法律問題を抱えた時に弁護士に相談できるのは、全国民の2割程度しかいないーー。司法制度改革がおこなわれた約20年前にしきりに使われた「2割司法」という言葉。中坊公平元日弁連会長が多用したことでも知られるこの言葉を生み出したのは一人の新聞記者だった。

1990年5月、朝日新聞の佐柄木俊郎記者は、会社に届いた手紙と膨大な訴訟資料を目にする。公団住宅の家賃値上げに抵抗し、立ち退き請求の裁判を起こされた高齢男性の遺書だった。最高裁まで闘って敗訴し、妻と共に無理心中したのだ。

「司法は彼を救えなかった。市民にとって司法とは何なのか」。佐柄木氏は同年に「孤高の王国 裁判所」という連載を始める。欧米諸国も取材して見えてきたのは、市民と司法の遠すぎる距離だ。アンケート調査などの結果を元に、1991年の論文で「日常生活と2割司法」という一章を書いた。80歳になった佐柄木氏に、司法はいま身近になったのか問うた。

●中坊氏の司法制度改革のキャッチフレーズ

佐柄木氏が初めてこの言葉を書いたのは、法テラスの前身・法律扶助協会の記念誌(1992年)だ。現場の記者として7年半、裁判などの取材経験を経て、当時は司法担当の論説委員だった。「ニッポン司法批判」序説と題し、市民にとっての司法を分析したのである。

日本損害保険協会や日弁連のアンケート調査を引用。「いざという時に相談できる弁護士がいるのは18.8%」「知り合いの弁護士がいるのは13.7%」などの数字をもとに、「現実の司法制度や司法機関にそれなりの役割を期待し、具体的な接点を持っている市民は1割強、最大でも2割とみるべきだろう」と記している。

「もともとは『3割自治』(地方の自主財源が少ないことを批判的に表現する言葉)を参考に編み出した言葉です。率直に言えば、軽い造語ですよ。ただ、当時の日弁連会長だった中坊氏が、司法制度改革のキャッチフレーズとして使うようになり、渡辺洋三東大名誉教授の著書でも触れられ、世間に広がった」と佐柄木氏は振り返る。

中坊氏は「2割司法の解消」を掲げ、司法改革を推し進めていく。しばしば朝日新聞の本社に佐柄木氏を訪ねてきては、法曹人口増や刑事裁判への市民参加、民事扶助制度など、当時俎上にあがっていた議題について、意見交換を求めたという。

「彼と頻繁に議論をしているととても面白いし、共感を覚えました。私だけでなく、他社の論説委員のところへもよく足を運んだようです。現場の記者ではなく、世論に与える影響が大きい論説委員をつかんで、永田町霞が関を動かすという発想だったんだと思います。中坊マジックですよ」(佐柄木氏)

中坊氏は「医師や僧侶、弁護士は他人の不幸をタネにしている。金儲けでやっちゃいけない仕事なんだ」と強調していたといい、法曹人口が増えることで収入減を懸念する声が多かった弁護士会の反発も押さえ込んだ。

●裁判所は市民から遠いまま

その後、中坊氏は1999年に設置された司法制度改革審議会の委員になり、ロースクール(法科大学院)や裁判員制度を創設する改革の中心人物となった。

論説主幹まで務め、その後も司法界を見続けてきた佐柄木氏は、当時の改革機運の盛り上がりはすごかったと振り返る。「行財政改革や規制緩和なども含め、グローバル化という時代の変わり目だったせいもあるでしょうが、司法の問題にあれほど広く世間の注目が集まったのは、あのころだけかもしれません」

それから20年余り。法曹人口は増えた。しかし、多様な人材を生み出すという理想を描いたロースクールの合格率は上がらず、ロー修了を免除する予備試験に人気が集まる現状だ。

佐柄木氏は「もちろん成功とは思っていないし、目指したような姿にはなっていない。しかし、少なくともかつての時代よりは、司法界は市民の中での存在感を高めてきたとは思う」と話す。自身が駆け出しだった1970〜80年代は、司法記者は社内でも「特殊な技術者」という感覚で、どちらかといえば、マニアックな世界とみられがちだったという。

やがてロッキード事件などもあり、司法にまつわるニュースが1面を飾るようになっていく。東大法学部卒ながら法律よりも人に興味があったという佐柄木氏。裁判官の夜回り(公務時間外に自宅や帰り道で取材をすること)が好きだった。

夜な夜な出会って話す裁判官は多彩で、話が面白かった。「司法の言葉で語る準専門家的な記者にはなりたくなかった」。あくまでも市民との距離を意識し続けていたそうだ。

しかし、そのおおらかな時代は長く続かず、徐々に「司法の官僚化が進んだ」(佐柄木氏)。かつては裁判所の取材は「靴が減る」と言われていた。大きな地・高裁庁舎の部屋を毎日歩き回るからで、書記官にも直接取材ができた。いまは広報職員に一本化されてしまっている。

「裁判所は、市民が気安く行ける場所にはなっていない。公団立ち退きを命じられた男性の訴えは、理屈的には負けだったかもしれない。でも機械的な門前払いじゃなく、もうちょっと親身になれる司法関係者はいなかったのか。敗訴したとしても、『なるほどそうか』と思える、納得できる説明を望んでいたはずです」

●「司法は身近になったか」検証のとき

2000年以降の司法制度改革で、経済的に余裕がない人のため、法務省が公的なサービスとして法律相談をおこなう日本司法支援センター法テラス)ができ、利用件数は500万を超えた。市民が重大な刑事裁判に参加し、裁判官と共に刑罰を判断する裁判員を経験した市民は延べ9万人。ロースクールの創設などで司法試験合格者数は増え、弁護士数は改革当初の2000年から比べれば、2.5倍になった。

数字だけを見れば、市民が司法に触れる機会は確実に増えている。2001年に司法制度改革審議会がまとめた意見書は「改革の成功なくして21世紀社会の展望を開くことが困難」と記した。21世紀の司法は「ルール違反を的確にチェックするとともに、権利・自由を侵害された者に対し適切かつ迅速な救済をもたらすものでなければならない」としている。

法曹志望者が減少する今、司法試験制度の迷走などを見るにつけ、20年もの間、改革は進んだのかどうか、成果はどうか、といった国による検証がされていないことに疑問が募る。「2割司法」がどこまで解消されたかを含め、そろそろきちんと振り返る時機ではないだろうか。

法曹界を変えたマジックワード「2割司法」 名付け親に問う 今、司法は身近になったのか