日本ではあまり馴染み深いものではない“感謝祭(=サンクスギビング)”だが、北米では家族や友人と過ごす特別な祝祭日として親しまれている。この年に一度の祝祭を恐怖のどん底に陥れる“記念日ホラー”の新たな金字塔『サンクスギビング』が公開中だ。

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本作のメガホンを務めたイーライ・ロス監督は、感謝祭発祥の地である米マサチューセッツ州出身。「マサチューセッツではサンクスギビングの重要性をいくら強調してもし過ぎることはありません。どの学校でも1620年当時の生活を見るために博物館に行きます。そこでみんながバター攪拌機を見ていた時、私は驚異的な殺戮のチャンスを見出していました」と、その日がいかに特別なものかを語る。

ロス監督といえば、生粋のスラッシャー映画フリークとして知られる。その映画体験のルーツは、少年時代に盟友のジェフ・レンデルと夢中になってホラー映画VHSで観ていたことだ。「1980年代の初頭、ホリデー・スラッシャー映画の黄金時代に育ちました」と、ロス監督は『ハロウィン』(78)や『血のバレンタイン』(81)、『エイプリル・フール』(86)、『狙われた夜/血に染まる大晦日のロックパーティ』(80)などのタイトルを挙げていき、「私にとって、これが映画の絶頂期でした」と楽しそうな表情を見せる。

しかし、数あるスラッシャー映画のなかにサンクスギビングを題材にした作品がないことにずっと不満を抱き続けてきたという。『キャビンフィーバー』(02)で映画監督デビューを飾り、「ホステル」シリーズで一気にホラー映画界の新星として名を馳せた後、ロス監督はクエンティン・タランティーノロバートロドリゲスタッグを組んだ『グラインドハウス』(07)に参加。そこで同作を構成する“実在しない映画の予告編(フェイク予告編)”として、『感謝祭』を作りだすことになる。

■「予告編しか残っていないという、前提となる設定を作ることから始めました」

2つの映画本編と、4つのフェイク予告編によって構成された『グラインドハウス』は、公開当時からホラー映画ファンの熱狂的な支持を集め、いまなお伝説のホラー映画として語り継がれている一作。なかでも『感謝祭』は“実在しない最高のホラー映画”と称賛され、『グラインドハウス』を形成したフェイク予告編から生まれた『マチェーテ』(10)と同様、長編映画化が熱望されてきた。

しかしそこには大きな問題があった。「プロットがなかったのです」と告白するロス監督は、祝日をテーマに刺殺や斬首といった大混乱をつなぎ合わせただけだったフェイク予告編を、長編映画にするための方法を模索し続けていたことを明かす。「予告編を観た人も、そうでない人も納得できるような本物のスラッシャー映画にする。そこで私たちは、『グラインドハウス』用の予告編が作られた映画は『サンクスギビング1980』というものであり、あまりの衝撃でプリントが処分され、予告編しか残っていないという前提となる設定を作ることから始めました」。

そして「私たちが手掛けるのはその映画のリブートということにし、ゼロからのスタートでありながらも、新たなストーリーに効果的と思われる要素をいいとこ取りにしています」と説明。何度も書き直しを重ねながらストーリーを作りあげていき、掛かった歳月は実に16年。「毎年のようにファンサイトに集う人たちは、私たちがこの映画を実現できなかったことを嘆いてくれていました。道が見えなくなった時、私たちを支えてくれたのも彼らです。本当に感謝しなくてはなりませんね」。

■「殺しがうまくいった時は本当に最高の気分です」

長編映画『サンクスギビング』の舞台となるのは、感謝祭発祥の地であるマサチューセッツ州のプリマス。年に一度の感謝祭に人々が湧き立つなか、ダイナーで働く女性が何者かに惨殺される事件が起こることから物語は始まる。

その後も一人、また一人と消えていく住民たち。彼らは皆、料理器具を凶器に、感謝祭の食卓に並ぶご馳走に模した残酷なやり方で殺害されていた。街中が恐怖のどん底に突き落とされるなか、地元の高校の仲良しグループのジェシカたちは、ジョン・カーヴァーを名乗る謎のインスタグラムの投稿にタグ付けされていることに気が付く。そこには豪華な食卓が用意され、自分たちの名札が意味深に配されていた。

「すべての殺戮は、私たちの恐怖と血の基準を満たしていなければなりませんでした」と、ロス監督はスラッシャー映画の醍醐味と、それに対する飽くなきこだわりを貫いたことを力説する。「もし映画がその約束を果たせなければ、私たちは死んでいたでしょう。フェイク予告編で自分が成し遂げたレベルに合わせようとするだけでなく、可能な限りそれを上回ろうとしました」。

そこでロス監督は、絶大な信頼を置くプロセティック(補装具)の権威であるエイドリアン・モロットと話し合いを重ね、“いままでで最も美しい頭部と体の部位”を作りあげていったという。「どんなに美しくても、肉叩きで潰されなければなりません。どうすれば自分たちを凌駕できる殺戮ができるのか。自分たちだけでなく、他のどの映画をも超えなければなりません。最高の殺しをするのは、私たちにとって名誉なこと。すべての死において、私たちは傑作を生み出そうとするのです」。

劇中に登場する数多の殺戮シーンのなかでもロス監督が「最高の殺戮」と語るのは、“ピノキオの死”と呼ぶ感謝祭のパレードでのシーン。「車の後部ウィンドウから木材を突っ込み、偽物の頭部に突き刺すトラックを設計しました。そこには孫役の子どもたちに血と脳みそを吹きかけるチューブが仕掛けられています」と説明し、「言うは易く行なうは難し、というやつです」と続ける。

「最初の3回は木が血のチューブに絡まってしまいました。間違った方向に顔が裂けたり、顔が外側に爆発するのではなく伸びているように見えてしまったり。最終的にエイドリアンが船首のサイズを変える必要があると判断し、見事に顔が裂けて子どもたちに血の雨が降り注ぎました。そのように、うまくいかないことはいくらでもあります。無事にカメラに収まったと分かるまではリラックスなんてできません。でも殺しがうまくいった時は本当に最高の気分です」。

こうしてストーリーから殺戮シーンまでこだわりを貫き、16年越しの夢を結実させたロス監督は「毎年、感謝祭の夕食のたびに皆が悲鳴を上げてくれることを願っています。これ以上の映画は撮れない。もう思い残すことはありません」と断言するほど。それでも先日、北米での大ヒットを受けて早くも続編の制作が決定。ロス監督は自身のSNSで「絶対にいい脚本を書き上げ、自分たちが作ったものを超えるつもりです!」と、殺戮シーンをさらに進化させることを宣言。

まずはこの年末年始、ロス監督が強い自信を持って放つ怒涛のスラッシャーを映画館のスクリーンで目撃してみてはいかがだろうか。

構成・文/久保田 和馬

SNSで“タグ付け”された住民がターゲットに!?