでした。

西鉄小郡駅は急行停車駅で、起点の西鉄福岡(天神)駅までは31分。甘木鉄道の利用客増加のためには必須と考えられたのです。国鉄時代にはライバルで、西日本鉄道に乗客を流出させるわけにはいくまいと離れたところに駅がありましたが、第三セクター鉄道となり改められたわけです。

同時に、大幅な増発も行われています。2023年現在は平日42往復、土休日34往復。最短16分間隔で、毎時4本運行されることもあります。新駅設置も積極的に行い、開業翌年には立野、大板井、山隈の3駅が新設されました。2002(平成14)年にも、今隈駅が新設されています。これら4駅の利用客数を合計すると、2018年時点で1日477人おり、新駅設置は乗車数を押し上げているといえます。

では実際に乗車してみましょう。平日午前8時半の基山駅には2両編成のAR300形が停車していました。2001(平成13)年に登場した気動車で、日中は単行のワンマン運転ですが、乗客が多い時間帯は2両編成で、車掌が乗務します。珍しいのは、貫通型の車両なのに貫通路がつながっていないことです。筆者(安藤昌季:乗りものライター)の乗車時は赤+クリームのAR303と、緑+イエローのAR304の組み合わせでした。

随所から感じ取れる「地域密着」

列車には高校生や年配などを中心に20人ほどが乗車。九州自動車道高架下に作られた立野駅佐賀県で最も東にある駅です。ここで数人が乗降。そして、何もないところで列車が止まると、列車交換設備が見えました。甘木鉄道を15分間隔で走らせるための、大原信号場です。

廃駅となった築後小郡駅のホームを通り過ぎると、小郡駅です。大量の乗降がありました。大抵の路線は起点が最も乗降客数が多いのですが、甘木鉄道では起点の基山駅841人であるのに対して、小郡駅1021人(いずれも2019年/1日)と上回るのです。西鉄との接続効果を実感しました。なお同駅開業時、西日本鉄道も西鉄小郡駅甘木鉄道寄りの出口を新設し、乗り換えの便を図っています。

ただ駅名標デザインは、「甘木鉄道」と書かれているもののJR九州とほぼ同じ仕様なので、第三セクター鉄道感はそれほどありません。

次の大板井駅は駅名標に「高速バス乗り換え」が明記されていました。大分自動車道の高速小郡大板井バス停と隣接しており、ここから福岡・長崎・別府・大分などへ行けます。

次の松崎駅は交換駅で、10人ほどが降車しました。国鉄時代に交換設備を撤去していたのを復活させた駅です。

列車は今隈駅に進みます。コミュニティバスの停留所もあり、地域と連携しています。続いて西太刀洗駅、山隈駅と停車しますが、今隈(小郡市)、西太刀洗(太刀洗町)、山隈(筑前町)と2km以内で自治体が頻繁に変わります。

時刻表に残る「レールバス」の文字

そして大刀洗駅に到着。ここは駅舎に航空自衛隊T-33練習機が設置されている駅で、度胆を抜かれます。駅には「太刀洗レトロステーション」が入居しており、昭和時代の展示が楽しめるようですが、2023年12月の訪問時は残念ながら休館でした。駅待合室には「レールバス時刻表」と掲示があり、開業時にレールバスが導入された名残を感じました。

なお、付近にはかつて旧日本陸軍の太刀洗飛行場があり、B-29爆撃機の空襲も受けたことから「太刀洗平和祈念館」があります。ここには零式艦上戦闘機ゼロ戦)三二型や九七式戦闘機、映画『ゴジラ-1.0』に登場した局地戦闘機「震電」の1/1模型などが展示されています。

高田駅を経て、終点の甘木駅に到着しました。終点でも20人以上が下車し、車内は最後までにぎわっていました。

駅構内には6両の気動車が停車しており、全て色違いカラフル。ちなみにAR300形は全部で7両ありますが、それぞれ以下のようにデザインが異なります。

・AR301:開業当時の塗装
・AR302:水源地と柿をイメージした塗装
・AR303:旧国鉄キハ20形をイメージした塗装
・AR304甘木鉄道沿線の山や農地の緑
・AR305:旧国鉄急行形車両をイメージした塗装
・AR306:高校生の公募デザイン
・AR307:社員デザイン

甘木駅の駅舎は大きく、西日本鉄道甘木駅よりも存在感がありました。

甘木鉄道のAR300形気動車。旧国鉄キハ20形をイメージした塗装(2023年12月、安藤昌季撮影)。