勉強をしないといけないのにダラダラと動画を見続けてしまう。
30分だけゲームをするつもりが、気づいたら3時間経っていた。
ダイエットすると決めたのに、お酒の席に誘われると断れずに参加してつい暴飲暴食してしまった。

時間を浪費した感覚や、自らの意思の弱さへの幻滅は自分を苦しめる。結果として「やめたいのにやめられない悪習」は、自己肯定感を下げてしまう。

ゲームに動画、お酒たばこ暴飲暴食…。こうしたものに使うお金と時間と体力を、勉強や筋トレ、読書、ダイエットに向けられれば人生はもっと充実するはずなのに、どうして私たちはこれらをやめられないのだろうか。

■「やめたいのにやめられない習慣」を続けるメリット

いけないことだとわかっているのにダラダラと続けてしまっている習慣を本当に辞めたいのなら、なぜそれらを続けてしまっているのか、もっと言えばそれらの悪習の何が自分をそこまで惹きつけるのかについて考えてみるのがいいかもしれない。いい習慣であれ悪習であれ、続けているからには続ける「メリット」があるからである。

『脱ダラダラ習慣! 1日3分やめるノート』(中島美鈴著、すばる舎刊)によると、悪習には「すぐに得られる達成感」が伴うケースが多い。だからこそなかなかやめられない。

たとえばゲームは費やした時間や課金したお金が、そのゲームの成果に結びつきやすい。努力や訓練がかならずしもいい結果に結びつくとは限らない現実世界とは大きな違いがある。

SNSも同様だろう。「いいね!」をもらうことは、現実生活で誰かに賞賛されるよりもずっと簡単で手軽だ。

■なぜその「ひまつぶし」がやめられないのか

また、悪習には何かしら没頭できる要素があることが多い。それ自体おもしろいとは思わないし好きでもないが、嫌な気持ちやモヤモヤした感情、見たくない現実から目をそらすことができる。ギャンブルやたばこ、お酒、SNS、お菓子などはその種類の悪習である。

受験勉強が嫌すぎて朝までゲームをやってしまった受験生も、資格試験の勉強が憂鬱で一晩中動画を見続けてしまった若手会社員も、心底ゲームや動画が好きなわけではない。嫌な現実を束の間忘れることができるから、ゲームや動画をやっているのだ。

あなたがもし「ひまつぶし」の何かをやめられないのだとしたら、そのひまつぶしによって何から目を背けようとしているのかを考えた方がいい。そこに悪習を絶つヒントがある。

あるいは「身体感覚」も悪習をやめられない理由として考えられる。味ではなく、一定のリズムで噛み締める歯ごたえの快感がストレス解消になったり、酔って頭がふわふわする感覚が好きでお酒がやめられなかったり、といったことも考えられるのだ。

もし、「やめたいのにやめられない習慣」があるのなら、なぜその悪習をやめられないのかを冷静に考えてみるべきだ。本書はそれらを絶つ方法を教えてくれる。

2024年を充実した一年にするために、悪習を絶つことは大きな効果があるはずだ。

(新刊JP編集部)

お酒、タバコ、暴飲暴食…「やめたいのにやめられない習慣」と手を切る極意(*画像はイメージです)